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311件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1985-12-03 第103回国会 衆議院 社会労働委員会 第4号

幸いにして、高度成長状態になりましたから比較的円滑にいったと思われますけれども、しかし、後から質問をいたしますように、炭鉱失業者があの筑豊炭田には依然として滞留して知るという状態であります。  こういう中で、政府、労働省は、一体この雇用問題に具体的にはどう対処しようとしておるのか。再建委員会の答申については閣議決定をしたわけでしょう。

多賀谷真稔

1985-03-28 第102回国会 参議院 社会労働委員会 第9号

そうして、この今度の北松鉱業所というんですか、これは筑豊炭田に次ぐ九州における第二の炭田地帯だったそうです。とにかく当時掘れ掘れ石炭で私たちも、私はもう今は芸能界のOBですけれども、現役のころに、昭和二十二、三年でございましたか、炭鉱慰問でこの筑豊炭田地区など歩きますと、当時もう一般の御家庭にはなかったバターはあり、それから牛肉、豚肉、すべてそろうんです。

下村泰

1984-12-13 第102回国会 衆議院 社会労働委員会 第4号

ことに、私のおる筑豊炭田なんというのは強制的にこの人たち坑内労働に入れたわけですよ。日本炭鉱労務屋というのは、みんな朝鮮に行って人を連れてくるのが仕事だった。そういうような状態の中にあって、私はやはりこれは今度の改正で考えるべきではないか、こういうように思うわけですね。それから、これは孤児の問題も同じでありますが、こういう配慮をすべきではないか。  

多賀谷真稔

1984-08-02 第101回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第8号

多賀谷委員 主として筑豊炭田をめぐるいわゆる鉱害屋と称する問題について、本委員会で二回にわたって質疑をしたわけでありますけれども、きょうは総括的な意味において、今まで検討されました通産省の対応についてひとつお聞かせを願いたい、かように思います。  まず、問題になりました第一点は、鉱害屋がばっこをする原因になった直接の問題は委任状の問題であります。

多賀谷真稔

1984-07-24 第101回国会 参議院 商工委員会 第10号

我々は、学者、経験者の、地層分布、つまり夕張來炭層美唄來炭層、新登川來炭層空知炭田石狩炭田あるいは筑豊炭田あるいは釧路炭田と、今日本の全分布を出して、その地層を見て大体出した数字が我々は約四十億トンある、こう言っているわけです。だから、これを掘っていけば、仮に千万ずつ掘っても四百年あることになるんですけれども、それは別にして、とにかく私が言いたいのは、去年は十八億円だね。

対馬孝且

1984-05-09 第101回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第6号

そうして有資力といいましても、今筑豊炭田の場合は操業しておる炭鉱はありませんから、それは三井鉱山でも山野炭鉱とか田川炭鉱というのはつぶれて石炭を出していない。三池とか北海道で操業しておる。それから全然石炭をやってない企業がある。もう石炭から一切引いた企業もある。しかし、これは会社があるのですから有資力だ。ところが無資力というので資力がないのですけれども、しかしその系統の会社は隆々としておるのです。

多賀谷真稔

1984-04-24 第101回国会 衆議院 社会労働委員会 第10号

火薬工場というのは、筑豊炭田なんかは炭鉱開発にダイナマイトを使ったわけですから、随分ありました。それが皆つぶれましたね。恐らく北海道も同じでしょう。火薬工場がどんどん閉鎖された。ところが、日本油脂という会社でその火薬工場を丸ごとホームハウスをつくる工場にした。それで一人の首切りも出なかった。私はすばらしく立派だと思うのですよ。今まで火薬工場ですから女性も多いのですね、雷管をつくる。

多賀谷真稔

1984-04-24 第101回国会 衆議院 社会労働委員会 第10号

そこで、地元としては、何とか工場閉鎖だけはやめてもらいたい、こういうように要望しておりますし、それから、もう一つ私がぜひ耳に入れておきたいのは、あの筑豊炭田やその他が閉山をして労働者が全国に散った時代とは違うのです。これは、日本板硝子若松工場閉鎖をするときに、かつて二千名ぐらいおった従業員が三百名になった、そこで会社は、三百名の人に全部配置転換を申し渡して、就職口だけは決めた。

多賀谷真稔

1984-02-08 第101回国会 衆議院 本会議 第4号

しかし、私の住む筑豊炭田は、いわゆるエネルギー革命により壊滅的打撃を受け、現在坑内労働者は一人もおりません。地域経済の復興もいまだに軌道に乗っていない状態であります。  さきに、北炭夕張炭鉱の災害、閉山があり、また最優良炭鉱と言われた三井有明鉱において多数のとうとい人命が失われました。長い間この問題に取り組んできました私は、その非力と責任を痛感する次第であります。  

多賀谷真稔

1983-05-25 第98回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第5号

そして炭鉱閉山になった離職者対策として緊急就労、これは筑豊炭田を大型閉山したときの政策が今日二十年間近く残っておるわけです。それに加えて開発就労特開、こういう事業があって石炭特別会計から毎年百八十億円の金がそのためにも支出されておるわけです。これは悪いというのではないですけれども、そういう歴史があるわけであります。  北海道の場合には、そういう制度は一つもないのです。

岡田利春

1983-04-20 第98回国会 参議院 エネルギー対策特別委員会 第3号

たとえば筑豊炭田田川市の場合がそれじゃどうい う状態になるか、こういう問題だってこれはあり得るわけでありましてね。これは、かねて附帯決議にも残っているんですよ。著しくその地方団体財政再建団体の地方自治体になった場合、その場合は別途検討すべきものである、こういうことがこの前の法案の附帯決議になっていますよ。これは私自身がつくったんです、私が理事をやっておりましたから。

対馬孝且

1982-03-19 第96回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第8号

福川政府委員 四十七年当時、筑豊炭田におきましてはなお二十程度炭鉱が稼働し、二百数十万トンの出炭を上げておったわけでございます。この当時、なお稼働中の炭鉱生産に伴って将来発生するであろう鉱害につきましては、当時の採掘計画、それから企業に対します調査に基づきまして、四十七年価格で七十億円程度になるものと見込まれて、織り込まれておりました。

福川伸次

1981-05-07 第94回国会 参議院 商工委員会 第8号

具体的に、特に筑豊炭田の例で田川市長にお伺いしたいことは、そうした場合に、たとえばいまの運輸省の考えからいけば、とにかく理屈抜きに、ある程度六十年までの年次計画に従って整理をする、こういうことになっているわけでありますが、北海道はまだ石炭を出していますから、全然出てないところの産炭地域振興法が延長したという認識の中で、どうしたらこの赤字ローカル線再建かなめというものを、どれを主体にしてこれから生

対馬孝且

1981-05-07 第94回国会 参議院 商工委員会 第8号

ブロック圏生活ブロック圏というようなことをいろいろ出されていますが、基本的には財源が伴わなければ、これ実際の体制立て直しができないんじゃないか、私は十年延長しても結果的にこれ同じことを繰り返す結果になりはしないか、その計画とこの財政がタイアップしていってないというところにいま一番基本的な問題があるんじゃないか、こういう感を深くするわけでありますが、この点私も筑豊に何回か行っておりますけれども、筑豊炭田

対馬孝且

1981-05-07 第94回国会 参議院 商工委員会 第8号

確かにこれは鉱業財団厚生年金融資担保物件には一応なっている、こう言っているんだが、この解決をやっぱりすることが、炭鉱跡地の利用ということは、九州筑豊炭田――これは大臣地元ですから、大臣もおわかりのとおりでありますけれども、この跡地をどう利用開発していくかというのは、これからの産炭地域振興の大きなかなめでなければならないと私思うわけです。

対馬孝且

1980-11-12 第93回国会 参議院 エネルギー対策特別委員会 第4号

それはなぜかといったら、このときも私はしゃべっているんだけれども、五十二年の四月十二日の委員会でも言っているんだが、ここでも大臣にも言っているし、それから時の橋本エネルギー庁長官にも言っているんだけれども、いわゆる北海道で言うなら、天北、それから釧路西部、それかろ留萌炭田石狩炭田、こういうものを全部やれとは言わぬが、それから九州では九州筑豊炭田あるいは山口県なら山口県の炭田常磐炭田と、こうありますが

対馬孝且

1978-03-30 第84回国会 参議院 予算委員会第四分科会 第2号

なぜかというと、九州はずいぶん、まあ私も筑豊炭田へ行ってよくわかっているんですけれども、あれはまあ石炭政策上の関係もございましたけれども、緊急就労開発を実は現実にいまやっているわけです。ところが、この北海道だけは、北海道もぜひやってくれと言ったけれども、なかなかこれ道庁もわれわれもそこまで踏み切らなかったという経緯があるんですがね。しかし、まあ率直に言うと、北海道政治家は能力ないんじゃないかと。

対馬孝且

1977-04-20 第80回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第8号

いま化成工業所コークス生産をやっておるようでありますが、相当数労働者の皆さんがおられるわけでありますし、そして、炭鉱をいわゆる石炭採掘以外のものとして、この地域における産業としては唯一のものになるわけでありますから、この点私は、筑豊炭田しかも最もいまおくれている田川出身であるだけに、その実態からいたしますと、このことが将来的にも大変厳しい条件の中に立たされるということを身をもって体験をしているだけに

中西績介

1977-03-24 第80回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第5号

○岡田(利)委員 特に、政策需要である電力用炭炭価傾向でありますけれども、歴史的に言えば、西高東低型の炭価形成というのは、これはかっての筑豊炭田主体わが国産炭構造からすれば、この出発は当然であったと思うのです。その傾向はずいぶん是正はされておりますけれども続いておると私は把握をいたしておるわけです。

岡田利春