2007-05-08 第166回国会 参議院 日本国憲法に関する調査特別委員会 第9号
それから、思惑があってと言いますけれども、かつて神戸空港の住民投票のとき、それから徳島の住民投票のとき、人吉のダムに関する住民投票のとき、すべて、当時反対した人たちは署名集めをしている人たちに、要するに直接請求で署名集めしている人たちに思惑があるからだと、それは空港反対の思惑があるからだと、吉野川でいったら可動堰反対の思惑があるからだと。思惑があろうがなかろうが関係ないことなんですよね。
それから、思惑があってと言いますけれども、かつて神戸空港の住民投票のとき、それから徳島の住民投票のとき、人吉のダムに関する住民投票のとき、すべて、当時反対した人たちは署名集めをしている人たちに、要するに直接請求で署名集めしている人たちに思惑があるからだと、それは空港反対の思惑があるからだと、吉野川でいったら可動堰反対の思惑があるからだと。思惑があろうがなかろうが関係ないことなんですよね。
かつて私は静岡空港反対、やってきました、あそこへ行って。何も高速道路、新幹線、空港、羽田すぐそばにあるのに、ここに何で空港必要だと言って。まあ造っているんでしょう、恐らく。土地収用法掛けなきゃやれない土地が一杯ありましたけれども。
一九七四年といいますと、大臣はまだ十歳のころでございますので、私はそのとき二十四歳でございまして、空港反対運動をしておりました。
実は、国会図書館に行って何を調べようかと思いましたのは、私はたしか一九七〇年の末ぐらいまでは空港反対の側だったんです。
私の経験したケースですけれども、いわゆる統合失調症の患者さんで、かつての成田空港反対闘争で火炎瓶闘争をやった方がいるんですね。この方と付き合ってもう十五年ぐらいになります。彼が非常に心の外傷になっているのは、自分が火炎瓶を投げた相手のお巡りさんがどうしているんだろうかということを非常に心配している、トラウマになっているんですね。
つまり、空港反対ムード一色であった。それが現実の姿でございました。 そして、もう一つは、そういう中で、例えば夜間の飛行ができない、そういう問題が起こってまいりました。しかし、一方、国際化というのが進展をしてきました。
ことし二月末に朝日新聞が行った世論調査では、賛成が二二%、空港反対が六二%、四月の神戸新聞の調査では賛成が二二%、凍結・中止が五六%でした。 被災者の生活再建を最優先にして、空港建設は中止すべきです。この点を指摘して、質問を終わります。
一九九三年六月、第二期計画用地の一般土地収用法に基づく収用裁決申請はすべて取り下げる、そして話し合いによってやりますというて、反対運動にかかわられた農民の皆様へというて、これは運輸大臣が、強権的にやったらだめなんだということをおわびして、そしてそういうことは取り下げますという文書まで出しましたが、これは平成七年の一月二十日付の、成田空港反対農民に対する書簡の発出についてといって、閣議報告までやられていますね
また、一坪の共有地がございますが、一坪共有地については、農民の空港反対運動を支援するものということでございますので、まず地権者でございます農家が話し合いにより解決されるということになれば、本来おのずから解決されるべきものであろうかと考えておるところでございます。
それから、政治論で申し上げたいんですけれども、かつて成田空港反対闘争がありました。歴代の運輸大臣が大変な思いをして今ようやくおさまろうとしている。これは一つの県ですね。これは一つの県の千葉県で、県民の皆さんが一体成田空港闘争についてどう思っておられるか。県議会が成田空港設置反対を言うでしょうか。知事が反対を言うでしょうか。地域の反対でもこれだけずっともつんです。
円卓会議の結論によって空港をめぐる対立構造は解消され、昨年夏以降、これまで空港反対同盟の代表的存在であった農民の方々との合意や裁判上の和解を行う等、成田空港の問題は解決に向けて着実に進展しつつあります。今後は、円卓会議の結論を踏まえて、地域と共生できる新東京国際空港の整備に積極的に取り組んでまいる所存であります。
また、過激派集団は、破防法粉砕、安保粉砕・米軍基地撤去、自衛隊海外派兵阻止、成田空港反対などを闘争課題に掲げて、依然としてテロ・ゲリラ活動を基軸とする闘争の展開を強く主張しており、今後とも十分な警戒を要するものと考えています。
また、過激派集団は、破防法粉砕、安保粉砕・米軍基地撤去、自衛隊海外派兵阻止、成田空港反対などを闘争課題に掲げて、依然としてテロ・ゲリラ活動を基軸とする闘争の展開を強く主張しており、今後とも十分な警戒を要するものと考えています。
それが、昭和四十年代に入りましてから、施設の改築の際に住民の反対運動が勃発いたしまして、これが大変深刻な問題に発展しまして、それこそ地域ぐるみの反対運動、成田の空港反対運動ほどではございませんけれども、青森では相当、市民のうちで知らない者はないというぐらいの大変深刻な運動に発展いたしました。
しかし、今後空港反対活動に伴う不法行為の発生もございますので、地元の大阪府警察におきまして関西空港警察署を、これは仮称でございますけれども、ことしの四月一日に発足をする予定になっております。
なお、現在も成田空港の周辺には十四セクト、約百人の極左暴力集団が十五カ所のいわゆる団結小屋と称する地点に常駐いたしておりまして、空港反対同盟への支援活動を行っているところでございます。
私に言わせれば、社会党は空港反対運動の火つけ役であり、強力な指南役であった、こう理解をいたしております。現に、五十五人もの社会党国会議員が加わって、まだ残っておる全国に散らばる千二百人もの一坪地主をつくり上げておるのであります。しかし、学生などが加わり運動がだんだんと激化してくるにつれて、いつの間にか社会党は反対運動から手を引いてしまわれたのであります。
「社会党は三里塚空港反対同盟のたたかいを一貫して支持している。それは三里塚のたたかいが、土地と生活と権利とを守るたたかいであり、政府と真っ向から対決するたたかいだからだ。」「政府と真っ向から対決するたたかいだからだ。」その政府と真っ向から対決をすると委員長みずからがおっしゃっていた運動をなぜおやめになったのですか。
帰ってきて開拓地をあそこで開墾して、そしてやっと実りかけたところに今度はお国のために空港でひとつ出してくれぬか、こういう仕打ちを受けておりますから、やっぱりこの人たちが空港反対で命がけで立ち上がる理由はそこにある、そう思うんですね。それを政府権力でもって強行する、この繰り返しか二十五年の歴史じゃなかったかと私は思うんですよ。
○翫正敏君 成田空港反対派の農家の方々が今日に至っても土地を売らないということで反対しておられる一番大きい原因は、二十年前の一番最初の地元への説明というもの、これが不十分であったというところに、突然降ってわいたようにこの建設計画が地元の人たちの寝耳に水という形で出てきたというところに大きい原因があると私は思っているわけであります。
○木村説明員 先生のお話にありましたように、空港建設に反対するために結成されました三里塚・芝山連合空港反対同盟は、昭和五十八年三月に一坪共有化運動をめぐって対立をいたしまして、いわゆる一坪再共有化を推進するグループ、いわゆる熱田派でございますが、これと、これに反対するグループ、いわゆる北原派の二派に分裂をいたしております。
これらの事業の主な遅延理由は、成田用水事業にありましては、過激派によります妨害や空港反対農家の事業への加入促進が図られていなかったこと、河川事業については、地盤不良のため工事の進展が図られなかったこと等でございますが、自治省としましても、関係地方公共団体及び関係省庁と十分連絡をとりながら、今回お願いします五年間延長という範囲内におきまして事業を完了するよう最大限の努力をしてまいりたいと考えております
空港反対派の方の所有地でございます。 それから、成田用水事業でございますが、成田用水事業自体は用地の問題ももちろん若干あるわけでございますが、先ほど申しましたように、事業が直接空港建設と結びつけられており、空港反対派農家及び反対派拠点への立ち入りができない、工事ができない、こういうような状況でございます。