1993-04-22 第126回国会 衆議院 科学技術委員会 第7号
そして、前の筑波町長であった井坂という人が教育長に就任をする。それから市会議員であって、筑波の小田城の問題で非常に熱心にやった志村というのが理事になる。それから当時の座長の木村さんが市長になるという形で、ようやく市の体制は整った。それから地元の方も、そういう体制のもとで文化庁と一緒になって、さらに検討委員会を構築をして、再建をして、この問題について取り上げていこう。
そして、前の筑波町長であった井坂という人が教育長に就任をする。それから市会議員であって、筑波の小田城の問題で非常に熱心にやった志村というのが理事になる。それから当時の座長の木村さんが市長になるという形で、ようやく市の体制は整った。それから地元の方も、そういう体制のもとで文化庁と一緒になって、さらに検討委員会を構築をして、再建をして、この問題について取り上げていこう。
その間、中村参議院議員あるいは大穂町長をつとめた吉村、成島、さらに豊里町長の久保田、谷田部町長の飯泉、宮本、桜村長の横田、細田、さらに筑波町長の宮本ら八名の町村長と二名の議会議員、県の担当課長、それぞれ相次いで病に倒れ、この世を去るという深刻な事態の中でこれを行なってきたのであります。 農民から父祖伝来の土地を提供してもらうことの苦悩をあらためて御認識いただきたいと思います。
と申しますのは、御承知のように新聞紙上でたいへん騒がれました筑波町長の汚職問題、これがやはり学園都市の土地問題にからんだ汚職でありますが、先ごろ辞職をいたして一応ケリはついたわけでありますが、ああした問題が、摘発はされておりませんが、所々方々にたくさんいま起きつつあるのであります。