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152件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1977-03-04 第80回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

ただいま御指摘のように、そうは申しましても、やはり二十七年間の戦後の空白時代にいろいろな問題が山積をしておりまして、いやしくもやはり個人個人の方にとりましては、土地という重要なる所有権の争いの問題でございますので、必ずしもこれが円満かつ速やかに合意に達するというケースばかりではございません。

亀谷礼次

1975-06-26 第75回国会 衆議院 決算委員会 第17号

まあそれだから、いま言った損とか得とかいうのではなくして、国民の審判を仰がなければならぬような、そのときの諸般の社会情勢も、やはり解散というある程度空白時代がありますから、それをやっても差し支えないというような情勢を考えて、解散というものは、もう来年だけですからね、任期はそうたくさんあるわけではないですから、そういうことですから、いま考えておりませんが、もし考えるとするならば、そういう条件のもとにおいて

三木武夫

1973-04-17 第71回国会 衆議院 地方行政委員会 第16号

しかし、実際に議員立法で努力をしておる自民党の皆さんが、その十日近い空白時代を経て、そして提案されたときには、単独修正の提案、最後に提案されてからわれわれの了解を、こういうかっこうなんですね。これが与党の政党としての、あるいは政策機関を持っておられる自民党としての野党に対する議員立法の進め方かということなんですね。  

山本弥之助

1970-04-07 第63回国会 参議院 外務委員会 第6号

これに対する、私は、これは政治のいわば空白時代があるということですね。これは重大ですよ。この問題を明らかにしたのは、これはNHKで国会討論の録音をやっておって、私たち参っておりました。そこで、アカハタの平壌の特派員の小林君が出してきた特電によりまして、実は昨晩の七時に着いた、そうして山村、さらに機長も犯人たちもおりた、宿舎に収容されたということが明らかになった。

岩間正男

1970-04-02 第63回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第9号

まず第一に、本土法令適用基準ということをうたっておりますが、これは具体的に、二十数年の空白時代というものは、社会的に、制度としても、あるいは社会構成というものが、かなり本土と違っておる面があるわけです。こういう面に対して、どういう法令を適用して、どういうことをやろうとするか、その概要をいま言える範囲でけっこうでございますから、まず最初に承りたい。

美濃政市

1968-03-06 第58回国会 参議院 本会議 第6号

しかし、その国債は、御承知のように戦後二十年、そういう空白時代があってようやく始めたのであります。私は個人として、なかなかなじみがたい制度ではないかと思うのです。したがって、この国債についての国民積極的理解を得るためには、政府におきましても、さらにこれらの点について十分注意をすることが必要だろうと思います。

佐藤榮作

1965-04-09 第48回国会 衆議院 運輸委員会航空に関する小委員会 第2号

これはどういうわけであろうかと申しますと、歴史的に振り返りますと、結局、日本航空空白時代があったということがあげられます。昭和二十七年に平和条約が発効するまでは、日本の飛行機というものは禁止されておったということ。したがって、やっと二十八年の九月に日米航空協定が発効した。そして初めて国際線に進出することができるようになった。で、翌二十九年二月に北米線が開始された。

栃内一彦

1964-03-13 第46回国会 衆議院 内閣委員会 第9号

空白時代が続く。年号は要るのか、要らぬのか、あるいは要るとすればどういうふうにするのか、こういう問題について、しばしば質問を繰り返しておる。公式制度等についていろいろと話し合いの機関をつくられておるようですけれども・一向結論が出ないようです。「大喪の礼を行う。」——大喪のほかに現に生きていると思われる国葬礼というのがある。国葬礼大喪というのは大体どういう関係があるかわからない。

受田新吉

1961-04-01 第38回国会 衆議院 文教委員会科学技術振興対策特別委員会連合審査会 第1号

池田(正)国務大臣 これは現実的に考えまして、御承知のように、日本の十何年の空白時代を経て、今、日本なら日本の柱をはっきりして基礎科学からやっていきたい、これは一つの私どものりっぱなアイデアだと思います。しかしそれだけでは追っつかないというのが現実じゃなかろうか、それだから、今の短期大学なりそういうものも必然的に生まれてきた。

池田正之輔

1961-03-10 第38回国会 衆議院 内閣委員会 第11号

池田(正)国務大臣 まことに心強い御支援のお言葉だと私は拝聴したのですが、御承知のように残念ながら終戦後長い間の空白時代があったために、日本科学技術が若干おくれておる。そこで今その基盤を作るのに、つまり基礎的なものを作っていくのに精一ぱいでやっておる。これができ上がると、あなたが今おっしゃったように世界的にこれは飛躍の時代、そういう時代を一日も早くわれわれは取り返さなければならぬ。

池田正之輔

1961-03-07 第38回国会 参議院 予算委員会 第9号

山田節男君 時間がございませんから、非常に端折って、しり切れトンボ質問になりますが、せっかく科学技術庁長官もわざわざお越し願っていることでありますから、科学技術の問題でありますが、これは私は、何と申しましても、日本は、戦争中、戦後、科学技術に対します非常な空白時代が長うございまして、今日の欧米諸国に比べれば、幾多の面においてまだおくれておると思うのであります。

山田節男