2016-02-17 第190回国会 参議院 政府開発援助等に関する特別委員会 第2号
今回の調査派遣で、JICAが設立した四つの移住地のうちイグアス移住地を訪問し、製粉工場や農家を視察して同移住地の現状を確認するとともに、パラグアイにおける日系社会の位置付け等について移住地の日系人との意見交換を行いました。 イグアス移住地においては、一九八〇年代後半から大豆を主力とする畑作が進められ、現在では移住者、日系人の営農はおおむね安定しております。
今回の調査派遣で、JICAが設立した四つの移住地のうちイグアス移住地を訪問し、製粉工場や農家を視察して同移住地の現状を確認するとともに、パラグアイにおける日系社会の位置付け等について移住地の日系人との意見交換を行いました。 イグアス移住地においては、一九八〇年代後半から大豆を主力とする畑作が進められ、現在では移住者、日系人の営農はおおむね安定しております。
お年寄りは、先ほどちょっと申し上げましたけれども、サマショールとか言われているんですけれども、強制移住地、当然外に出ているんですけれども、十年ぐらい前からぽつぽつと帰り始めた。最初はだめだと言ってまた強制的に排除していたんですが、今はもう諦めて、自分の生まれ故郷で死にたいと来ているという。ですけれども、基本的に三十キロ以内は住めない。
集団でどこかに移住地をつくって、そこに大きく受け入れていくという施策は、一度過去に打ったことがありますけれども、必ずしも成功していないと。そういう中で、一人でも異文化の人が入ってきて、いつもの交流の範囲で受け入れて、一人が入ってくると二人目が入りやすくなる、三人目がもっと入りやすくなる。
やはり、率直に言えば、またブラジルに戻る、あるいは移住地に戻るにしても、祖国を見て縁者を訪ねたいという本当にもう心の底から見ると共鳴することであり、確かに対象者数は少なくても、補助金事業としては打ち切るけれども、この制度、事業、訪日事業は継続していくということで政府が様々ないろんな団体や人たちと連携取って、継続していくということで、そういう意味で受け止めさせていただきました。
移民の皆さんは、原因不明のうるま病、もう高熱を出して亡くなる方が非常に多かったという話も聞きましたし、あるいは移住地を開拓しても大洪水、干ばつ等で本当に筆舌に尽くし難い、尽くし難い大変な御苦労をして、今日サンタクルス州はもちろんのこと、ボリビア共和国でも大変高い評価をいただいておるようになりました。
そのときに、七か所の移住地があるわけでございますけれども、原則、七か所全部回らせていただきました。ただ、残念ながら最後の土地だけちょっと気候条件が悪くて、空港までおいでいただいてお話を伺ったという形でございますが、全部回らせていただきました。 それで、移住者の方とできるだけの時間、わずかでございますけれども、懇談をさせていただきました。
小職、先年視察したブラジル、パラグアイ、ボリビア、アルゼンチンなどの日本人移住地や青森、岩手、山梨、宮崎各県下の戦後の開拓地などと比較して、諸種の悪条件がこれほど重なっている移住地はほかにちょっと思い当たらぬぐらいであって、同行の飯島事務官も同様の所感を述べられていた。もちろん、同行の移住者たちに対してはかかる所感は述べなかったが、内心彼らもよく今日まで頑張ったものであると感じざるを得なかった。
先日の御答弁の中で、ドミニカ移民の中には成功している人もいるとおっしゃっていらっしゃいますが、これは大臣、配分された移住地で農業移民として成功している人は一人もいないんですよ。
移住地をずうっと見てきた人が、こんなひどいところは初めて見た、よくぞここまで頑張ったものだという報告書を上げているんですよ。この事実はちゃんと知っておいてくださいよ。 そして、まあこの報告書は良心的な報告書だから、もう読むとますます腹が立ってくる。じゃ、十二ページ、十二ページの後ろの方、「然るに」というところから読んでみてください。
○政府参考人(鹿取克章君) 小職、先年視察したブラジル、パラグアイ、ボリビア、アルゼンチンなどの日本人移住地や青森、岩手、山梨、宮崎各県下の戦後の開拓地などと比較して、諸種の悪条件がこれほど重なっている移住地はほかにちょっと思い当たらぬぐらいであって、同行の飯島事務官も同様の所感を述べられていた。
移住地の土地に塩分があることを知りながら、何と言ったか、カリブの楽園と言って連れていったんですよ。それで、二けたに及ぶ自殺者を出したんじゃないですか。少しは申し訳なかったと言っていいんじゃありませんか。要領よく説明をしてくれなんて、塩分があることを隠して要領よく説明しろと書いているじゃないですか。これ、ちゃんと認めてほしいと思います。 最後に、外務大臣、何か言ってください。
ドミニカ移住の際に、特にドベルヘ、ネイバですが、移住地についての事前の調査がなされたのか、なされたとすればどのような調査報告がなされたのか、お尋ねをいたします。
九一年の事業の採択に当たって、当時の外務省の石橋有償資金課長は、住民の反対や世論の批判を抑える、そのために、移住地整備にセクター・プログラム・ローン、SPLを流用するよう、これを使うようにということで、インドネシアの当局者に再三再四提案をしています。
政府は、その実施に当たりまして、昭和三十四年の閣議了解でもって、本件事業が移住地選択の自由という国際通念に基づいて処理されるべきだということを確認させていただきました。なお、帰還を希望する者の意思の確認等がきちんと行われますよう、赤十字国際委員会に必要な仲介を依頼した経緯があります。 このように、帰還事業はあくまでも帰還希望者の意思を尊重する形で行われました。
委員御指摘のとおり、この移住地における事業でございますが、入植地事業及び移住者送り出し事業につきましては、特殊法人等整理合理化計画に基づきまして、独立行政法人化に伴って終了するという予定になっております。
今後、我が国としてもアフガンへの支援をやっていくわけでございますが、そのときに、難民の状況がどうなっているのか、まず、アフガニスタンからパキスタンあるいはその周辺諸国に流出をした難民がどの程度帰ってきているのか、あるいは、アフガニスタンの中で、移住地を離れた難民がどの程度帰ってきているのか、そういったのを含めまして、全体的な難民の状況について、外務省が把握している状況を御説明ください。
実は私は、以前から非常に地元でいろいろな問題がありまして関心を持っている問題で、ホームレスの方々とその移住地付近の住民との人権問題がありまして、ちょうど地元の大阪市は、ホームレスの方々が全国で最も多い、十二年度は八千人、今は五千人と言われております。
同じく、パラグアイの日本人移住地の小学校に参りました。午後五時になりますと、全校生徒が集まりまして、君が代放送とともに日の丸の降納式を行っておりました。海外において改めて国旗・国歌について考えさせられる思いがいたしました。
また、大変悲惨な状況であったそうで、食い詰めた移住者の皆さんの中には、移住地を離れて、まさに流民のような生活に追い込まれて、ドミニカ各地を転々とされた方、そしてまた、先ほども申し上げましたように、自殺にまで追い込まれた方たち。環境的にもまるで流刑地のような環境で、子供に教育を与える機会もなく、医療も受けられず、そして、常にコロニアの監督官の監視下にあって行動の自由もままならない。
ただ、残念ながら現状と申しますのは、その後のドミニカの経済情勢その他がはかばかしくありませんので、必ずしもほかの移住地のように生活が向上している状況にはございません。そういうことで、私どもといたしましても現在どういう支援をすべきかというようなことで現地の移住者の方々といろいろお話をしておるところでございます。
こんな話は別といたしまして、そのトメアスで実はこしょうがたくさんとれたんですが、それは武藤山治さんという方がおられまして、非常にこれは立派な方で、この方がトメアスで実は移住地をおつくりになったんですよ。彼は岐阜県の出身で、偉大な方であります。
世銀の方も、そういうNGOの方の動きが出てきていますので、実は昨年の九月にイギリスのコンサルタント会社を使いまして、住民との間の協議会合を四十五日間にわたって、十の移住地と十九のスラム地域と三十五の村で住民との直接協議を世銀も始めています。
例えば、移住者で高齢になられた方がおられるんですけれども、身寄りのない高齢の方にどういうふうに支援するかとか、それから移住地の中でなかなかうまくいかなかった。それは、移住者個人の能力とか意思の力ではなくてたまたま経済事情がよくなかったとか、入った土地がよくなかったとか、いろんな事由でうまくいかなかったところがある。そういうところにどういうふうに支援していくかという問題が残っていると思います。