1973-03-28 第71回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第4号
ねしたいのですが、要するに藤本論文に対する反論の趣旨といいますか、原子力局の見解は、藤本論文が、日本の原子炉の安全審査会の評価方式による仮想事故時のヨード131の放出量は、アメリカ方式による評価に比べて甘くて、十分の一以下であると判断している、原子炉の安全審査の評価がアメリカの方式よりも十分の一以下の放出量の評価をしている、そういうふうに判断しているようだが、その根拠は一九六二年当時のアメリカの原子炉の立地基準
ねしたいのですが、要するに藤本論文に対する反論の趣旨といいますか、原子力局の見解は、藤本論文が、日本の原子炉の安全審査会の評価方式による仮想事故時のヨード131の放出量は、アメリカ方式による評価に比べて甘くて、十分の一以下であると判断している、原子炉の安全審査の評価がアメリカの方式よりも十分の一以下の放出量の評価をしている、そういうふうに判断しているようだが、その根拠は一九六二年当時のアメリカの原子炉の立地基準
○政府委員(成田壽治君) 日本におきましても、また、アメリカにおきましても、従来のTID—一四八四四だけによって計算して安全審査をやっている例は、アメリカにおいては一九七〇年に新しい審査指針セーフティガイドが出ましてそれによってやっておりますし、日本におきましても日本の安全立地基準等アメリカの新しい基準に非常に近い内容のものでやっておりますので、最近はTID−一四八四四だけによるものはないというふうに
○辻一彦君 それから次に、さっき松根参考人のほうから審査の基準についてちょっとお伺いしたのですが、私の伺いたいのは、立地基準等における基準が検討するという意味であるかどうか、こういうことであったんですが、公害等のいろんな基準のお考えのようであって、ちょっとばかりこれは食い違いがありました。
この点について、これはまあわが国のほうで安全と距離という概念が初めからないということ、それから、たとえばからだの線量、許容線量といいますか、百万レムに対して二百万レムというむしろ甘い線量ですね、基準として立地基準に入れている。こういう点で問題点をかねがね感じておるんですが、これについて審査基準の独立機関を持って検討すると言われるそういう基準はどういうことをお考えになっておるか。
すべての国民の人たちに、アメリカと日本の立地基準の比較検討が一目りょう然わかるような、そういう方法を一そう努力して進めていただきたい。
基本的に申しますと、日本の立地基準は、発生の過程から申しまして、イギリス型の原子炉、すなわち東海発電所を審査した経験と、それからアメリカ型の原子力発電所の審査した経験、その二つから盛り込まれておるということでございます。
○吉田(之)委員 では次に、米国の一〇CFR一〇〇とわが国の立地基準との間に若干の差があるのではないか、どうもその差が、一口に言って、日本のほうがどちらかといえば甘い基準になっていはしないかというふうな印象を、とかく与えているようでございます。
そのときに、どうですか、この原子炉敷地の基準といいますか、立地基準というものが、日本とアメリカとではやり方が違いますが、アメリカに比べて、私がいままでずっと指摘してきたような中で、きびしいと思われるか、あるいは甘いと思われるか、そこらをひとつ有澤先生にお伺いしたい。
○石川委員 どう説明を受けても、若狭湾であれだけ密集して——まあ抵抗の弱いところにどうしても立地をするということで、大体日本では立地基準、指針がないのです。アメリカには一応あるわけです。ところが、日本にはないのです。
これは原子力委員会あるいは原子炉安全専門審査会において審査する場合、放射能による害以外の環境条件変化を規制する基準及び原子炉の立地基準、そうした基準がない、こういう意味と理解してよろしいですか。
そこで、いま大臣も十分な安全審査を、世界に誇る安全審査をやりますと、こういうお話でありますが、実はなぜこれだけ集中するかということを考えますと、常識的に言ってなぜ、三百五十万も裸の人が夏集まる、そういうところに世界一のこういうむちゃくちゃな原電を建設する、そういうことがなぜ可能なのかということを考えますと、安全審査の私は基準、立地基準にいろいろな問題があるのではないかということを最近いろいろな角度から
それから、この質疑を通して、少なくもアメリカやイギリスやカナダよりも基準はきびしくはない、逆に言えば甘いということを、皆さん、いまの中で、この点は一応私は認められたと思いますが、どうですか、それ、立地基準と実際に置かれている状況から推して。
○辻一彦君 では、続いて、私は、先ほどアメリカやイギリスに比べてきびしい基準を持っておられると、こういうことを伺ったんでありますが、原子力発電所の立地基準についてお伺いをいたしたいと思います。
アメリカの原子力委員会の立地基準によると、百万キロワットの原子炉を設置する、そういう場合には、半径十六・五キロメートル以内は低人口地帯――言ってみれば人口二、三千の町でなければならないことになっていますが、柏崎原子力発電所の場合は半径五キロメートル以内にすでに人口七万の柏崎の中心部があります。ですからアメリカの立地基準によれば、柏崎の原子力発電所は建設することができないわけです。
日本の立地基準はアメリカの基準をそのまま準用してやっているわけだ、そういう意味でわれわれは浜岡という地域が非常に条件的にそれに適合するとは考えられないという点があるわけです。これはいま現に立地している地域と比較してみていく一つのやり方もある、これはそれぞれの地域と比較をしているのですが、たとえば東京電力の福島発電所、この発電所は非住居区域というのが、これの距離が九百メーター、原子炉から。
この点については、まだ通産省等もあることでありますので、ちょっと質問を進めて、原子力発電の立地の基準というのはいま技術庁でつくられているようでありますが、この点については、その立地基準から見て浜岡というのは立地に適当な場所であるのかどうかという点についてどういう御判断を持っておられるのか。
感じているだけじゃなくて、静岡県自身が、人口の密度から考えてみて、原子力発電所の設置をする地域としての現在における人口密度をオーバーしている、また浜岡地域を考えてみると、この地域における人口密度というのは、やはり立地基準から非常に人口密度が多いわけです。で、この土地は御承知のとおり熊野灘にあった芦浜に設置しようとして反対を受けてこの地域に立地が移ってきた、建設の場所を移してきた。
こういうように立地基準をつくったはずです。原子力委員会の運営にあたりましてはこういう考え方はやはり今日でも貫かれておるのでございましょうか。
たくさん集まってブーッといった場合には、これは大きな騒音になる、こういうことでございますから、私は、この生活環境というものを、立地基準というものをやかましく言うわけなんです。そこで、これはひとつ御検討願いたいと同時に、もう一点、地域区分をきめる場合に、住宅地域、準工業地帯、工業地帯、こうきめる場合ですね。これは、道路一本とか、川とか、そういうものできまっておると思うのですね。
そこで敷地の立地基準とでも申しましょうか、立地基準委員会のほうでもこの点を検討しておるわけでございます。そうしてこの点につきましても、まだ最終の結論が出たとは言いがたいのですけれども、一応のめどがつきまして、そうしてこの東海村地域一帯にある原子炉施設、それを中心にして一応の判断を下しております。
この管理区域、低人口区域等の考え方の基本は、アメリカの原子力委員会が定めております陸上におきますいわゆる立地基準と大体趣旨として一貫しておるものでございます。ただ、船の場合には、陸上の炉と違いまして、移動可能でございますので、その点が後ほど触れますように違ってまいるわけでございます。
これは原子力委員会の方としてはおそらく目を通されたのじゃないかと思うのですけれども、この水利あるいは社会環境の立地基準というものは学問的な異論がいろいろ出るかもしれません。しかし、曲がりなりにでも、こういうふうな一応の基準を設けて具体的に進めようと考えてきているという積極的な意欲というものは、一応評価してよろしい。
げたくないのですが、この通産省の出している基準の中で、社会環境というのを一つ例として申し上げておきますと、半径六百メートル以内にほとんど人家のない土地が得られること、それから地点の周辺一・五キロメートル以内に大きな部落がないこと、あるいは地点の周辺一・五キロメートルから八キロメートルの間に大きな部落の集落のないこと、それから地点を中心とする半径二十キロメートル以内に人口五万以上の都市の中心のないこと、こういう立地基準
こういうようなことをこの公開の席で言いますと、東海村の現状に合わせたような甘い立地基準ができては困るということも考えられますので、私はこの、質問をしていいかどうか多少ちゅうちょしておったのですけれども、少なくともこの立地基準は、東海村のコールダーホールには全部抵触すると見て間違いありません。
そういう点で、立地基準というものを確立をしてもらわなければどうしても困る。私は今、反対するとか反対しないとか、三菱電機のことについて言おうとは思いません。しかし、そうなりますと、相当人心も動揺するのじゃないか、卒直に言ってそういう感じがするわけです。非常に小さな原子炉であるから、相当厳密に安全性を確保すれば大丈夫じゃないかという気はします。何しろ、それだけじゃない。
しかしながら、これが重なり合って住民に与える影響の度合い、これは立地基準というところから判断をしなければならぬことだろうと思いますけれども、そういう意味での基準というものが全然できておらぬ。それで、この東海村ほど集中的に原子力施設ができておるというところは世界に類がない、こういうふうな学者の話も聞いたことがあるのです。
これは実は御承知のように、東海村はコールダーホールというようなでかい発電所もできましたが、射爆場に隣接をして、そして相次いで研究炉が密集してできておるというようなこと、しかも立地基準というものができておらぬ。どろぼうを見てからなわをなうというようなこと、かよく言われておりますが、強盗が危険きわまりのない刃物を振り上げてからなわを見つけておるような状態のように思うのです。
まず、原子炉安全基準の部会におきましては、原子炉の立地基準をどうするかというようなこと、次には事故時におけるところの基準線量をどうきめるか、また気象条件をどうするか、四番目には原子炉の事故評価をどうするか、五番目に原子力船の安全基準、六番目には技術的基準をどうきめていくか、七番目に原子炉設置許可申請書の記載要領をどうするのか、というようなことにいたしておりまして、七つの小委員会を設けて目下審議を進めておるわけでございます
○岡委員 この間、私ども附帯決議の中でも、原子炉の安全立地基準というものをやはり原子力委員会としては作ってほしいということです。この安全立地基準と、そして周辺の整備というものは、これは不可分の問題でありますから、やはり原子力委員会としても積極的に責任をとって乗り出していかなければならぬ。
しかし、先ほども申し上げました通りに、大体基準部会としての勉強の時代というものはすでに終わりまして、先ほども引用いたしましたアメリカの出しております立地基準と同じ性格のものでございますならば、私たちの手によってもそういうものがごく近い将来にできるものだろうと考えておるわけでございます。
もし、立地条件の基準といったようなものを、そういうやや抽象的な、つまり、ある意味では安全性を守るための方針といったようなものだけで御満足いただけますといたしますと、私たちの方の勉強もそれほど進歩していないわけではございませんので、割合に近いうちに、そういう意味での、やや抽象的な形での立地基準といったようなものを、どういうところに原子炉を置くのが好ましいといったような意味でのものでございますならば、作
○岡委員 アメリカでこの二月の十日に出した立地基準にいたしましても、民間原子力産業の原子炉設置等に対してチェックになるのではないかということから、その側の反対が予想されるのだということが最近伝えられております。しかし、今のところ、これは七月になればはっきりきまってくる。
ところが、一方、二十何年も原子力の研究を進めているアメリカでは、原子力委員会でこういうシビアな原子炉の立地基準をきめておる。私の申し上げたいのは、今、何も一生懸命東海村で建てている炉をやめてしまえというのじゃないのですよ。ただ、これからはもっと安全性というものについて原子力委員会が責任を持たなければならぬ。
○杠政府委員 アメリカにおけるただいま御指摘になりましたところの立地基準でございますが、立地基準は、昨日も有沢委員からお答え申し上げましたように、二月に公表いたしました。それ以来、百二十日間の期限をもちまして各方面からそれに対するところの意見を聴取することになっております。