2016-05-10 第190回国会 衆議院 国土交通委員会 第12号
○横山委員 当初から現在地からの移転交渉をすれば、二億二千万もかからなかったわけでございます。
○横山委員 当初から現在地からの移転交渉をすれば、二億二千万もかからなかったわけでございます。
きょうは言わずの林局長がなかなか言ってくれておりますから、ぜひお話ししてほしいと思いますけれども、日北酸素との移転交渉というのはいつからやっていますか、全体で何回やっていますか。
ここで、日北酸素という会社がありまして、ここの移転交渉であります。 会社の周辺には、クマ出没注意という看板が出ているぐらい、つまりクマが出るようなところです。固定資産評価額は、土地はゼロ、建物それから機械類およそ五千万という補償のところに、工場の機能移転も大きく上回って四十九億という補償をしております。 これが一体どうなのか。
大体移転交渉が二十年もかかって何とか調ったのですが、調ったところが今度は移転した後すぐに買い手がいないからお金がない、こんなものに対しては、この郵貯の自主運用のお金をふだんのマネーリースと同じように、自治体からその土地を担保にとって、そして、四百億いいよ、低利、国際間のレートで貸してやるよというような具体的なダイナミックな運用ができたら、その土地は必ず近い将来値上がりするわけですから、臨空地帯の騒音公害
治水事業は水が集まる下流域の拡幅が優先すべきでありますけれども、下流域の都市化の進行で移転交渉等がまとまらない、こうした難問題があるわけですね。したがって、なかなかうまくいかないということで、中流域先行の工事というような格好になって今度の場合あらわれてきていますね。したがって、今度はそういう中流域における溢水がこれまた出てくるわけですね。
○青山政府委員 水戸プラザホテルに対しましては、河川改修事業を説明するとともに、事業の進捗に対しての協力を強く要請してきておりまして、平成六年十二月から平成十年八月まで計六十四回にわたる具体的な移転交渉を進めているところでございまして、本年二月に建設省と土地売買に関する契約が成立したところでございます。
それから、プラザホテルに対しましても、何度にもわたり具体的な移転交渉を平成六年十二月からやっておりますし、また左岸側の地権者の方、移転戸数が、必要となる方だけで四百五十戸に近い数で、非常に大きな戸数の移転交渉というものがございました。そういった意味で、用地買収がなかなか進まなかったということでございます。
○松本(操)政府委員 ただいまもお答え申し上げましたように、五十三年十二月で目標達成の空港ということになっておりますので、したがって完成が五十年代後半ということになりまして、現実にジェットが飛ぶ時点においてその七十五Wが確保されていなければならない、こういうことになるわけでございますので、空港の完成の度合いに合わせまして民家の防音工事なりあるいは移転交渉なり所要の作業を行って、空港が運用開始いたします
この低実績の原因は、一つには買い取り価格があまりにも低額であること、第二には移転を希望しても条件に合う代替地が見当たらないこと、第三に移転交渉に当たる担当者がわずかで、膨大な要望に対処できないことが理由にあげられるのであります。
そして第三は、移転交渉に当たる担当者がきわめて少なく、移転補償事務も繁雑であるため交渉が進まない等が理由としてあげられています。 このような過去の実績から考え、たとえ周辺整備機構が設立されたとしても、せいぜい事務担当者が多少ふえ、繁雑な事務が改善される程度であって、移転補償に伴う代替地造成や居住者の納得のいく移転補償費の提示など、諸問題解決のきめ手にはならないのであります。
ことしの一月までに移転交渉が成立をした数はわずか百八十九件にしかすぎないわけであります。一体どこにこういうふうに非常に移転交渉成立の少ないという理由があるかというと、一にも二にも地価よりも大幅に安い補償額に不備の原因がある。
第三といたしましては、この移転補償事務というものは、移転交渉、土地の評価、建物、立木あるいは門扉に至るまでの移転費の算定など、相当複雑な手続が必要でございますけれども、まことに残念なことに、これが事務的にスムーズに処理できなかったというような理由から、現在までのところ、移転補償が予算どおり、予定どおり遂行できておらないということでございます。
○工藤良平君 これは大山村の開発公社がこの宅地造成をしたということになっておるようでありますけれども、その場所の選定等につきましては建設省としては移転交渉等の経違からして当然関知してきたところではないかと私は思うのでありますけれども、その点についてはどうですか。
鹿島事務所管理課長補佐木村浩、同じく主査小沢正孝の名前の口上書で「昭和四十五年三月十日貴殿に次のとおり申伝えました 一貴殿との移転交渉等の話合いは、今までの経過もあり今後第三者を通じて話合いをして下さい」 この日付は昭和四十五年四月二十四日であります。ところが、今度同日に「お願い」という文書がまたきた。
それくらいこの航空騒音に非常に悩まされているにもかかわらず、この移転交渉がはかばかしく進まないということは、どこに原因があるか、それはお考えになったことがありますか。お考えになったとすれば、どこに原因があると思いますか。
そういうように地元、米軍側でもそんな考えがあるのに、それが返還交渉あるいは移転交渉ができないという理由はどこにあるのですか。またその気はないのですか。