1966-06-25 第51回国会 衆議院 農林水産委員会 第54号
したがいまして、この農業基本法の規定から考えますならば、制定当時の説明によりますれば、将来日本においては穀菽農業はだんだん減退をするんだ、農業生産物の増進は、畜産なり果樹なりの需要が非常な増加をするのであるから、したがって、畜産、果樹の方面をどんどん増進をしなければならぬ、そういう方向に日本の農業を発展させるという説明であったわけであります。
したがいまして、この農業基本法の規定から考えますならば、制定当時の説明によりますれば、将来日本においては穀菽農業はだんだん減退をするんだ、農業生産物の増進は、畜産なり果樹なりの需要が非常な増加をするのであるから、したがって、畜産、果樹の方面をどんどん増進をしなければならぬ、そういう方向に日本の農業を発展させるという説明であったわけであります。
そうすると、従来の穀菽農業に六百万町歩、今後畜産並びに果実、蔬菜農業、あるいは濃厚飼料農業に四百万町歩、合わせて一千万町歩です。一億人に一千万町歩、一人一反、ここまでの計画を立てるならば、それくらいのことをやるならばほんとうの革命といえるのです。赤城農林大臣はある席でこういうことを言われた。
なぜかというと、冷風と潮風のために受粉作用ができませんから、穀菽農業が行なわれないのです。畜産農業というものは、改良をやらなかったものですから草がどこでもできるのです。それを改良して漁家に五町歩なり七町歩与えるのです。そうすると、牛も三頭や五頭飼えるのです。奥さんがやれるのです。そうすると、沖からとってきたものだけが余分の収入のようなことになって、五、六頭の牛を飼えばそれで十分に生活ができる。
産業の、いわゆる経済の成長は、結局働く者の所得を増加するということでありますから、生活が一般に向上いたしますというと、資本構造というものが非常に違って参りまして、従来のような穀菽農業だけをやっておるような農業は使命を果たせない。現状のままならば農業は行き詰まらざるを得ないというような立場にも追い込まれておると考えざるを得ないのであります。
○庄野政府委員 構造改善の方向に資するようにという方針が、農業関係の開拓のあり方についてはあるわけでございまして、われわれといたしましては、従来の戦後に行なわれました緊急開墾というものが、いわゆる食糧増産、特に穀菽農業に中心を置いた農業経営のもとにおきまして、戦後急激に海外からの引き揚げなり、あるいは軍関係等からの帰村ということで、そういう人にも入植して職を与える、そういった面から進められた面を十分改
そのために穀菽農業ができないということで、穀菽農業中心の農業指導というものが今までその方面ではできなかった。海岸線は、特に土壌は悪くないけれども、ほとんど開発されておりません。これを集団的に、いわゆるオランダやデンマークにおけるような方向にやりまして、所有権がいろいろに分かれておりますから、それを一つに統一して、開拓事業、草地改良の大規模のものをやる。
その点からいたしましても、九月末の穀菽地帯におきますこの三県の買い入れ数量は、それぞれの要素を織り込みましても相当上回っているということが言えるわけでございます。 それから、御指摘ございました県内地帯別の取り扱いの問題につきましては、これは私ども過去において仕事をやっておりまして、かような陳情なり御要望をいろいろ受けているわけでございます。
振興計画の内容は、どちらかと言いますと、現在、やはり、従来の穀菽農業よりも、あるいは畜産をおもにするとか、あるいは果樹とかに切りかえる、そのために必要な金を貸してくれというのが多うございますので、私どもは、開拓審議会でまた別な結論を得ればそのときでございますが、現在の考え方としては、そういうものに融資をしましてやはり進めていくということでそれに対処したらどうだろうかというふうに思っております。
その点は穀菽の濃厚飼料はもとよりですが、草地改良等による牧草の供給増加というものもこれとあわせて考えなければならぬ問題であろうと思います。要は、御指摘のように、家畜のこれからの大幅の伸びを期待しておるわれわれとしては、飼料に対する対策は、今まで以上に今後は対策を強化して考えていくべきものであり、私どももその線に沿うて今後考えていきたいと思っております。
それが穀菽農業を中心に指導してきたものですから、潮風と冷風のために受粉作用ができない。それで土壌は悪くないのです。もう牧草でもその他の飼料作物なり何でもできるんです。それをただ今までみたいなちゃちな草地改良のような行き方でなく——オランダなんかでは海を埋め立てて、三十万町歩も海底を耕して、そこに牧畜を営んでオランダの民族の食糧の自給をやっておる。また輸出もしております。
それから食糧増産というような面からいたしまして、主食とを穀菽生産重点というようなことを考えたのが一つの柱でございます。それから農地の買収等につきましても、話し合いでというようなことよりも、むしろ強制買収というような形でやっていたわけでございます。
それはどこからきたかといえば三千年来の穀菽農業、瑞穂の国という考え方、地形の上においてこれ以上利用することができないというところにあると思います。従って地形は平らであっても冷害その他気候、自然条件の関係において穀菽農業ができないというところは放置してあります。こういう状況で国民の四割も保有する農民の生活を他産業に一致させるなんということは、とても私は思いも寄らぬことであると思う。
御承知のように、基本営農類型は昭和三十三年度に設定されましたものでございまして、従来の営農類型が米麦といった穀菽、あるいはイモ等の増産に偏重するきらいがありました。
従来と特に考え方を変えておりますのは、従来は穀菽農業が中心というような考え方でございました。食糧増産といいますか、そういうような考え方で、開拓営農が貫かれておったのでございます。
で、私ども、五年ばかりたちまして、こういう穀菽経営ではいけないということで研究会もいたしましたが、当時農林省の方もお入り願いました結論は、現在開拓予算というものは食糧増産対策費で計上されておるのだから、穀物の増産ということで経済効果が判定をされておるのだ、君方が言われるように酪農であるとか果樹であるとかいうような経営形態では予算がつかないから、しばらくそれを伏せておいた方がよかろうということを言われまして
それで、われわれとしましては、既入植者の方につきましては、振興計画というものが、これは、ある程度、従来の営農の形態から見ますれば、特に酪農の方面に向かいますとか、あるいはまた果樹地帯では果樹に向かうとか、従来の穀菽中心の営農形態からだいぶ変りました、基本営農類型で考えておりますような営農の振興といいますか、そういうふうに振興計画というものもかなり私は新しい内容が盛られておるというふうに判断いたしております
利用していないということでは、これは農業の構造改善なんか、思いもよらぬことだと思うのです、でありますから、私は牧畜を中心とする草地の改良ということを考えるならば、さらに一五%くらいのものが草地として放置してあると思うのです、その土地の種目をいうならば、泥炭地や火山灰地帯は相当ありますが、これはお金が大へんかかるから、あと回しにいたしましても、東北、北海道、あるいは北陸方面における潮風の害によりまして穀菽農業
これは穀菽農業というものを中心に見た場合にそういうことになって、しかも、その穀菽農業をやっている所は、経営面積が非常に大きい。従って、動物を入れることがかえって集約になる地帯では、やはりそういう問題が起きてくるわけであります。
現地の営農体系をどう持っていくかというようなことにつきましては、ただいまの開払地におきましては、戦後の緊急開拓時代の穀菽農業車点の開拓から、現在におきましては酪農体系あるいは場所によりましては果樹、蔬菜といったような方向にこれを切りかえていく、こういうような考え方で、われわれも営農の指導をいたしておるわけでありますが、現地の営農指導にもそういう考え方で、現地に適したものを、何をやったらいいかというような
それは従来の穀菽農業から酪農中心農業に、開拓営農を確立するため、ぜひ考慮してほしいというのであります。その他郵便が配達されないので、郵便夫を一名増員し、配達してもらいたい。小学校へ四里、中学校へ六里もあるので、開拓道路を広げてほしい。小水力発電の融資の償還期限が来ているので、特別融資の道を考えてほしい等であります。
三十二、三十三年と振興計画を立てて、ただいま七万七千戸程度が振興計画の認定を終って、本年の三月三十一日で申請を終るわけでありますが、大体残りの二万七千というものは三十四年度の三月末日までに申請が出てくるというわけで、それによりまして、三年ないし五年の間に政府の追加投資その他をいたしまして、経営の転換、これは御承知のように穀菽中心であったものを酪農形態あるいは果樹経営、そういった多角的な経営の方に転換
○伊東政府委員 お説ごもっともでございまして、われわれとしても機械力によってなるべく早く営農にかかれるということをやりますと同時に、従来はともすれば、開拓地においても穀菽農業が中心になって行われてきたわけでございます。