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29件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2018-11-21 第197回国会 衆議院 外務委員会 第3号

その大部分を占める円借款の総額約三兆三千百六十五億円の主な内訳でございますが、運輸分野が約一兆二千三百六十七億円、主要案件としては北京秦皇島鉄道整備事業等がございます。通信分野が約千四百四億円、主要案件としては天津上海広州電話網拡充事業等がございます。電力・ガス分野が約六千二百四億円、主要案件としては天生橋水力発電事業等があります。

桑原進

1985-12-10 第103回国会 参議院 逓信委員会電気通信の新体制等に関する小委員会 第1号

さらには、これは鉄道中国鉄道大変力を持っておるのでございますが、この鉄道部の方からの話で、大同から北京を経由しまして秦皇島間の大変長い光ケーブルを引きたいということも技術協力コンサルティングをやってくれないかということで、これも正式契約をいたしまして、現在職員を派遣してもう間もなく工事にかかる段階になっておると思います。  

児島仁

1984-04-19 第101回国会 参議院 外務委員会 第7号

そこでは、秦皇島、天津煙台連雲港、南通、上海寧波温州、福州、広州湛江北海、このような十四都市の方々が集まりましていろいろ経済特区の問題について議論しているわけでございますが、中国大使館からの報告によりますと、先方は、この十四の都市の、全区域特区に指定する地域、それから市街の中に優遇措置を講ずる区域、それから市街の外に経済開発区域をつくりまして経済特区でとっているような優遇策をとる、このような

瀬崎克己

1981-05-14 第94回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第8号

現在ソ連とか中国のものは——ソ連は全然入ってこなくなってしまって、もうゼロになりましたけれども、中国秦皇島からは五千トンの船で来るのですけれども、豪州のものは五万トン、南アのものは十二万トンの船が来る。そういうことになると、どうしても港の整備がなければ安くできないということで、公共埠頭整備コールセンターの設置をお願いしたわけでございます。  

原島保

1980-03-19 第91回国会 衆議院 外務委員会 第9号

まず第一点の、五百億円の円借款対象プロジェクトでございますが、全部で六つございまして、石臼所という場所の港の建設計画、兗州と石臼所の間の鉄道建設計画北京秦皇島間の鉄道拡充計画、それから広州−衡陽間の鉄道拡充計画秦皇島の港の拡充計画、五強渓水力発電所建設計画、この六つでございます。

梁井新一

1979-12-04 第90回国会 参議院 予算委員会 第1号

それから、六つにつきましては、北方の秦皇島港湾、それから秦皇島から北京への鉄道近代化、それから山東半島の南にございます石臼所という港の建設、そこから克州という炭田地帯への鉄道建設、それから衡陽−広州鉄道建設の一部等が日本側としても協力しようという考えに入っておるわけでございます。

大来佐武郎

1958-06-20 第29回国会 衆議院 外務委員会 第2号

また従来日本船に包括的に開港されておりました上海秦皇島、天津大連にまでも一船ごと入港事前許可を要することとなり、わが国中共との間は従来の民間ベーシス積上方式に基く一切の来往関係が一挙に途絶されることとなったのであります。中共がこのような強硬措置をとったのは、日本政府民間貿易三団体に対する回答及び岸内閣対外政策を何らか誤解しているのではないかと考えているのであります。  

藤山愛一郎

1953-07-28 第16回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第9号

先般工藤日赤外事部長中国から帰つて参りまして、そのときの御報告によりますと、この次の第五次には秦皇島は使わない、従つて使う港は天津上海である、現在集結中であるから、いつ配船になるか、何人ぐらいになるかということははつきりしないが——おおむね三千ないし五千である、——工藤外事部長の感じといたしましては、三十前後であるというようなお話であつたのであります。

木村忠二郎

1953-07-25 第16回国会 参議院 中共地域からの帰還者援護に関する特別委員会 第6号

なお、使用しまする港につきましては、今後第五次には秦皇島は使用しない、従つて天津上海が使用されるということのようでございます。第六次以後についてはどうなるかということはわかりませんが、ともかくも、第五次は天津上海だというふうに考えられます。なお上海には相当数の者が今おるようなことを帰りました者の話から聞いております。

木村忠二郎

1953-07-03 第16回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第6号

それから、高砂丸は、秦皇島に着きまして、その後何ら連絡はございません。興安丸は、入港いたします前に、船に乗つております日赤工藤代表から電報が入つております。それから入港いたしました電報が入つております。その後様子はわかりません。これは入つたばかりでありますから、まだ何ともわかりません。

木村忠二郎

1953-03-12 第15回国会 参議院 中共地域からの帰還者援護に関する特別委員会 第5号

そこで中国側では、これは最後の第四回目の正式会談においてこのところを非常に明確にいたしたのでございますが、その点は心配要らない、奥地からどんどん天津秦皇島それから上海の港に日本人帰国者が集まつて参ります。そうして埠頭の近くに、棧橋の近くに宿泊所を設けてそこにまあ一応宿泊してもらう。

畑中政春

1953-03-12 第15回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第11号

そうして、船を入れますにつきまして、上海天津秦皇島等の三箇所を選んだところに、大体においてこの三方面を中心として日本人が残つておるということが想像できます。その比率がどういうぐあいになつておるかということを想像いたしまするときに、第一回の船に乗つて帰る人の数が、天津が千人、上海が千五百ないし二千人、秦皇島が二千人ということを申しております。

内山完造

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