1979-03-03 第87回国会 衆議院 予算委員会 第18号
われわれ社会党がかつて終戦後労働省を——米窪滿亮さんが第一回の労働大臣になったと思うのだが、そんな労働省をつくるためにわれわれは今日の労働省をつくったとは思っていないですよ。これは明らかに行政の怠慢じゃないか、私はそう思う。
われわれ社会党がかつて終戦後労働省を——米窪滿亮さんが第一回の労働大臣になったと思うのだが、そんな労働省をつくるためにわれわれは今日の労働省をつくったとは思っていないですよ。これは明らかに行政の怠慢じゃないか、私はそう思う。
そのときに、その結論からいって、私の先輩である初代労働大臣をやった米窪滿亮は賛成しておりますよ。労農党は条件づきで賛成しておる。共産党さんはまっこうから反対をしておる。
一九一九年、日本労働組合総同盟友愛会が、友愛会という労資協調的な名称を振り捨てて日本労働総同盟となり、最低賃金制を要求して以来ここに四十年、ILO最低賃金制の条約をめぐって、政府、使用者代表反対の中に、労働者代表、故米窪滿亮氏が、わが国の低賃金の実情を訴え、最低賃金制採用の急務を強調し、賛成投票をして以来ここに三十年、まさに、政府の似て非なる最低賃金法案が本院を通過するか、全労働者の統一したわが党修正案
○倉石国務大臣 かつて数年前に米窪滿亮君と私と提案者になりまして、ILO条約はあとう限り数多くすみやかに批准すべしという決議案を衆議院で提案いたしまして、その趣旨説明を私がやったのであります。
昭和二十六年一月十六日 委員米窪滿亮君は死去された。 同月三十日 委員柳原三郎君辞任につき、その補欠として河 本敏夫君が議長の指名で委員に選任された。 同月三十一日 山口シヅエ君が議長の指名で委員に補欠選任さ れた。 二月一日 委員尾関義一君辞任につき、その補欠として岡 村利右衞門君が議長の指名で委員に選任された。
議事に入るに先だちまして、元運輸委員会の委員でありました故米窪滿亮君に対し哀悼の意を表したいと存じます。 米窪滿亮君は去る第八国会以来本委員会の委員として、多年の斯界の御経験に基き、議案の審査にあるいは国政の調査に、全知全能を傾倒されたのであります。
○益谷秀次君 ただいま議長から御報告のありました通り、本院議員米窪滿亮君は、本月十六日、にわかに逝去せられました。さきに病を得てから、引続き御静養中と承つておりましたが、やがて御回復のことと期待いたしておりましたにもかかわらず、不幸にしてこの悲報に接し、心から哀悼の至りにたえません。この際私は、諸君の御同意を得て、議員一同を代表いたし、つつしんで弔意を表したいと存じます。
昭和二十六年一月二十七日(土曜日) 議事日程 第五号 午後一時開議 一 国務大臣の演説に対する質疑 ————————————— ●本日の会議に付した事件 懲罰委員長辞任の件 常任委員長の補欠選挙 故議員米窪滿亮君に対する益谷秀次君の哀悼の辞 地方公共団体の議員及び長の選挙期日等の臨時特例に関する法律案(内閣提出、参議院回付) 両院協議会協議委員の選挙 国務大臣の演説に
議員米窪滿亮君は去る一月十六日逝去せられました。まことに痛惜哀悼の至りにたえません。米窪君に対する弔詞は、議長において先例によりすでに贈呈いたしました。 この際同君に対し弔意を表するため発言を求められております。これを許します。益谷秀次君。 〔益谷秀次君登壇〕
○小澤委員長 次に、米窪滿亮君に対する追悼演説の問題ですが、大体自由党からその人を選ぶことには、この前了解を得ておりますが……。
○大池事務総長 そこで弔詞の案は、衆議院ハ多年憲政ノ為ニ尽瘁シ襲ニ国務大臣の重任ニアタリタル議員正八位勲四等米窪滿亮君ノ長逝ヲ哀悼シ恭シク弔詞ヲ呈ス こういうことでございます。
○小澤委員長 それでは予備金から米窪滿亮君に対する弔慰金を支出するに決して御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
昭和二十五年十二月九日(土曜日) 午後一時五十分開議 出席委員 委員長 前田 郁君 理事 大澤嘉平治君 理事 岡田 五郎君 理事 坪内 八郎君 理事 原 彪君 理事 米窪 滿亮君 尾崎 末吉君 尾関 義一君 黒澤富次郎君 玉置 信一君 前田 正男君 中西伊之助君 飯田 義茂君 石野 久男君
昭和二十五年十二月八日(金曜日) 午前十時四十五分開議 出席委員 委員長 前田 郁君 理事 大澤嘉平治君 理事 岡田 五郎君 理事 坪内 八郎君 理事 原 彪君 理事 米窪 滿亮君 尾崎 末吉君 尾関 義一君 黒澤富次郎君 玉置 信一君 畠山 鶴吉君 堀川 恭平君 前田 正男君 滿尾 君亮君
昭和二十五年十二月六日(水曜日) 午後一時四十五分開議 出席委員 委員長 前田 郁君 理事 岡田 五郎君 理事 坪内 八郎君 理事 原 彪君 理事 米窪 滿亮君 尾崎 末吉君 黒澤富次郎君 玉置 信一君 畠山 鶴吉君 滿尾 君亮君 山崎 岩男君 江崎 一治君 飯田 義茂君 石野 久男君
昭和二十五年十二月五日(火曜日) 午後二時六分開議 出席委員 委員長 前田 郁君 理事 大澤嘉平治君 理事 岡田 五郎君 理事 坪内 八郎君 理事 原 彪君 理事 米窪 滿亮君 稻田 直道君 尾崎 末吉君 尾関 義一君 黒澤富次郎君 玉置 信一君 畠山 鶴吉君 前田 正男君 滿尾 君亮君
昭和二十五年十二月四日(月曜日) 午前十時三十九分開議 出席委員 委員長 前田 郁君 理事 大澤嘉平治君 理事 岡田 五郎君 理事 坪内 八郎君 理事 原 彪君 理事 米窪 滿亮君 稻田 直道君 尾関 義一君 玉置 信一君 畠山 鶴吉君 堀川 恭平君 前田 正男君 滿尾 君亮君 山崎 岩男君
昭和二十五年十一月二十八日(火曜日) 午後一時四十八分開議 出席委員 委員長 前田 郁君 理事 岡田 五郎君 理事 坪内 八郎君 理事 原 彪君 理事 米窪 滿亮君 尾崎 末吉君 小関 義一君 黒澤富次郎君 玉置 信一君 堀川 恭平君 前田 正男君 滿尾 君亮君 山崎 岩男君 木下
昭和二十五年十一月二十日(月曜日) 午後二時三十五分開議 出席委員 委員長 前田 郁君 理事 岡田 五郎君 理事 米窪 滿亮君 尾崎 末吉君 黒澤富次郎君 玉置 信一君 坪内 八郎君 畠山 鶴吉君 堀川 恭平君 前田 正男君 滿尾 君亮君 山崎 岩男君 清藤 唯七君 委員外の出席者
委員長に 大澤嘉平治君 小委員に 岡田 五郎君 黒澤富次郎君 畠山 鶴吉君 滿尾 君亮君 原 彪君 木下 榮君 坪内 八郎君 米窪 滿亮君 中西伊之助君 を指名いたします。
昭和二十五年十月三日(火曜日) 午後一時三十五分開議 出席委員 委員長 前田 郁君 理事 大澤嘉平治君 理事 岡田 五郎君 理事 米窪 滿亮君 尾崎 末吉君 黒澤富次郎君 坪内 八郎君 畠山 鶴吉君 前田 正男君 滿尾 君亮君 淺沼稻次郎君 中西伊之助君 飯田 義茂君 委員外の出席者
昭和二十五年九月二十日(水曜日) 午後一時三十六分開議 出席委員 委員長代理 理事 大澤嘉平治君 理事 岡田 五郎君 理事 米窪 滿亮君 尾崎 末吉君 片岡伊三郎君 黒澤富次郎君 玉置 信一君 畠山 鶴吉君 前田 正男君 滿尾 君亮君 山崎 岩男君 江崎 一治君 石野 久男君 委員外の出席者
昭和二十五年九月十九日(火曜日) 午後一時四十一分開議 出席委員 委員長代理 理事 大澤嘉平治君 理事 岡田 五郎君 理事 原 彪君 理事 米窪 滿亮君 岡村利右衞門君 尾崎 末吉君 片岡伊三郎君 黒澤富次郎君 坂本 實君 玉置 信一君 堀川 恭平君 前田 正男君 山崎 岩男君
昭和二十五年七月三十一日(月曜日) 午後二時三分開議 出席委員 委員長 前田 郁君 理事 大澤嘉平治君 理事 岡田 五郎君 理事 坪内 八郎君 理事 原 彪君 理事 米窪 滿亮君 黒澤富次郎君 玉置 信一君 畠山 鶴吉君 前田 正男君 滿尾 君亮君 山崎 岩男君 木村 俊夫君 江崎 一治君