運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
22件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

  • 1
  • 2

2017-06-08 第193回国会 参議院 外交防衛委員会 第25号

国務大臣岸田文雄君) 我が国を含む国際社会、これは、安保理決議四百六十五号等、さらには総会決議、こうしたもので繰り返し述べられておりますが、第三次中東戦争の全占領地についてジュネーブ第四条約が適用され、また入植活動、これは同条約に違反する、これが立場であると認識をしております。

岸田文雄

2017-05-17 第193回国会 衆議院 外務委員会 第15号

岸田国務大臣 まず、我が国としましては、一九六七年戦争、いわゆる第三次中東戦争の全占領地及びこれら占領地における入植地を、イスラエル領域としては認めてはおりません。  そして、我が国は、中東和平問題の最終的な解決を予断するような一方的な変更、これは、いずれの当事者であっても承認できないという立場に立っています。  

岸田文雄

2017-05-17 第193回国会 衆議院 外務委員会 第15号

この協定の交渉において、我が国は、入植地を含む第三次中東戦争の全占領地について、国際法、及び、国連安保理決議第二百四十二号及び第三百三十八号等に違反しており、イスラエル領域と認めていない点について明確に述べております。  イスラエルは、かかる我が国立場国連安保理及び世界の大多数の国と同じ立場であることについて十分承知しております。

小田原潔

2017-02-09 第193回国会 参議院 外交防衛委員会 第2号

理事堀井巌君退席、委員長着席〕  報告の中でも少し触れさせていただきましたけれども、エルサレムイスラエルは今後首都にするというふうに言っているわけなんですけれども、御存じのように、エルサレム西半分はイスラエルが建国時に本土の中に入っていたわけですけれども、東エルサレムの方は、これは西岸地域の一部ということで、一九六七年の第三次中東戦争で占領し併合したという、基本的には国際法的にはイスラエル占領下

酒井啓子

2013-04-17 第183回国会 両院 国家基本政策委員会合同審査会 第1号

このミサイル時代の戦術、戦略ということを考えますと、私たち維新の会はあえてその組替え動議を出しまして、改正案を出して、防衛費をもうちょっと増加をすべきだという提案をしましたが、これやっぱり過去の戦争、最近の戦争を見ても、第三次中東戦争イスラエルが圧倒的に勝ったと。あれはやっぱりガブリエルという彼ら自身が開発した非常に優秀なシップ・ツー・シップ、シップ・ツー・エアーのミサイルの効果を証した。

石原慎太郎

2004-02-05 第159回国会 参議院 イラク人道復興支援活動等及び武力攻撃事態等への対処に関する特別委員会 第3号

質疑を聞いていて、ずっといろいろな委員会外交防衛委員会でも、あるいは特別委員会でもやり取りして、今お話しさせていただきますのは、多分いつの議事録かなんかひもときしていただきますと私の発言したことが出てくると思うんですが、この大量破壊兵器国連決議違反という理由も、よくよく考えますと、ずっと終始一貫、首尾一貫したものじゃなくて、国連決議違反理由武力攻撃ということであれば、過去、一九六七年の第三次中東戦争

齋藤勁

2003-05-23 第156回国会 参議院 決算委員会 第8号

現に、一九六七年の第三次中東戦争も水をめぐる争いでありました。今、世界は深刻な水危機という事態に直面しております。また、水問題には水不足のほかに水汚染という難題がありまして、汚染が原因で年間四百万人もの人々が死亡しているんです。これは大体八秒に一人死亡しているという計算になります。過剰なくみ上げによる地下水の枯渇、洪水災害増加大変気になります。

柏村武昭

2003-03-24 第156回国会 参議院 予算委員会 第16号

まあ、ブッシュさんはいろいろ申し上げていますけれども、後ほど先制攻撃についてもお話しさせていただきますが、このことではっきりさせていただきたいのは、国連決議違反武力攻撃ということであれば、一九六七年の第三次中東戦争後にイスラエル占領地撤退を求めた国連決議二四二はどうなるんですか。イスラエル撤退を求めてアメリカがいかなる圧力を掛けてきたんですか。明らかにダブルスタンダードじゃないですか。

齋藤勁

2002-02-20 第154回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第3号

これは一九六七年の第三次中東戦争以降、イスラエルヨルダン川西岸、それからガザ、さらにゴラン高原を占領しておりますけれども、それに対してアメリカ側は有効な圧力イスラエルに対して加えない。他方でアメリカは、クウェートを侵攻したイラクに対しては、いち早く軍隊をサウジアラビアに展開してイラクを軍事攻撃する。その湾岸戦争の中でイラク一般市民が亡くなる。

宮田律

2002-02-13 第154回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第2号

そして、今度は今から三十五年前、一九六七年の第三次中東戦争で、アラブ側の手にわずかに残っておりましたこのヨルダン川西岸ガザも占領されてしまい、更にエジプトシナイ半島を全部取られ、新たにシリアゴラン高原を奪われます。  その後、あのオイルショックのありました一九七三年の第四次中東戦争で、それをきっかけにエジプト単独講和をいたしまして、シナイ半島を返してもらって戦線から脱落します。

平山健太郎

2001-11-28 第153回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第3号

そこで、特に一九六七年、第三次中東戦争エジプト軍が壊滅的な敗北をこうむったことを契機にしまして、ナショナリズムは急速に下火になっていきます。  それにかわってくるのがイスラム運動でありまして、次第次第にイスラム世界国家というものはイスラムを無視できなくなっていく。国家自体がおれたちは立派なイスラム国家をつくるんだということを主張し始めていきます。

後藤明

1993-05-14 第126回国会 衆議院 安全保障委員会 第6号

時間があればこれを全部読みたいのですけれども、これはぜひ読んでいただきたいと思いますが、最後のところだけちょっと読ませていただきますと、  第三次中東戦争を阻止できなかったスエズ派遣国連緊急軍PKO要員に二百人以上の死者を出したコンゴ動乱国連監視下選挙実施後のアンゴラ内戦再発と、国連がしでかした間違いは数え切れないほどある。米軍国連軍にした朝鮮戦争国連史上最大失敗例だ。

吉田正雄

1993-05-13 第126回国会 参議院 外務委員会 第6号

それはそれでいいのですけれども、この条約の中で三条の関係ですが、イスラエル第三次中東戦争によってヨルダン川の西岸あるいはゴラン高原そしてガザ地区といった地域を占領したまま現在に至っておるわけです。これらの占領地問題ではイスラエル占領地からの撤退についてたび重なる国連決議がなされ、我が国もかなりその辺については強く言っておるという関係があるわけです。  

北村哲男

1993-02-26 第126回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第2号

わずか二十メートル足らずの橋でありましたが、六七年の第三次中東戦争の際に、多くのパレスチナ人が安全を求めて西岸から東岸のヨルダンへと避難した橋であります。私たちは、そうした避難の結果、ヨルダン国内難民となった人々が今も生活しているキャンプの一つ、ヨルダンバカー難民キャンプも視察しました。  

岡野裕

1991-02-04 第120回国会 衆議院 予算委員会 第5号

海部内閣総理大臣 これは、過日国連事務総長にも私は申し上げたところでありますし、また国会を通じても申し上げておりますが、国連決議の二百四十二号、三百三十八号、ともに御承知のとおり第三次中東戦争第四次中東戦争、その後におけるいろいろな問題の中で、占領地からイスラエル撤退すること、そのかわりイスラエル国家としての存在をアラブ側が認めること。

海部俊樹

1990-09-19 第118回国会 参議院 外務委員会 閉会後第1号

原文兵衛君 余り時間もないようでございますが、最後に、第三次中東戦争のときの国連安保理事会決議二百四十二というのがございますが、これについてお伺いしたいと思います。  実は去る九月九日、ヘルシンキでブッシュゴルバチョフ米ソ首脳会談が行われまして、その後共同記者会見が行われました。

原文兵衛

1986-10-28 第107回国会 衆議院 内閣委員会 第4号

それから四十二年でございますが、第三次中東戦争によりまして、カイロからこれも百名弱の人間を救出のために派遣をした。四十六年にはパキスタン内戦によりダッカから二百五十名強の者を救出しておる。さらに昭和四十六年でございますが、インドパキスタン戦争のときにやはりカラチから百十数名の者を救出している。

西廣整輝

1980-04-03 第91回国会 参議院 予算委員会 第20号

六七年第三次中東戦争勃発、六八年ソ連軍チェコに侵入、六九年中ソ武力衝突——珍宝島事件、七一年インドパキスタン戦争、七三年第四次中東戦争、七五年アンゴラ内戦勃発、七七年アフリカの角の紛争、それから七九年一月カンボジア紛争、七九年二月中国軍ベトナムに進攻、七九年十二月ソ連軍アフガニスタン武力介入、主なものはこういうことでございます。

大来佐武郎

1978-04-06 第84回国会 参議院 大蔵委員会 第11号

渡辺武君 スエズ動乱とか第三次中東戦争とか、ここに例示されているような事態、これも一応考慮の中に入っているというふうに理解しないと、どこかの海峡でタンカーがどうにかなったというようなことで、そんな大規模な石油の供給削減が起こるなんということはちょっと普通考えたって考えられないでしょう。

渡辺武

1978-04-06 第84回国会 参議院 大蔵委員会 第11号

それであなた方の出されたこのパンフレットには、これは八ページに書いてあるんですが、「ヨーロッパ諸国では、一九五六年のスエズ動乱、一九六七年の第三次中東戦争の際の対ヨーロッパ禁輸などの体験から、備蓄の必要性が早くから認識されていた。」と、こういうことで、本当にきな臭い話がここに出ているんですよ。大体そんなところを考えているわけですか。

渡辺武

1977-11-22 第82回国会 参議院 外務委員会 第8号

たちが回顧すると、一九一七年十月にバルフォア宣言がなされて、シオニストのパレスチナ入植国際連盟に承認されるに至ったあの歴史的な事実から六十年を経過して、この間には、第一次中東戦争、第二次中東戦争第三次中東戦争第四次中東戦争というような悲劇が繰り返されたのにもかかわらず、それを乗り越えて、今回のようなサダト大統領の決断がなされたという背景には、サダト大統領一人のスタンドプレーでなくて、それを支

戸叶武

  • 1
  • 2