1951-11-28 第12回国会 衆議院 建設委員会 第7号
六一 冨士川河口移設に関する請願(内海安吉君 紹介)(第七二四号) 六二 江部乙、雨竜両村間石狩川に架橋の請願( 篠田弘作君紹介)(第七三三号) 六三 別山川改修工事施行の請願(田中角榮君紹 介)(第七六四号) 六四 町村道本町富沢線三石川地区改修工事施行 の請願(篠田弘作君紹介)(第七六五号) 六五 三石川砂防工事等施行の請願(篠田弘作君 紹介)(第七六六号) 六六 稻見
六一 冨士川河口移設に関する請願(内海安吉君 紹介)(第七二四号) 六二 江部乙、雨竜両村間石狩川に架橋の請願( 篠田弘作君紹介)(第七三三号) 六三 別山川改修工事施行の請願(田中角榮君紹 介)(第七六四号) 六四 町村道本町富沢線三石川地区改修工事施行 の請願(篠田弘作君紹介)(第七六五号) 六五 三石川砂防工事等施行の請願(篠田弘作君 紹介)(第七六六号) 六六 稻見
高倉定助君紹 介)(第六七二号) 同月七日 冨士川河口移設に関する請願(内海安吉君紹 介)(第七二四号) 江部乙、雨龍両村間石狩川に架橋の請願(篠田 弘作君紹介)(第七三三号) 別山川改修工事施行の請願(田中角榮君紹介) (第七六四号) 町村道本町富沢線三石川地区改修工事施行の請 願(篠田弘作君紹介)(第七六五号) 三石川砂防工事等施行の請願(篠田弘作君紹 介)(第七六六号) 稻見
それと前後してここにおられる小林元少佐、或いはその外に二名の小林少佐、稻見元憲兵少佐、それから宮田少佐、それから北山元軍医中尉、それからあとはちよつと思い出せませんが、そういつた方が次次と人民裁判にかかりまして、弁解できないものはそこで土下座をして謝れというようなふうでありました。その時問題になりましたのは、野村元少佐、この方が一番問題になりまして、約三十分間いろいろ問答しておつたようであります。
班内に入りましたところ、稻見憲兵少佐が來て、あなたのことを聞いておられたと夜間勤務の者がそう申しておりました。現在ここにおられる十二人の証人も、証人のうち殆んど勤務の関係で、私が皆が出勤するとき晝戻つて來たときもおつたということははつきり証言して呉れると思います。外の人に聞いて頂きます。私自身としても池田氏の言われる向う側の命令であつたということについては疑問を抱いております。
○証人(鎌谷参司君) それも恐らく稻見少佐が來なかつたらずつとやられておつたかも知れません。稻見少佐と私との関係を吉村氏もよく知つておりますが、長谷川大尉殿が出られた後、吉村隊と、南の收容所と北の收容所が一緒になる前には、私は酒井先生と一緒に吉村隊に入つた。
稻見憲兵少佐の話が出ましたが、この稻見憲兵少佐はどこの收容所に收容されておりましたか。何かあなたのお話を聞いていると、大変権威があるかのごとく聞えるのですが……。
そうすると夜勤をやつておつた者が班内におりまして、稻見さん、稻見隊長殿が面会に來ておりましたよ、ということで稻見憲兵隊長が吉村隊に來ておつたということを知つたのです。
次いで翌年一月八日に私が經濟防犯係長の稻見警部に面會した時、いろいろな都合があつて一月十三日になれば摘發に協力しよう、こういうふうな話がありましたけれども最初の十二月の二十七日に會つたときにはないという話で、一月八日に會つたときには十三日から摘發に協力しようという話でありました。
○船岡證人 警察部長、前の經濟防犯課長、それから稻見經濟防犯係長、そのほかもう一人おられたと思いますけれども、この書類を提出したときに、この物はもうすでにない、全然無根だ、お前たちは何を言つてきておるか、と、これは前の經清防犯課長の非常な罵倒を浴びたわけですが、そのときにおいて腹切りが問題になつた。それならばあつた場合にどうするかと言つた、その返答は私は今覺えておりませんけれども、品物はやる。