2002-11-05 第155回国会 参議院 国土交通委員会 第2号
ここでも、例えば「多くの議論が本来すべき科学論や技術論から逸脱して、政治的道具に使われていることを危惧している。」、政治的道具になっちゃうおそれがある。それから日本学術会議で、これは十三年十一月に「地球環境・人間生活にかかわる農業及び森林の多面的な機能の評価について」、この中でもいろいろ触れておりますが、要するに、そういうことは無理なんですよ。夢物語、おとぎ話に近いんですね、失礼ですけれども。
ここでも、例えば「多くの議論が本来すべき科学論や技術論から逸脱して、政治的道具に使われていることを危惧している。」、政治的道具になっちゃうおそれがある。それから日本学術会議で、これは十三年十一月に「地球環境・人間生活にかかわる農業及び森林の多面的な機能の評価について」、この中でもいろいろ触れておりますが、要するに、そういうことは無理なんですよ。夢物語、おとぎ話に近いんですね、失礼ですけれども。
例えば基礎分野では、人の心を理解するために、生命の思想、臨床哲学セミナーを開設しておりますし、また専門基礎科目では、社会の要請に対応できる人材を育成するという観点から、心理・行動科学入門、生活環境保健学などを、専門教育科目では、看護実践科学論、在宅ケア論演習だとか地域看護活動論などさまざまな新しい科目を開設し、その中身を充実させることを通して、看護の実践力、あるいは幅広い視野と高い識見、深い教養と豊
単に条約論、科学論だけではなくて、文化論、価値論あるいは政治論、そういったものを含んでいるということは私ども十分認識しておりますけれども、現在IWCで行われているような、そしてまたアメリカが実施しようとしているような行動がもしこのまま許されるとしたならば、世界に法と科学は存在し得なくなるでありましょうし、また正義と公平の実現もおぼつかないのではないかとさえ思うわけであります。
そうなりますと、もう学校の教育において、先ほど濱田先生は、土壌博物館あるいは学校の教材にも、地力の問題、土地の問題の認識を深めるんだと言いましたその教科の中に、地力とは何かと地力をつくるとは何かということをはっきり分離しまして、いわゆる科学論と科学論じゃない、実際に我々がやってみますと有機物を入れないことには地力はできないのですから、何かこの両方のオーソライズされたような観念の仕方を教育しなかったら
○伊藤郁男君 政府の中には、捕鯨問題をアメリカの二百海里内の魚の問題、これは重大な問題になっておるんですが、この問題と絡ませて、そういうような消極的な考え方を持っておると聞くんですが、まさに捕鯨はあくまでも資源論、科学論の次元で論ずるべきものであって、全然話が違うと思うんです。切り離して積極的に対処すべきであると思うんですが、この点についてもう一度お伺いをしておきます。
○国務大臣(田村元君) 実は先ほど申し上げましたように、気象庁の問題につきましては、非常に専門的なことが多いわけでございまして、私も科学論、技術論になりますと、まことにお恥ずかしい話でございますが、これをつまびらかにいたしておりません。早速きょうの御質問の御趣旨に基づいて、気象庁から詳しく後ほど報告を受けてみたいと、このように考えます。
しかしながら、いまこの原子力船「むつ」の問題は、そうした純粋科学論をいささか離れたところにおいて議論されておることも事実でございましょうし、また受け入れていただく長崎県が、わが国における二つしかない被爆県であるということも私たちは忘れてはならないと思うのでございます。
どういたしましても、こうした地域的な問題に関しましては、純粋に科学論だけでは納得していただけない面もあろうかと存じます。そうしたことを責任者である知事あるいは市長さんが代表していろいろとお考えになって、そしてお答えを出されるであろう、こう考えますので、私はその御決断に対してこれを政府として尊重いたします、そういうふうに申し上げておるわけでございます。
中には胸に一物ございまして、差があるのは承知の上で科学論のような、技術論のような顔をして政治論をおやりになっている方があるわけです。
○森山国務大臣 いまの発言につきまして、学者が学者の立場から、技術論として、科学論として御論議をなされることは、それぞれの御見解によるところであります。しかし、十万年に一回とか百万年に一回とかいうようなことにつきまして、これは社会通念からいえば、まず心配ないというべきことであろうと私は考えております。