2016-11-21 第192回国会 参議院 環太平洋パートナーシップ協定等に関する特別委員会 第7号
TPPというよりも、やはり全て国際競争、日本のこれ作っている、我々が作っているものは国際競争に勝ち得ていかなきゃならない、生き残るために。これは環太平洋だけでなくに、これからインドなりいろんなそういう、ヨーロッパなりいろんなところが出てくる、そういった中でこれは勝ち得ていくためにはどうしたらいいのか。
TPPというよりも、やはり全て国際競争、日本のこれ作っている、我々が作っているものは国際競争に勝ち得ていかなきゃならない、生き残るために。これは環太平洋だけでなくに、これからインドなりいろんなそういう、ヨーロッパなりいろんなところが出てくる、そういった中でこれは勝ち得ていくためにはどうしたらいいのか。
二〇〇八年までは、学校間の競争、日本の公立学校へ通う子供の増加等のマイナス要因も、出稼ぎの増加に助けられてブラジル人学校は運営をしてこられました。しかし、二〇〇八年の十二月から二〇〇九年の三月まで、非常に日本の経済が急激に悪化したときに時を同じくして、ブラジル人の在籍生徒も約六〇%減りましたし、また十六校のブラジル人学校、一九%に相当するブラジル人学校は閉校しました。
そのための開発競争、日本もしっかり取り組まなければいけないということで、経産省もしっかりやっておられると思います。 恐らく、これは私は全く当事者ではございませんが、今のやり取りを聞いて一つ思いましたのは、今委員が、道路を造っても罪にはならないだろう、それを違反して走った人が悪いんだろうと。
これは、大都市の場合、先ほどこれもどなたかに申しましたが、日本の人口の五六%が国土の二%のところに住んでいるというこの日本の特性を考えながら、防災体制というのはどうするか、お金との競争。日本は今、国債、公債も大変な発行残高になっております。
すなわち港と港、日本の港とアジアの港、日本の空港とアジアの空港との間の競争、あるいは日本の社会資本とアジアの国々の社会資本との競争、日本の都市とアジアの都市との競争という形が出てきているわけです。これに勝っていかなければ日本の将来がないということになります。それが後ほど申し上げます社会資本投資の首都圏に対する集中的な投資ということにつながってくるわけであります。
この引き下げということは、一つはたばこの自由化というか、新しい日本における国際競争、日本市場における国際競争の窓口が開かれた、私はこういう認識なんです。ですから、一番最初にお尋ねしたように、関税という問題と原価の契約というものとは、国内で輸入たばこの価格を決めるときに大きなウエートを占めると私は思うんですね。
それからもう一つ、いまあなたは過当競争、日本の企業における過当競争というものが交際費の増大を余儀なくしておるという釈明がございました。これはある一面もっともなところがあると思います。しからば、業種別の交際費の資料というものがなくて、過当競争だ、過当競争だというわけにはいきません。業種別によって、過当競争の激しいところもあれば、そうでないところもあるわけですね。
それがこれほど設計が転々としておる状態というのは、言うならばまさに国際競争、日本のこの種の原子力技術、原子力設備に対する国際競争が日本の市場に殺到していることを意味すると私は思う。いま日本の原子力産業のおくれに対しまして、ちょうどこれに見られるような状態で国際資本が日本市場に殺到しつつあることを意味する。
これもやはり自由化と国際競争、日本の産業開発ということのための融資策の不足ということが、そういう国際競争に負けているということになる。これまた産投会計法がそれこそ動く条件があるのじゃないか。 第四番目に、国によって差をつけなければならないということがあるかもしれない。たとえば社会主義諸国はどう、あるいは自由主義諸国はどうというようなことがあるかもしれない。
だから、先生のおっしゃるように、数量は減ったじゃないか、価格も下がったじゃないかということを申されれば、率直にこれを認めざるを得ないわけでございますけれども、この問題は、実は無理に日本が高く売れるものを好んで安く出しておるわけじゃございませんし、結局は過当競争——日本は過剰企業でございますので、かつてほかの物資でございましたように、輸出規制をやらずにダッと出ていけば、外国から問題が起こって値が下がるものですから
これに関連いたしまして、海外における競争日本の収集というようなことにも力を入れたいというふうに考えております。なお、主としてこれも中小企業でありまするが、新規商品というものの試作を助長する。
○黄田政府委員 いわゆる日本の不正競争、日本品は非常に裏と表との偽りがあるというふうな大きな目ぼしい例というものが、随所に起つておるというわけではございませんけれども、しかしはなはだ残念ながら、これらの事態が絶無であるわけではないのであります。