2021-04-15 第204回国会 参議院 文教科学委員会 第9号
この勝手神社の神事踊は、江戸時代の中期頃から盛んに行われまして、厄よけでありますとか雨乞いを目的として、毎年十月、勝手神社の秋祭りに約二十人の踊り子たちが大変優美な舞を奉納する、これが特徴でございます。オチズイという色とりどりの花が付いたものをしょいまして、そして前に太鼓をたたきながら踊るという大変見た目も美しいものでございますけれども、こういった勝手神社の神事踊と、こういうものがございます。
この勝手神社の神事踊は、江戸時代の中期頃から盛んに行われまして、厄よけでありますとか雨乞いを目的として、毎年十月、勝手神社の秋祭りに約二十人の踊り子たちが大変優美な舞を奉納する、これが特徴でございます。オチズイという色とりどりの花が付いたものをしょいまして、そして前に太鼓をたたきながら踊るという大変見た目も美しいものでございますけれども、こういった勝手神社の神事踊と、こういうものがございます。
いろんな行事の活用という点で考えてみたいなと思っているんですけれども、うちの娘がお世話になっていたなでしこ保育園というところでは、運動会をやったり、お遊戯会をやったり、秋祭りをやったり、あるいは遠足に行ったりと、いろんな行事があるわけですけれども、そういうところに保護者が参加をする。
その中でも、新居浜太鼓祭りなんですけれども、これは毎年秋祭りとして、十月十六、十七、十八、これは神事ですので、曜日が何であろうと、その日にずっと江戸時代からやっているんですね。全部で五十四台ですけれども、実際演技する五十台以上の、金糸銀糸に彩られた豪華けんらんな、高さも五・五メートル、長さも十二メートル、重さたるや二・五トンから三トン、物すごく重いんですね。
○浮島副大臣 西条市の西条祭りは、伝統的な秋祭りということで私も伺っているところでございます。 また、四国中央市の書道パフォーマンス、これも、今委員から御紹介ありました政府が推進するビヨンド二〇二〇プログラム、これの認証を受けており、二〇二〇年の東京大会を契機とした文化プログラムの一翼を担っていただいていることに感謝を申し上げさせていただきたいと思います。
これ大変重要な役割を担うと思うんですけれども、もちろんその人材育成にも時間が掛かりますし、先ほど少しお話の中にありましたが、秋祭りのこおどりのときに地車が地元の神社に集結するというお話を先ほどいたしましたけれども、例えば地車も文化財の一つだと思うんですが、例えば、今、この地車の一部の、木でできた、木で彫ったような部分の大変精巧な部分、ここを例えば修復をしたいといっても、なかなかこの伝統技能、技術を持
私の地元には無形文化財で上神谷のこおどりというのがありまして、これ民俗芸能なんですが、秋祭りのときにそのこおどりというのを地元の神社に奉納する、そこに地元の地車が集結してくるというような行事があるんですけれども、このこおどりの担い手というのが小学校から中学、高校という若い世代が担っているわけですね。
四季折々、自然の中で、小川を走ったりだとか、あるいは森に入ったり、そして田植えや稲刈り、夏には盆踊り、そして秋には秋祭り、そういう田舎で多くの人々と触れ合いました。そういう体験が今、私は貴重な経験になっております。 そういう意味で、この言葉がこういうときに使われる、このことに対して、地方創生担当大臣として、どのように思っているんですか。
委員の皆様も御承知かと思いますが、だんじり祭り一つするにしても、本当に地域のコミュニティーを密にしながら、九月に秋祭りがあるんですが、一年間かけて、若い人からお年寄りまで一緒になって祭りをつくり上げていく。コミュニティーの構築とだんじりというものが密接にかかわっております。
「あまちゃん」では、地元の久慈市の秋祭り、大変雄大な山車も出てまいりました。やはり文化財を守るとかそういう観点じゃなくて、農林水産業分野だと攻めの農林水産業と言われていますが、文化においても、守るのではなくて、しっかりと攻めるというか、打ち出す、PRする、こういうものを活用する、そういう視点が大事だろうと思っております。
これ、サッポロビールと連携した啓発の例、御存じかと思うんですけれども、サッポロガーデンパーク秋祭りのイベントに啓発ブースを出させていただいて、北方領土のパネル展をやらせていただきました。来場者は一万五千人ということなんで、こういう形で、今回の調査を通じて一つでも多くの企業、協力していただける企業を探していこうと、こういう試みでございます。
いろいろな秋祭りがありますね。大臣も行かれたと思いますが。 TPPはこうやって、関税とか貿易とかだけの問題じゃなくて、いろいろな制度から何から大きく変わってくるという中で、今後、私たちの集落とかふるさととか、そういったものがどうなっていくのか。
今は秋祭りの季節でございます。私も、呼ばれていない祭りにもずうずうしく顔を出していますけれども、これはやはり有権者の皆様からの声をいただきたい、そういう思いで祭りに参加させていただいております。ただ、やはり秋祭りは収穫の祭りでありますから、農家の方々が大多数その祭りを運営されていますが、その祭りで出てくる皆様の言葉はもうはっきりとしています。
次に、日割りの問題なんですけれども、この間、日曜日に地元の施設の秋祭りに行ってきたんです。ここはまだ旧体系で運営をしているんですけれども、新体系に移りたいという希望を持っています。新体系に移ると、いわゆる日中活動と、住まいの場、夜の活動、この二つに分かれて、それぞれの報酬単価が違っていますね。
これには、春には春の祭り、花見があれば花見、そして夏には御承知の夏祭りというのがそれぞれの地域で行われる、秋にはもちろん秋祭りというのが行事として行われるわけでありますが、荒廃してしまった商店街等は、こうしたことすら行われない、あるいはそうしたことに対する協力関係がない。
つまり、国民の皆さんに健康の重要性、そして、村挙げての秋祭りのときにウオークラリーをやって、六十歳の部、七十歳の部、青年の部、表彰する。隣の町では何をやっている。そういう仕掛けですね、それをやっていったときに、私は、これから大問題になる介護保険の赤字の問題、それから国民健康保険の既に大きな赤字があるこの問題。
秋には、農道を整備して、収穫のできる農道をつくって、秋祭りをして豊作に感謝する。いわば日本文化の、家族のきずなだとか集落のきずなみたいなのが共同体社会として厳然として農村社会にはあって、しかも、そこから共同して勤労をたっとぶ文化みたいなのがやはり日本文化の源泉としてあるんだろうというふうに思っています。
こうした取り組みは、同町内にあります行刑施設であります月形刑務所においても行われておりまして、受刑者の運動会に地元の更生保護女性会等の方々をお招きするほか、今度は、月形町が主催する夏祭りとか秋祭り等の行事には刑務所の職員が積極的に参加するということで、地域との交流が活発に行われております。
ほぼすべてのその地域の業者さんが商工会の会員に入って、それこそそこへ行けば駆け込み寺的な役割を果たしている商工会もあれば、祭りのときの主催団体で、秋祭りのときに主催何とか商工会と出るぐらいのことしかやってへんところもありますでしょう、実際。 よく聞くんですよ、これは。
例えば、秋祭り法なんという法律をつくって、秋には秋祭りをやりなさいなんという法律がなくたって、みんなみこしを担ぎますわね。やはりそれは民衆文化です。そういう意味で、法律が変わったから、変わらないからといって崩壊するような家族は、むしろ家族に問題があるのであって、制度には問題がないであろうというふうに思います。
お盆、お正月、夏祭り、秋祭りという形で生活リズムがありました。非常に緩やかなテンポです。学校で申しますと、第一期の場合は農繁期休みといいましょうか、田植え休みとか稲刈り休みとかがあったのでございます。非常に地域社会が健全で、非常に社会は貧乏だったけれども、やる気満々で、何とか復興しましょうというのが第一期でございます。 第二期になりますと、昭和三十五年から大体昭和四十九年ぐらい。
市街地の商店街は、私の地元でもそうでございますが、七夕祭りや秋祭りなど地域の歴史や文化の重要な担い手であります。商店街の空洞化は地域の均衡ある発展にとっても深刻な問題であり、中心市街地の商業集積にいかにして活力を取り戻すかは、緊急の課題となっております。 そもそも、この法律案は、中心市街地活性化といいながらも、十一省庁の各種助成プログラムの寄せ集めにすぎません。
豊作に感謝する秋祭りをやる、そういう農村共同体社会は一体残るのであろうか。何か、皇居でしか田植えと稲刈りが行われなくなるのではないか、お祭りが行われなくなるのではないかということも懸念するわけであります。 そう考えますと、今の農村社会は、だれでもが農家で、だれでもが農村社会のインフラやお祭りに責任を持つ、そういうことが当然であるという時代が確実に終わりつつあるのだろう。