2021-04-23 第204回国会 衆議院 財務金融委員会 第13号
今おっしゃるように、やはりいろいろな形で、この銀行法というのに縛られているというわけでもないんでしょうけれども、お堅い銀行というものがいろいろ吸収合併をせざるを得なくなった九七年のあの銀行倒産から、まあ、階さんが勤められた長銀が倒産したり、興銀が倒れたり、日債銀等々、いろいろあのとき、興銀は倒れたんじゃなくて一緒になったんですけれども、富士銀行と興銀と第一勧銀は元はみんなばらばらの銀行で、今はそれが
今おっしゃるように、やはりいろいろな形で、この銀行法というのに縛られているというわけでもないんでしょうけれども、お堅い銀行というものがいろいろ吸収合併をせざるを得なくなった九七年のあの銀行倒産から、まあ、階さんが勤められた長銀が倒産したり、興銀が倒れたり、日債銀等々、いろいろあのとき、興銀は倒れたんじゃなくて一緒になったんですけれども、富士銀行と興銀と第一勧銀は元はみんなばらばらの銀行で、今はそれが
自殺者三人、大蔵、日銀、元第一勧銀頭取、三名が自殺しています。結末はどうなったか。三塚大蔵大臣辞任、松下日銀総裁辞任、銀行局長、証券局長、主計局次長、銀行局審議官その他大勢のきら星のごとき官僚たちが辞職をいたしました。そして、大蔵省は解体をされたんです。金融部門は分離をされた、財金分離。それで今の金融庁になったわけですよ。 今回の事件は、悪いけれども、あの接待汚職の比じゃないですよ。
先ほど紹介しましたけど、旧第一勧銀、コース別人事を導入したのは一九八六年、これはどういう年か。男女雇用機会均等法の施行で求人、採用で男女を別に扱うことが禁止された、このときなんですよ。だから、結局、コース別というのを隠れみのにして、男女別の賃金構造、これを温存させたことになります。 こうした経緯から見ても、コース別雇用管理の実態把握、これは女性の活躍の妨げを取り除く上で絶対に必要なことだと。
このAさんは旧第一勧銀に入社をしているんです。一九八六年、銀行がコース別人事制度を導入したときに総合職を希望した。男性は希望どおりほぼ認められる。ところが、Aさんは、上司に呼ばれて、転勤することになってもいいのかと何度も言われ、一般職を選ばざるを得なかったと。その後もコース転換を何度も要求、しかし支店長推薦を得られず、試験を受けてもコース転換が認められない。
私は実は安念参考人とは大学の同級生で、当時を思い出しますと、同級生はみんな第一勧銀に行くか富士銀行に行くか悩んでいたわけですよ。それで、今ふたをあけたら、みずほで副頭取で席を並べているわけですね。 つまり、自由化ということはそういうことなんだろうと思います。
皆さんの中の、第一勧銀グループかも分かりませんけれど、旧ね、そういう内部のいろいろなことはあるのかも分からないけれども、とにかく、みずほとしては分かってこの仕組みを広げたんですよ。いざとなればオリコに代位弁済をさせられますから、焦げ付きがなく、そして残高は急激に増やせるという目玉商品として、分かっていてやっていらしたんですよ。
○佐々木(憲)委員 この提携ローンは、みずほの前身であります第一勧銀で、一九九七年の三月から取り扱いが開始されております。みずほ銀行がオリコを関連会社にしたのが二〇一〇年の五月でありますが、その前の二〇〇三年九月に、オリコを含む信販会社との販売提携ローンの融資先の属性チェックについて検討したことがあったというふうに聞きますが、これは事実ですか。
このためにどうしようもなくなって、例えば第一勧銀・四大証券事件というのは御記憶にまだあるかもしれませんけれども、そのときの小池隆一は、数百億円を実は第一勧銀、四大証券から召し上げていたわけですね。そういう連中が残りました。
第一勧銀の方がたしか富士通のシステムですか、富士銀行の方がIBMのシステムを採用していて、それが、一緒になった後、富士通のシステムになったというふうにお聞きしております。
特にひどかった三菱とみずほ、旧第一勧銀のケースについて、私は、せんだって金融庁に権限発動を求める申し立てを行いましたけれども、調査されていると思います。 例えばみずほ銀行、旧第一勧銀のケースですけれども、プラットホームで五百万円をぱっと渡すということがあったんですよ。
○国務大臣(小池百合子君) おっしゃいますとおり、沖縄にはいわゆる都市銀行の支店というものが、これまでの第一勧銀の流れをくむみずほ以外は一切ないということで、沖縄金融公庫が果たしてきた役割というのは極めて大きいものがございます。 沖縄の振興策と一体となってこの金融公庫というのは言わば車の両輪の役目、金融という経済のための必要な血液の循環を良くする、そういう役目をこれまで担ってきたかと思います。
共同経営者の持ち株の買い受けで二億円の借り入れを第一勧銀に申し込まれる。しかし、長期ローンではなくて、手形貸し付けで融資をされた。毎年手形の書きかえ。平成十四年八月、元金一括返済を要求される。平成十五年、会社ビル競売申し立て、預金口座の凍結ということに至っております。完全な貸し渋りのケースではありませんか。 第二のケース、神前鉄工所、九州でございます。
だけれども、それは、例えば職員の方が実は大変な音楽の腕前を持っておられて、当委員会の林委員もバンドをやっておられると聞いておりますけれども、職務時間外に夜どこかでピアノでも弾いて多額の報酬を得ているとか、昔、第一勧銀に小椋佳さんという方がいらっしゃって、あの方はちゃんと部長までやられて、部長職をやりながらNHKの特番で音楽なんかやっておられましたけれども、そういうのは構わないですよ、全然。
九七年三月に露見をいたしました総会屋小池隆一氏への利益供与事件、百十八億円迂回融資が旧第一勧銀、勧業銀行ですね、DKBから行われて、当時の宮崎元DKB会長は御不幸なことに自殺をされたという事件がありました。 そのいわゆる反社会的な勢力、すなわち総会屋及びその関連会社への融資というのが残っているのではありませんか。
これはUFJだけの問題ではないと私、実は思っておりまして、以前、この委員会で長崎屋問題取り上げたことありますが、第一勧銀とやみの世界とのつながりについて指摘したことありますけれども、かなり根深い問題がまだこの銀行と暴力団の関係にはあるというふうに思います。
コーポレートガバナンスということを力強く言われていた時期、今もおっしゃっているのかどうかわかりませんけれども、あのとき、やはり四大証券事件だとか第一勧銀の総会屋、いわゆるやみの勢力などが、呪縛という言葉も出てきましたよね、日本を代表する証券会社や銀行にそういう勢力がやはりしっかり入り込んでいて、実はこんな実態があったということの衝撃が、コーポレートガバナンスを確立しなければならないという当時の自民党
例えば 平成二年、五月か六月頃、用事で第一勧銀千歳船橋支店に行きましたらカウンターに出ていた行員のN・Kが「良い保険がありますので入りませんか」と申されましたので私は「保険は他に入っているから必要ない」と言ってことわりました。 数日後自宅に行員が来て、「先日申し上げた相続の保険に入って戴きたいので来ました」と言います。
それで、平成九年の総会屋事件、野村証券のですね、これとの関係でございますが、あの平成九年の三月に野村証券が内部調査結果を公表して明らかとなったわけですが、そこから火が付きまして、その後、第一勧銀や他の証券大手三社に波及した事件でございました。それで、当時は日本型ビッグバンが始まって間もなくの事件でありましたので、不公正取引に対する世論の、世間の批判といいますか、極めて厳しいものがございました。
ハザマも、二〇〇〇年に第一勧銀から千五十億円債権を放棄してもらいながら、百万円献金しております。 債権放棄は、赤字が続き、借金を返すめどが立たないときに経営再建の最後の手段として行われるのが普通です。だから、三年以上赤字の企業はもともと献金を禁止されている。今、そのことはお話がありました。
まず、みずほ、前田参考人に伺いますけれども、この間、私が受けているみずほの関係、言ってみれば旧第一勧銀ですけれども、こういうパターンが非常に多いんです。延滞も何もしていない、赤字でもない、ただ担保価値が下がってきていると。
話を戻しますけれども、この企業再生というのは、何といいますか、前向きな前進的なようにとらえられる部分もあって、確かにそういう部分もないことはないと思うんですが、実際、私、今、スーパーの流通大手の破綻したところの問題に取り組んでおりまして、この委員会でもやりましたが、長崎屋が、私もここでストレートに指摘しましたけれども、第一勧銀がかなり追い込んで破綻させた、その事実もここで申し上げましたが。