1986-10-29 第107回国会 衆議院 商工委員会 第3号
大蔵省にちょっと聞くのですが、その今見たあるいは知っておるという事実関係書類では、私はここに資料を持ってきておるわけですが、言葉で言えば第二十五立勝丸関係、これは申請人は立木喜一という人です。これは各大臣あてにトラック島に輸出をするという、運搬船として使用するという誓約書までついておるのです。これは申請が五十九年三月三日。これは事実と違うわけです。
大蔵省にちょっと聞くのですが、その今見たあるいは知っておるという事実関係書類では、私はここに資料を持ってきておるわけですが、言葉で言えば第二十五立勝丸関係、これは申請人は立木喜一という人です。これは各大臣あてにトラック島に輸出をするという、運搬船として使用するという誓約書までついておるのです。これは申請が五十九年三月三日。これは事実と違うわけです。
この立勝丸の輸出の手続をとった人はこの船主の友達、知人。この知人という人が昭和五十六年ごろから五十八年にかけて、関連会社を輸出元にしてパラオ向けにそういう商売というか輸出をやったわけですね。そのときの漁船の五隻が実際にはインドネシアでマグロ漁船として使われておるわけですね。船の名前は、第三拓洋丸、第十六合栄丸、第八瑞漁丸、第一瓢漁丸、現在は瓢洋丸と名前を変えておる。それと第八万漁丸。
そこで今の第二十五立勝丸、これに絞って言いますと、大阪税関の管轄にある下津税関支署、これに対してトラック島を輸出先、こういうふうに申告手続していますね。下津税関支署はこの関係書類はもちろん受理しているわけですね。にもかかわらず、その船が出航のときに立勝丸の乗組員が、輸出先と全く違うニューカレドニアに行く、こういうふうに言っているのです。