1947-08-27 第1回国会 参議院 司法委員会 第18号
○政府委員(奧野健一君) 第一点は違法ということの立証責任は、寧ろ違法を阻却する方、被告の方にあるのではないかという御意見であります。要するに原告といたしましては、その加害行爲自体と、それからその加害行爲について故意又は過失があつたということを立証すればいいのであつて、その加害行爲が違法なりや否やということはむしろ裁判所が判断する。
○政府委員(奧野健一君) 第一点は違法ということの立証責任は、寧ろ違法を阻却する方、被告の方にあるのではないかという御意見であります。要するに原告といたしましては、その加害行爲自体と、それからその加害行爲について故意又は過失があつたということを立証すればいいのであつて、その加害行爲が違法なりや否やということはむしろ裁判所が判断する。
まず第一に論議の中心となつた点は、責任主義の原則についてでありまして、第一條において過失責任主義をとる限り、被害者側に過失の有無についての困難な立証責任を負担せしめることとなり、現実に國民に損害賠償請求権の行使を保障することはできないのではないか、憲法第十七條にいうところの不法行爲は、いわゆる客観的違法行爲により被害者の権利を侵害する行爲をも含むものであると考える、また近時学説・判例の傾向に鑑み、無過失責任主義
憲法に認めた精神は、簡單に損害を要求することができるという趣旨でないかと思うのでありますが、二つの立証責任を持つということは非常に困難であります。
ただこの一條では故意過失の外に違法を要件にしておつて、その立証責任があるということになると、却つて今までよりも救済されないことになるのではないかという御意見でありましたが、故意過失の立証の点は民法通りであります。
実は午前中衆議院においても、この点が非常に問題になりまして、無過失賠償にした方が権利の保障に十分なのであつて、進歩的であるのだから、むしろ故意、過失というようなものを除いてはどうかという御議論もあり、少なくとも全部無過失ということが行過ぎであれば、立証責任を逆にして、過失ないことを國家の方で証明した場合はこの限りではないというふうな立証責任の轉嫁というか、逆にすることを考えてはどうかという御議論もあつたのであります
○大野幸一君 私の第一点は、前質問者と同じですが、それはやはり將來ですね、不法行爲の條文に違法という文字がないと、どうも賢明なる裁判官のみ全國にあるわけじやなくて、七百九十二條には違法とない、こちらには違法とある、こういう意味で、まだこういう委員会の空氣が全國に知れるわけじやなくて、或いは又被告の側の弁護人は、これを違法の意味を非常に重く解して、違法の立証責任まで求めるというようなことがある、こういうことを
ただ問題は先ほど一言しましたように、立証責任の点が、実際の起訴において重要な機能をもつわけでありまして、第一條においてあくまで過失責任主義を採用していくならば、國家公権力の発動にあたる公務員において、その故意なりや、過失なりやということに対しては、被害者たる國民の積極的な立証をまたずに、損害の事実が証明されれば、一應公務員の故意もしくは過失を推定して、國家公共團体がその責任を免れんとする場合に、國家公共團体
ローマ法の昔から立証責任あるところ敗訴ありという格言は、特に國家活動に対して國民のこうむつた損害賠償を求むる際に、過失責任主義である限り、その被害者個人に當然立証する責任を負わせることになり、從つてせつかくかような法案ができたところで、現実に國民に対する損害賠償を保障するということが、きわめて困難異なりはしないかということを、深く憂えるものであります。
立証責任の問題が非常に重要な問題であつて、立証責任を逆にすることによつて、無過失賠償責任にやや近い結果になることは御説の通りでありまして、立法上傾聽すべき御議論と考えます。ただいろいろそういう点も考えたのでありますが、一應やはり民法の七百九條の不法行為の現在の立法主義をそのまま採用して七百九條と同じような書き方で進むことにいたしたのであります。