1955-06-16 第22回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号
その理由を三つばかりあげてみますると、予算積算の根拠になるものは、たとえばある部隊が何箇中隊編成になっておって、一箇中隊の中に砲が何門、あるいは通信機が何台、トラックが何台ということがはっきりきまってなければならない、それがどうもはっきりきまらない。きまらないというのは、その部隊編成というものはやはり最高の戦略に関係してくる。ところがわれわれ国民は一体自衛隊が何をするのか、はっきりわからない。
その理由を三つばかりあげてみますると、予算積算の根拠になるものは、たとえばある部隊が何箇中隊編成になっておって、一箇中隊の中に砲が何門、あるいは通信機が何台、トラックが何台ということがはっきりきまってなければならない、それがどうもはっきりきまらない。きまらないというのは、その部隊編成というものはやはり最高の戦略に関係してくる。ところがわれわれ国民は一体自衛隊が何をするのか、はっきりわからない。
それに関連して層雲峡の脇の観光道路ですが、私が行きましたのは、出動してから約二日目、一箇中隊でありますが、これも機械力の恐ろしいことで、もうすでにずつと根拠地の木を伐採して宿舎を建てるという仕事をしておりました。実に機械力が物を言うということを口のあたり見て来たわけであります。 それから千歳、これにはいわゆる機械化部隊と申しましようか、装備が完備しております。どうぞ御覧下さい。
御承知の通り、B六一マタドーと申します人の乗らないレーダーのビームによつて操縦される恐ろしい無人機も一箇中隊はすでに一九五〇年から現実に存在しております。防禦の方でも同じことであります。誘導弾の発達はおそらく想像を絶するものがあるように思います。これに最も熱心なのは英国でございます。
鉄道連隊の一箇大隊は二箇中隊からなる。簡中隊は二百五十名ですから、合計五百名で一日二キロを敷設するのが標準です。鉄道の幅は一メートル四十三センチで、欧米程度であります。路盤は田端・田町間が三十二年前にできておるのですから、その七キロを鉄道工兵部隊が敷設するなら、複線で七キロだから、単線にして十四キロの計算になり、つまり一週間の作業分量にすぎません。
兵力ならば一箇中隊で三時間で完全にとれます。しかるに日本の国内においては十一万の保安隊を持ち、十五はいのフリゲートを持つておるが、それは何らそれを確保するために使われていないじやないか。この席はあなたに質問するわけじやないのですから黙つておりますが、国家全体として見た場合に、軍備だとか何とか言つておるが、そういう問題じやない。われわれの領土をわれわれがどう守るかということであります。
○渡辺(惣)委員 それは話したのですけれども、人数の問題で、何箇中隊という話は出なかつたから……。
○椎熊委員 何箇中隊でもいいじやないですか。多い方がいいじやないですか。
警視庁もこれに参加しまして、警視庁からは一箇中隊が常に警視庁以外のところへいつでも優先的に出すというふうにしまして、合せて二百五十名の者が、いつでも大阪市以外のところで事件が起きた場合には、ただちに出動できるというふうな実情であります。今個々の自治警のところを援助して、その警備力を強化するということは容易なことじやない。
「この中に加藤峯治という警視で、第一方面の予備隊長をやつておりました隊長でありますが、これは約三箇中隊、一箇中隊七十人として約二百十人の部下を率いて、皇居外苑を守つておつたのでありまするが、この一部暴徒が喚声をあげて宮城に向つて突進を始めましたので、これらの二百十名を率いまして、この部隊をかけ抜けまして、そうしてあの前にこの二百十名が体を犠牲に供して、この六千の暴徒と闘つたのであります。」
あなたは百五十人申請したと言われるし、警務部長は一箇中隊申請したというふうに言つております。警務部長が三千人云々というのではなく、それはあとで聞いたけれども、事前にあなたの了解を得て一箇中隊申請したと言つておりますが、私のお尋ねしておるのは、どういう根拠でどれだけ申請した、それがずるずる殖えたということについて、一々あなたは責任を持つておられるのか、警務部長に一任しておられるのか。
最初は百五十人であつたのか、一箇中隊であつたのかわかりませんが、その点はよくは知りませんけれども、併しながら従来四箇中隊ということは……百五十人申請があつた、私はそれに対して許可を与えています。
そこでこの三田、水上の百八十名はここで阻止しておつたわけでありますが、逐次これが破られ、そして二箇中隊約二百名くらいの警察官は、喚声を上げて突入して行くこの暴徒の連中と一緒にこれを走つて、追い抜きまして、これに出まして、そしてこの暴徒の先端を行きまして、ここに(二重橋前)すつかり警戒陣をしいてしまつたのであります。
この際に特に申し上げたいのは、この中に加藤峯治という警視で、第一方面の予備隊長をやつておりました隊長でありまするが、これは約三箇中隊、一箇中隊七十人として約二百十人の部下を率いて、皇居外苑を守つておつたのでありまするが、この一部暴徒が喚声をあげて宮城に向つて突進を始めましたので、これらの二百十名を率いまして、この部隊をかけ 抜けまして、そうしてあの前にこの二百十名が体を犠牲に供して、この六千の暴徒
つて合流、さらに午後五時四十分ごろには立命館大学、同志社大学、鴨泝高校生等が参加いたしまして百五十名となり、御所清和院御門前において無届けデモを開始したので、所轄の中立売警察署から一箇小隊が出動して、解散の警告を発しましたが、これを無視して集団は河原町通に行進し始め、午後六時ごろには人員も約二百五十名に増加、プラカード二十本、赤旗等を持つて気勢を上げつつさらに南進したので、河原町蛸薬師前で警備部隊二箇中隊
なお島根県より一箇中隊三十六名、これに有線、無線通信職員十一名を急派いたし、またパトロールカー二台を派遣いたしております。岡山県におきましても、有線通信職員九名とパトロールカー二台の派遣をいたしておるわけでございます。なお広島管区警察学校に対しましては、一箇中隊百八名の待機を命じておいた次第でございます。
またミンドロ島内に約二箇中隊の兵が警備しておりましたが、それも憲兵や何かの様子を調べますと、やはり残つておるようです。そこでミンドロ島に大体私は約三百名ぐらいおるのではないかと思います。これは百名ないし三百名とお考え願えばいいのです。それからセブ島、レイテ、その辺にも合せまして五十名ぐらいおるようです。セブ島が十名ぐらい、レイテ島が三十名ぐらいではないかと思います。
それからミンドロとかあるいはパナイあたりも、終戰後の状況によつて、あそこには二箇中隊と憲兵側は報告していますから、千名ぐらいおるだろうということを考えて、千名ぐらいなら、あの四国よりずつと小さい島だから十分定着ができるだろうという一応の数字は成り立ちます。
そうこうしているうちに、相当多数の群衆——数番屋橋方面、あの付近を通行する群衆が集まりまして、群衆の中には、また警察が不当な取締りをしているというようなことをアジるような者も相当出て、参りまして、事態が相当険悪になつて参りましたので、とりあえず第一方面予備隊に築地警察から一箇中隊約六十名でありますが、六十名ほどの予備隊の出動を要請して参つたのであります。
大体一箇分隊が五人、三箇分隊で一箇小隊、四箇小隊で一箇中隊、大隊組織ということになつておりまして各地区に一箇大隊並びに三箇大隊ぐらいが駐在しているわけであります。駐在という言葉ではおかしいのでありますが派遣をされているようであります。