1966-06-23 第51回国会 参議院 文教委員会 第24号 隋書倭国伝に、推古天皇十六年に隋の答礼使として来日したひ裴世清に対して、聖徳太子が、「冀くは、大国維新の化を聞かん」と言われたとありますが、これは太子が隋の統一を模範としてわが国の維新を目ざして国政の改革に当たっておられたことを示すものであります。こうした聖徳太子の新国家建設の成果として、わが国は隋と対等の国交を結ぶことができ、それとともに日本という国号を称し、天皇号を唱えるに至ったのであります。 平田俊春