2019-03-28 第198回国会 衆議院 安全保障委員会 第5号
トランプ大統領が三月二十一日に自身のツイッターで、一九六七年の第三次中東戦争を契機にイスラエルが占領し、実効支配を続けてきましたシリアの南西部のゴラン高原にイスラエルの主権を認める、つまりイスラエルによる併合を認めるということを表明し、二十五日には同文書に署名をしました。
トランプ大統領が三月二十一日に自身のツイッターで、一九六七年の第三次中東戦争を契機にイスラエルが占領し、実効支配を続けてきましたシリアの南西部のゴラン高原にイスラエルの主権を認める、つまりイスラエルによる併合を認めるということを表明し、二十五日には同文書に署名をしました。
○国務大臣(岸田文雄君) 今御指摘のクネイトラですが、ゴラン高原に位置し、第三次中東戦争によりイスラエル側とシリア側に分断されたコミュニティーがある、こうしたことを承知をしております。
○国務大臣(岸田文雄君) これは、本協定のこの領域に入植地を含む第三次中東戦争の全占領地は含まれず、我が国のそのような立場、これについてはイスラエルも十分承知をしております。
○国務大臣(岸田文雄君) 我が国を含む国際社会、これは、安保理決議四百六十五号等、さらには総会決議、こうしたもので繰り返し述べられておりますが、第三次中東戦争の全占領地についてジュネーブ第四条約が適用され、また入植活動、これは同条約に違反する、これが立場であると認識をしております。
○岸田国務大臣 まず、我が国としましては、一九六七年戦争、いわゆる第三次中東戦争の全占領地及びこれら占領地における入植地を、イスラエルの領域としては認めてはおりません。 そして、我が国は、中東和平問題の最終的な解決を予断するような一方的な変更、これは、いずれの当事者であっても承認できないという立場に立っています。
この協定の交渉において、我が国は、入植地を含む第三次中東戦争の全占領地について、国際法、及び、国連安保理決議第二百四十二号及び第三百三十八号等に違反しており、イスラエルの領域と認めていない点について明確に述べております。 イスラエルは、かかる我が国の立場が国連安保理及び世界の大多数の国と同じ立場であることについて十分承知しております。
〔理事堀井巌君退席、委員長着席〕 報告の中でも少し触れさせていただきましたけれども、エルサレムをイスラエルは今後首都にするというふうに言っているわけなんですけれども、御存じのように、エルサレム西半分はイスラエルが建国時に本土の中に入っていたわけですけれども、東エルサレムの方は、これは西岸地域の一部ということで、一九六七年の第三次中東戦争で占領し併合したという、基本的には国際法的にはイスラエルの占領下
このミサイル時代の戦術、戦略ということを考えますと、私たち維新の会はあえてその組替え動議を出しまして、改正案を出して、防衛費をもうちょっと増加をすべきだという提案をしましたが、これやっぱり過去の戦争、最近の戦争を見ても、第三次中東戦争でイスラエルが圧倒的に勝ったと。あれはやっぱりガブリエルという彼ら自身が開発した非常に優秀なシップ・ツー・シップ、シップ・ツー・エアーのミサイルの効果を証した。
質疑を聞いていて、ずっといろいろな委員会、外交防衛委員会でも、あるいは特別委員会でもやり取りして、今お話しさせていただきますのは、多分いつの議事録かなんかひもときしていただきますと私の発言したことが出てくると思うんですが、この大量破壊兵器、国連決議違反という理由も、よくよく考えますと、ずっと終始一貫、首尾一貫したものじゃなくて、国連決議違反を理由に武力攻撃ということであれば、過去、一九六七年の第三次中東戦争後
現に、一九六七年の第三次中東戦争も水をめぐる争いでありました。今、世界は深刻な水危機という事態に直面しております。また、水問題には水不足のほかに水汚染という難題がありまして、汚染が原因で年間四百万人もの人々が死亡しているんです。これは大体八秒に一人死亡しているという計算になります。過剰なくみ上げによる地下水の枯渇、洪水災害の増加も大変気になります。
まあ、ブッシュさんはいろいろ申し上げていますけれども、後ほど先制攻撃についてもお話しさせていただきますが、このことではっきりさせていただきたいのは、国連決議違反に武力攻撃ということであれば、一九六七年の第三次中東戦争後にイスラエルの占領地撤退を求めた国連決議二四二はどうなるんですか。イスラエルの撤退を求めてアメリカがいかなる圧力を掛けてきたんですか。明らかにダブルスタンダードじゃないですか。
次に、イスラエルとその周辺の情勢でございますが、元来、ガリラヤ湖というところから死海に至るヨルダン川の西岸の地域というのは水の資源に恵まれた地域なんですけれども、これを第三次中東戦争、一九六七年のイスラエルとアラブの戦争によりましてイスラエルが占領下に置きました。
これは一九六七年の第三次中東戦争以降、イスラエルはヨルダン川西岸、それからガザ、さらにゴラン高原を占領しておりますけれども、それに対してアメリカ側は有効な圧力をイスラエルに対して加えない。他方でアメリカは、クウェートを侵攻したイラクに対しては、いち早く軍隊をサウジアラビアに展開してイラクを軍事攻撃する。その湾岸戦争の中でイラクの一般市民が亡くなる。
そして、今度は今から三十五年前、一九六七年の第三次中東戦争で、アラブ側の手にわずかに残っておりましたこのヨルダン川西岸、ガザも占領されてしまい、更にエジプトはシナイ半島を全部取られ、新たにシリアはゴラン高原を奪われます。 その後、あのオイルショックのありました一九七三年の第四次中東戦争で、それをきっかけにエジプトは単独講和をいたしまして、シナイ半島を返してもらって戦線から脱落します。
そこで、特に一九六七年、第三次中東戦争でエジプト軍が壊滅的な敗北をこうむったことを契機にしまして、ナショナリズムは急速に下火になっていきます。 それにかわってくるのがイスラム運動でありまして、次第次第にイスラム世界の国家というものはイスラムを無視できなくなっていく。国家自体がおれたちは立派なイスラム国家をつくるんだということを主張し始めていきます。
時間があればこれを全部読みたいのですけれども、これはぜひ読んでいただきたいと思いますが、最後のところだけちょっと読ませていただきますと、 第三次中東戦争を阻止できなかったスエズ派遣国連緊急軍、PKO要員に二百人以上の死者を出したコンゴ動乱、国連監視下の選挙実施後のアンゴラ内戦再発と、国連がしでかした間違いは数え切れないほどある。米軍を国連軍にした朝鮮戦争も国連史上最大の失敗例だ。
それはそれでいいのですけれども、この条約の中で三条の関係ですが、イスラエルは第三次中東戦争によってヨルダン川の西岸あるいはゴラン高原そしてガザ地区といった地域を占領したまま現在に至っておるわけです。これらの占領地問題ではイスラエルの占領地からの撤退についてたび重なる国連決議がなされ、我が国もかなりその辺については強く言っておるという関係があるわけです。
わずか二十メートル足らずの橋でありましたが、六七年の第三次中東戦争の際に、多くのパレスチナ人が安全を求めて西岸から東岸のヨルダンへと避難した橋であります。私たちは、そうした避難の結果、ヨルダン国内で難民となった人々が今も生活しているキャンプの一つ、ヨルダンのバカー難民キャンプも視察しました。
○海部内閣総理大臣 これは、過日国連の事務総長にも私は申し上げたところでありますし、また国会を通じても申し上げておりますが、国連決議の二百四十二号、三百三十八号、ともに御承知のとおり第三次中東戦争、第四次中東戦争、その後におけるいろいろな問題の中で、占領地からイスラエルが撤退すること、そのかわりイスラエルの国家としての存在をアラブ側が認めること。
○原文兵衛君 余り時間もないようでございますが、最後に、第三次中東戦争のときの国連安保理事会決議二百四十二というのがございますが、これについてお伺いしたいと思います。 実は去る九月九日、ヘルシンキでブッシュ・ゴルバチョフ米ソ両首脳会談が行われまして、その後共同記者会見が行われました。
それから四十二年でございますが、第三次中東戦争によりまして、カイロからこれも百名弱の人間を救出のために派遣をした。四十六年にはパキスタンの内戦によりダッカから二百五十名強の者を救出しておる。さらに昭和四十六年でございますが、インド・パキスタン戦争のときにやはりカラチから百十数名の者を救出している。
六七年第三次中東戦争勃発、六八年ソ連軍チェコに侵入、六九年中ソ武力衝突——珍宝島事件、七一年インド・パキスタン戦争、七三年第四次中東戦争、七五年アンゴラ内戦勃発、七七年アフリカの角の紛争、それから七九年一月カンボジア紛争、七九年二月中国軍ベトナムに進攻、七九年十二月ソ連軍アフガニスタンに武力介入、主なものはこういうことでございます。
○渡辺武君 スエズ動乱とか第三次中東戦争とか、ここに例示されているような事態、これも一応考慮の中に入っているというふうに理解しないと、どこかの海峡でタンカーがどうにかなったというようなことで、そんな大規模な石油の供給削減が起こるなんということはちょっと普通考えたって考えられないでしょう。
それであなた方の出されたこのパンフレットには、これは八ページに書いてあるんですが、「ヨーロッパ諸国では、一九五六年のスエズ動乱、一九六七年の第三次中東戦争の際の対ヨーロッパ禁輸などの体験から、備蓄の必要性が早くから認識されていた。」と、こういうことで、本当にきな臭い話がここに出ているんですよ。大体そんなところを考えているわけですか。
私たちが回顧すると、一九一七年十月にバルフォア宣言がなされて、シオニストのパレスチナ入植が国際連盟に承認されるに至ったあの歴史的な事実から六十年を経過して、この間には、第一次中東戦争、第二次中東戦争、第三次中東戦争、第四次中東戦争というような悲劇が繰り返されたのにもかかわらず、それを乗り越えて、今回のようなサダト大統領の決断がなされたという背景には、サダト大統領一人のスタンドプレーでなくて、それを支