1961-10-19 第39回国会 衆議院 建設委員会 第7号
私はきょうは竜江村、川路村の何百年前からの歴史も実は聞きたかった。それは自分で調べるひまがありませんでしたから聞きたかったのですけれども、そういうことはやめます。とにかくそういう事態に今日なっておる。自然の条件もそうなっておりましょう。
私はきょうは竜江村、川路村の何百年前からの歴史も実は聞きたかった。それは自分で調べるひまがありませんでしたから聞きたかったのですけれども、そういうことはやめます。とにかくそういう事態に今日なっておる。自然の条件もそうなっておりましょう。
これがため当社におきましても相当の被害を受けまして、この復旧には非常な困難をいたしたわけでございますが、この未曾有の災害に直面いたしまして、被災地の惨たんたる状況の中で、地元の方々が非常に困惑しておられるありさまを見まして、少しでも当座のお役に立てばという考えから、とりあえず六月末に飯田市並びに竜江村に対しまして若干のお見舞金をお贈りしたわけであります。
ただ奇怪なことには、土本という補償係長は、これはつまり川路川へコンクリートの水制を入れることによって、対岸の竜江村の土地を流してしまって、川路村へ土地をたくさんこしらえるのだと言ったということが、この速記録にちゃんと出ておる。
天竜川沿岸の飯田市川路地区及び竜江村等は、ダム上流地点にあったため、川床の著しき上昇によりはんらんし、これら沿川地区の被害を大きくしたとして、国の善処を望む声が強かったのであります。また、あわせて、ダムの洪水調節機能の再検討、ダム下流地区の護岸改修工事の実施等の要望もございました。
最初からどんどん出してもらった方がよかったのであって、最後に八百五十トン出したものだから、竜江村とか川路村とか、その他飯田市も相当な被害を受けておる。
ついで飯田市を経て天竜川流域の川路村、竜江村に至りまして、この付近一帯の災害状況を視察いたしましたが、この地方一帯は有名な桑園地帯でありまして、流域五十町歩に及ぶ桑園が六月末の豪雨による天竜川の増水により冠水、浸水を受けておりまして、その対策としましては、この地帯より下流約二キロ程度の天竜川狭窄部の岩石の破壊等の道を講じておりましたが、さらに桑園の排水工事等も計画中でありました。
○木下参考人 私は、門島ダム堰堤から上流七・六キロから十二キロに至る間の天竜川に沿っております下伊那郡竜江村の村長であります。ただし私申し上げますのは、私の村に関係したことだけでなく、門島ダムの被害を受けております、——ただいま町村合併によりまして一市六カ村でございますが、その関係についても申し上げたいと思っております。
そこで対岸の竜江村長にお伺いをいたしますが、この厳達命令を取り消してこういう代案にしたということは、県または建設省が招集したこの会議に出席した安藤村長よりそのとき話があったかどうか、その話があってその協議に賛成したのであるかどうか、この点をお伺いしたい。
○中島(巖)委員 ただいま竜江村長から御答弁がありましたように、こうした大きな問題に最も関係の深い竜江村が二十三年八月に県が発送電と協定をしたのを三十一年まで知らずにおった。その間二十五年に大水害が起きた、これが実情なんです。従いまして河川局長も当時これに参画し、また林知事も協定者として相当の責任があるわけです。ことにこのときは災害救助法まで発動しておる、こういう状況であります。
それで竜江村に一千円、川路村に二千円というような金を見舞金として出した。けれどもその内容は、これらの損害に対しては何ともいわないという内容になって、名前は見舞金になっている。それから先ほど河川局長に質問いたしました昭和二十五年の竜江の七十余町歩の桑園の流れたときにもこういう差し入れ書をこしらえた。そのときには竜江村に対して百九十万円出した。
犀川関係は省きますけれども、管内天竜川筋下伊那郡川路村並びに竜江村地籍は、いずれも発電施設たる堰堤の影響により河筋の土砂沈積おびただしく、計画当初仮定せる堆積量をもすでに相当超過し、ひいては上流部広範の地域にわたりて極度の河床隆起を生ぜしめたる結果、出水時においてはしばしば異状の高水位を誘発し、かつはなはだしき長期湛水となる傾向あるために、異例の水害を頻発し捨ておきがたい事態に立ち至りたるをもって、
そこでその一つの例を取り上げますと、昭和二十五年に竜江村の七十余町歩という肥沃な耕地が流されてしまった。そこで竜江村としては、県知事に対しましてダムによる災害だと思うから何とか調停してくれということで、知事が中に入って調停した結果、中部電力から百九十万円出した。ところが七十余町歩という耕地は一反を二十万円としても一億四千万円、それから八百メートル近い堤防をこしらえております。
これがために竜江村の七十余町歩が流失したということはもう完全にだれが見ても明らかである。そこで技監案における打ち合せ会談の内応を見ますと、長野県の穂積河川課長が、知事の厳達命令にかわる措置をしても河床の根本的な対策ではない。あとで補償問題が起きるということをはっきりいっておる。
また日本三大桑園の一つといわれる川路村、竜江村の桑園地帯も、この地下水の浸透のため桑の葉が黄色となり、枯死するのが順次拡大しつつある状態であります。
それから知事の厳達を取り消したときに竜江村が不参加であったという点についての理由も一同様に次の機会に御返事申し上げます。三の知事の通達を取り消したということに関する建設省の責任という問題も前同様でございます。
第三点は、自発の土木補償係長は、川路村はこの工事により、天竜川の本流を対岸竜江村に移さんとするのが念願である、また砂利採取計画によって相当の財源を得るのが目的であると発言しています。私の不審に思うことは、この奇怪なる土木発言に対して、建設省も県側も何の質問もしていない。当の川路安藤村長も発言をしていない。暗黙のうちに認めた形であります。