1976-10-14 第78回国会 参議院 法務委員会 第2号
次に、その翌月の六月はこれはまた公衆の面前で筆保安定が一国の総理を殴り倒すというような事件まで起こしている。まさにこういうような右翼の行動は許しがたいわけです。 私は、ここで、特にいまロッキード疑獄事件で問題となっている児玉譽士夫との関係に注目して、断固としてこういった根を断たねばならぬと思うのです。
次に、その翌月の六月はこれはまた公衆の面前で筆保安定が一国の総理を殴り倒すというような事件まで起こしている。まさにこういうような右翼の行動は許しがたいわけです。 私は、ここで、特にいまロッキード疑獄事件で問題となっている児玉譽士夫との関係に注目して、断固としてこういった根を断たねばならぬと思うのです。
まず、事案の概要でございますけれども、十六日の一時五十三分ごろに、三木総理が佐藤元総理の御遺骨到着を出迎えるために、日本武道館内から正面玄関の歩道近くに歩み寄ったところ、被疑者の筆保が報道陣の後方から「核防条約批准反対」と叫びながら飛び込んできたわけであります。総理の背後から正面に回りまして、右手で総理の顔面を二回殴打しまして、総理はその場に倒れたという状況でございます。
筆保につきましては、昭和十五年の十月二十五日に岡山県の津山市に生まれまして、昭和三十四年三月に津山の県立工業高校機械科を卒業しております。その後航空自衛隊に入隊いたしまして、三十七年の三月に空士長で満期除隊しております。除隊後直ちに大日本愛国党に入党いたしまして、以来現在まで同党の本部党員として活動しておりまして、党内では赤尾総裁に次ぐ実力者と言われております。
○大出委員 いずれにしても、この種の事件というのは、総理の前で恐縮でございますけれども、政党政派にかかわらず今日の民主政治の根幹に触れる問題でございまして、あわせてその方々が自衛隊にかかわり合いがある、少なくとも筆保さんという方の話にしても、空士長ということになりますと、これはそれなりの期間を経て除隊をされている、その方々がともに愛国党などということでこういうことかあるということは——私、実は自衛隊
被疑者は大日本愛国党員筆保泰禎、昭和十五年生まれ、三十四歳でございます。経歴は、筆保は岡山県の津山市に生まれまして、津山工業高等学校を卒業後、昭和三十四年三月二十五日に航空自衛隊に入隊、三十七年三月二十四日に空士長で除隊をいたしまして、直ちに大日本愛国党に入党、自後、本部党員として活動をいたしております。
ただ、出かけていった数名の中に筆保の顔が見えない、特に注目すべき筆保の顔が見えないというので、これは筆保がまだ党本部の中にいるのではないかという観点からいろいろと視察をいたしましたが、どうもこれは出ておるようだと。
○神谷信之助君 その筆保というのが、核防条約に反対の文書と、それから短刀をテープでくくりつけて、そして持っていったわけでしょう。自刃を勧める目的なんですね、自害しなさいと。ところが、顔見たら憎さが余って先に手が出たというように言っているらしいですけれども、この自刃せよというのはもう毎日のようにやっているんですよ、宣伝カーで、自民党の本部の前で。これは野放しですよ。
○三井政府委員 お説のとおりでございまして、筆保がいなくなった、そうすると武道館に来るということを警戒しなければいかぬ。なるほど警戒しておりましたが、どうも重点は、武道館の中に入って多くの警護対象者がおられるわけですから、その辺に注意が行き過ぎたのではないか。その中で総理は一人で出てこられる。警護対象者の中から総理は一人で出てこられる。
この中には筆保の顔が見えない。したがってこれに乗っておらない。つまりまだ愛国党本部におるのか、あるいはそのマイクロバスが出る以前に彼がすでに愛国党本部を出てしまったのか、この二つの可能性を考えまして、さらによく注意をいたしましたところ、愛国党本部にもおらないようである。
○三井政府委員 筆保は愛国党本部に寝泊りしておりますのでこれを見ておったわけでございますが、当日視察を開始いたしましたのが午前八時でございました。