2006-11-08 第165回国会 衆議院 厚生労働委員会 第5号
そこで、原因を考えてみますと、まず予防接種の空白時代があります。風疹の予防接種は、昭和五十二年に、女子中学生だけを対象に、学校での集団形式で始まりました。平成六年の制度改正によりまして、平成七年四月からは、男女を問わず生後十二月から九十月未満が対象となり、個別方式となりました。
そこで、原因を考えてみますと、まず予防接種の空白時代があります。風疹の予防接種は、昭和五十二年に、女子中学生だけを対象に、学校での集団形式で始まりました。平成六年の制度改正によりまして、平成七年四月からは、男女を問わず生後十二月から九十月未満が対象となり、個別方式となりました。
今は精神の空白時代だと言われておりますけれども、人格の高潔さとかあるいは最高の人間性をどうやって子供たちに植えづけていくか、それが最大の課題であろうと思います。 数年前にロス・オリンピックで、柔道の種目で日本の山下選手とエジプトのたしかラシュワン選手が決勝戦をいたしました。
進駐車の命令によって一時期空白時代が続いて、非常に苦しい生活をした人々が多いわけでございます。私は、大きな意味で言えば、戦後の精神の荒廃、現在いろいろ叫ばれておるのはそこから出てきておるのじゃないかとさえ思っているものでございます。
ただいま御指摘のように、そうは申しましても、やはり二十七年間の戦後の空白時代にいろいろな問題が山積をしておりまして、いやしくもやはり個人個人の方にとりましては、土地という重要なる所有権の争いの問題でございますので、必ずしもこれが円満かつ速やかに合意に達するというケースばかりではございません。
まあそれだから、いま言った損とか得とかいうのではなくして、国民の審判を仰がなければならぬような、そのときの諸般の社会情勢も、やはり解散というある程度空白時代がありますから、それをやっても差し支えないというような情勢を考えて、解散というものは、もう来年だけですからね、任期はそうたくさんあるわけではないですから、そういうことですから、いま考えておりませんが、もし考えるとするならば、そういう条件のもとにおいて
しかし、実際に議員立法で努力をしておる自民党の皆さんが、その十日近い空白時代を経て、そして提案されたときには、単独修正の提案、最後に提案されてからわれわれの了解を、こういうかっこうなんですね。これが与党の政党としての、あるいは政策機関を持っておられる自民党としての野党に対する議員立法の進め方かということなんですね。
防衛力増強の空白時代があってはならぬと言われるけれども、空白じゃない。防衛力は減りはせぬのだ。現実にあるのだ。それをどうしてもというところに、私は国民が納得できないところの最大のものがあると思うのです。
これに対する、私は、これは政治のいわば空白時代があるということですね。これは重大ですよ。この問題を明らかにしたのは、これはNHKで国会討論の録音をやっておって、私たち参っておりました。そこで、アカハタの平壌の特派員の小林君が出してきた特電によりまして、実は昨晩の七時に着いた、そうして山村、さらに機長も犯人たちもおりた、宿舎に収容されたということが明らかになった。
まず第一に、本土の法令の適用基準ということをうたっておりますが、これは具体的に、二十数年の空白時代というものは、社会的に、制度としても、あるいは社会構成というものが、かなり本土と違っておる面があるわけです。こういう面に対して、どういう法令を適用して、どういうことをやろうとするか、その概要をいま言える範囲でけっこうでございますから、まず最初に承りたい。
そしてその技術導入というのは戦中、戦後のいわば空白時代を縮小させた、埋めた、こう考えることができると思います。
しかし、その国債は、御承知のように戦後二十年、そういう空白時代があってようやく始めたのであります。私は個人として、なかなかなじみがたい制度ではないかと思うのです。したがって、この国債についての国民の積極的理解を得るためには、政府におきましても、さらにこれらの点について十分注意をすることが必要だろうと思います。
そういうヨーロッパ全体と比較しますと、日本は、言うならまだ空白時代で、実はこれからなんだ。つまり、ヨーロッパにあるような事態にこれから進めるのだというのが、世界的な視野に立ったアメリカの企業の経営戦略なんじゃないか、これは明らかにはっきりしていると思います。
これはどういうわけであろうかと申しますと、歴史的に振り返りますと、結局、日本の航空に空白時代があったということがあげられます。昭和二十七年に平和条約が発効するまでは、日本の飛行機というものは禁止されておったということ。したがって、やっと二十八年の九月に日米航空協定が発効した。そして初めて国際線に進出することができるようになった。で、翌二十九年二月に北米線が開始された。
ただ実際問題としまして、日本といたしましては、戦後における民間航空の空白時代がございましたので、現在はまだ理想にはほど遠い段階でございます。私どもといたしましては、鋭意これを振興いたしまして、そしてそれに近づきたい、かように考えております。
空白時代が続く。年号は要るのか、要らぬのか、あるいは要るとすればどういうふうにするのか、こういう問題について、しばしば質問を繰り返しておる。公式制度等についていろいろと話し合いの機関をつくられておるようですけれども・一向結論が出ないようです。「大喪の礼を行う。」——大喪のほかに現に生きていると思われる国葬礼というのがある。国葬礼と大喪というのは大体どういう関係があるかわからない。
○池田(正)国務大臣 これは現実的に考えまして、御承知のように、日本の十何年の空白時代を経て、今、日本なら日本の柱をはっきりして基礎科学からやっていきたい、これは一つの私どものりっぱなアイデアだと思います。しかしそれだけでは追っつかないというのが現実じゃなかろうか、それだから、今の短期大学なりそういうものも必然的に生まれてきた。
そういう意味で、今基本的には、二本の柱だと先ほどお話が出ましたが、二本の柱だけでは——この空白時代を経た現在の日本の段階としてはやむを得ないのじゃないかというふうに考えております。
そういうわけで原子力の面におきましてもその他の面におきましても、幸い終戦後あの空白時代を経て今日、ようやくにして日本の科学技術というものが立ち上がりまして、そして今や建設の時代に入ってきたということだけは申されると思います。
○池田(正)国務大臣 まことに心強い御支援のお言葉だと私は拝聴したのですが、御承知のように残念ながら終戦後長い間の空白時代があったために、日本の科学技術が若干おくれておる。そこで今その基盤を作るのに、つまり基礎的なものを作っていくのに精一ぱいでやっておる。これができ上がると、あなたが今おっしゃったように世界的にこれは飛躍の時代、そういう時代を一日も早くわれわれは取り返さなければならぬ。
○山田節男君 時間がございませんから、非常に端折って、しり切れトンボの質問になりますが、せっかく科学技術庁長官もわざわざお越し願っていることでありますから、科学技術の問題でありますが、これは私は、何と申しましても、日本は、戦争中、戦後、科学技術に対します非常な空白時代が長うございまして、今日の欧米諸国に比べれば、幾多の面においてまだおくれておると思うのであります。