2019-10-24 第200回国会 衆議院 安全保障委員会 第2号
今、きょう、新聞紙、新聞の記事一枚だけやりましたけれども、写真をどういうふうに見るかというのはありますけれども、この写真が非常に秋田市民としての意識を投影しているなと思って。ほとんど住宅街の目の前ですよ。一番近いところで五百メートルといっています。どれぐらいかといったら、衆議院会館から参議院会館ぐらいまでですよ。衆一から参ぐらいまで。本当に目の前ですよ。
今、きょう、新聞紙、新聞の記事一枚だけやりましたけれども、写真をどういうふうに見るかというのはありますけれども、この写真が非常に秋田市民としての意識を投影しているなと思って。ほとんど住宅街の目の前ですよ。一番近いところで五百メートルといっています。どれぐらいかといったら、衆議院会館から参議院会館ぐらいまでですよ。衆一から参ぐらいまで。本当に目の前ですよ。
かつ、今、秋田市の新屋演習場にイージス・アショアを設置したい、あと山口ですけれども、ということで、秋田市民の中でもイージス・アショアが設置をされるという認知はかなり高くなり、それに対してどのように考えていいのかと。もちろん反対する方、賛成する方いらっしゃいますが、まだわからないという方が多くいらっしゃるのは事実です。
お尋ねのございました秋田県北秋田市の地域医療再生計画でございますけれども、公立米内沢総合病院や北秋中央病院等の機能を再編成するということで、今御指摘のあったとおり、北秋田市民病院を新設し、北秋中央病院の機能も吸収して二次救急医療等の機能を持たせる、あわせて、米内沢病院につきましては、現時点では病床を有しない診療所とすることになったものというふうに私どもも報道等で承知をしております。
海外の事例をお聞きになりましたが、具体的に申しますと、秋田県におきましても強酸性水がありまして、私どもの旧建設省がつくった玉川ダムでそれを中和して下流に流して、秋田市民の安全な水として飲んでおります。 この八ツ場ダムでございますが、今御指摘の草津温泉から強い酸性の水が出てまいります。
以後、昭和十年、県立秋田中学を御卒業後、しばらく秋田県庁に勤務された後、十二年八月、国鉄秋田運輸事務所に転じ、十九年六月、応召、二十一年三月、復員除隊されたのでありますが、直ちに労働運動に身を投ぜられ、卓抜な指導力を発揮されて、推されて国労秋田地本の初代委員長に就任、続いて二十六年、県会議員に御当選、二期務められた後、三十四年から四十六年まで三期十二年、秋田市民の衆望を集めて秋田市長となり、県都秋田市
それから四十三年三月七日、秋田市民会館でやっておる、秋田駐とん部隊の共催による講演会ですね、小谷秀三郎、ベトナム戦視察談、国内の防衛論議。それから四十四年四月九日、岡崎音楽センター、群馬自衛隊父兄会連合会の主催で、今東光、時局放談、自衛隊のあり方、一九七〇年問題。それから同じく四十五年五月十六日、新発田市体育館、新発田駐とん部隊の主催、今東光、自衛隊は軍隊である、自衛隊は人を殺すためにある、ほか。
青果物関係では、秋田市民市場と盛岡中央青果市場を視察いたしました。前者は協同組合、後者は株式会社でございます。 秋田市民市場は、戦後秋田駅の近くに発生したやみ市から発展したもので、三十九年に自己資金一億円を含め四億四千万円で近代的な設備に改築したのでありまして、生鮮食料品のほか、衣料、雑貨が二百三十一名の業者によって販売されております。