2014-03-13 第186回国会 参議院 外交防衛委員会 第3号
最後に、米陸軍秋月弾薬庫において、米陸軍第十地域支援群より弾薬庫の概要、任務等について説明を聴取し、弾薬庫内部を始め各種施設を視察しました。 派遣委員からは、弾薬の移送手段、弾薬の種類、安全対策等について質問が行われました。 以上が今回の派遣の概要であります。
最後に、米陸軍秋月弾薬庫において、米陸軍第十地域支援群より弾薬庫の概要、任務等について説明を聴取し、弾薬庫内部を始め各種施設を視察しました。 派遣委員からは、弾薬の移送手段、弾薬の種類、安全対策等について質問が行われました。 以上が今回の派遣の概要であります。
我々の承知しておりますところでは、先ほど来防衛庁長官も触れられましたけれども、例えば浦郷倉庫地区、秋月弾薬庫、川上弾薬庫、佐世保弾薬補給所、針尾島弾薬集積所、三沢飛行場、厚木海軍飛行場、岩国飛行場等にも弾薬庫があると承知いたしております。それから、辺野古弾薬庫、嘉手納弾薬庫地区というところが承知しているところでございます。
それから吾妻倉庫、秋月弾薬庫倉庫、それから九四年には富士営舎の地域における道路、硫黄島通信所における貯油施設、川上弾薬庫における倉庫の建設、九五年度には厚木飛行場における駐機場の整備、嘉手納における貯油施設、キャンプ瑞慶覧の道路整備。
同地区には、幹部候補生学校、第一術科学校、自衛隊江田島病院、第十一海上訓練指導隊及び訓練場等が所在し、米軍関係では、米陸軍秋月弾薬庫があります。 幹部候補生学校は、防衛大学校、防衛医科大学校、一般大学の卒業者等及び部内からの選抜者に対し、幹部自衛官として必要な資質を養うとともに、海上自衛隊の初級幹部として職務を遂行するための基礎的知識及び技能を修得させるための教育訓練を行っております。
そして、これは広島の秋月弾薬庫の写真ですけれども、(資料を示す)もうまさにこれも覆土式のこの弾薬庫のすぐ近くに家が密集しているという、こういう状況なわけですね。 このままで本当に米軍基地周辺の住民の安全というのが保障できるのかどうか大変不安なわけですけれども、外務大臣いかがでしょうか、これで本当に住民の安全は保障できるのでしょうか。
○林紀子君 私はここにアメリカ国防総省が議会に提出しました「九一会計年度軍事建設計画」というものを持っているわけですが、このうち江田島町の秋月弾薬庫についてこう書いてあるわけですね。
同地区には、海上自衛隊関係では幹部候補生学校、第一術科学校、江田島地区病院のほか海上訓練指導隊及び訓練場等が所在し、米軍関係では秋月弾薬庫があって、使用面積は約百二十万平方メートルであります。
また、わが国会でも昭和四十六年十一月三十日あるいは十二月九日に、この場合は呉の秋月弾薬庫ですが、このナンバー四の論争をやっております。そしてこのとき呉の米軍基地司令官は、ナンバー四表示弾は最大級の爆発物であるが、呉の秋月弾薬庫にはナンバー四の弾薬は貯蔵されていない、こういうふうに記者会見で述べております。つまり、このナンバー四は核弾頭であります。
秋月弾薬庫に行ってみたい。そして、でき得れば説明を聞きたい、国会議員中心に、こういうことでございます。 外務大臣、ひとつこれは、かつて岩国で、この席で楢崎君の質問でございましたが問題になりました。私、実は楢崎君と一緒に調査に参りました。その前に伊藤さんが行って見てきたのじゃなかったかと思ったのですがね、岩国のやつは。ないことになっているところへ私どもを案内したのかもしれません。
〔理事内藤誉三郎君退席、委員長着席〕 在日米陸軍の使用しております弾薬庫は、広島県の川上弾薬庫、同じく広弾薬庫、それから同じく秋月弾薬庫、それから沖繩におきまして名護市にあります辺野古弾薬庫、それから嘉手納の弾薬庫、これは陸軍だけでございませんで、海兵等との共用でございますが、以上五つでございます。
秋月弾薬庫につきましては四十六年度の実績で申しますと八百十四万払っております。それで、この海面制限の状況でございますが、私の説明が少し不十分だったと思いますが、ある陸地の弾薬積み込みの場所を中心に百メーターの円形、これの海面に及ぶ部分だけと、こういう形になっておりますので、水域としましてはそう大きなものではございませんので、漁業補償の実態は先ほど申し上げたとおりでございます。
かねがねから、こういうような問題が、特に呉を中心にしまして広弾薬庫、秋月弾薬庫等あすこら辺ずいぶん密集しておりますし、やっぱりこういうような問題は、きちっとやってもらわないと困ると思うんですね。こういう点についてはやっぱり本気で取り組んでもらいたいと思うんですね。
これをそれぞれ中口径砲弾ないしは信管等を秋月弾薬庫の中の他の十分保安距離等もある弾庫のほうに移しまして、それぞれに小火器弾薬というものを貯蔵して、火災の際の処置をあらわすところのシンボルマークも4から1に変えたわけでございます。
そういう点を重ねて申し上げて、その次に、これからこの事前協議という問題に入ってまいりたいと、こう思うのですが、まずその前に、さっき防衛庁長官から伺いました、この広、秋月弾薬庫からの弾薬の積み込み、このことについては、まあさっきも伺いましたけれども、いまは政府では、これを補給行動であって事前協議の対象にならないとたぶん説明なさっていると思います。
〔理事町村金五君退席、委員長着席〕 御承知のように秋月につきましては、広弾薬庫と秋月弾薬庫がございまして、ここでわれわれはその全面海面を制限海域にしておるという、そういう関係で把握した情報でございますが、そのうち特に秋月につきましては常時制限になっておりまして、米軍から当庁に対する通知は、当然行なわれておりません。
また、本土内における米軍弾薬庫についても、たとえば国会でも問題になったとおり、広島県秋月弾薬庫では、まわりの民家との間に定められた保安距離も全く保たず、目と鼻の先に危険な弾薬を貯蔵していることから考えても、米軍に対する不信の念は強く、不安は一向に解消されないことはまことに残念と言わなければなりません。
私はいまの答弁の中にもございましたように、秋月弾薬庫は五十五万平米もあるわけです。ですから何も民家のすぐ近くに弾薬庫をつくる必要はないわけですよ。少なくとも法律に定められた保安距離をとってつくれぬことはないと私は思うのです。この辺のところも含めまして、実際は、現実に写真を私ここに写してきましたけれども、現実に何枚も写真はあります。ありますが、長官ちょっと見てほしいのですがね。
ですから、三百四十メートルとか、三百メートル以上の距離があってさえ、こういう火薬が爆発した場合に、相当のいわゆる保安距離が必要であるということは、私たちはこの事故からも認識を新たにしたような次第なんですが、実際問題として、この江田島に秋月弾薬庫というのがあるわけですね。
その問題について秋月弾薬庫、いわゆる秋月の米軍弾薬庫ですが、その米軍弾薬庫のまわりにどの程度の民家があって、どのくらい離れているのか、この点どうですか、見たことございますか。
それからもう一カ所のシンボル4は秋月弾薬庫であります。そして、この弾薬庫に対して、私は幾つかの疑問を持っております。いま現在、私は核があると言っているのじゃないのですよ。この米国国家消防協会認可による、そのきめられた規定によってそういうシンボルが存在し、そして運用されるならば、核倉庫と思われるのではないかという疑惑であります。
そこで、まず第一に広島県にございます秋月弾薬庫、これは広、川上弾薬庫とともに重要な弾薬庫になっております。広には、こういったシンボル4などはありません。そしてまず疑惑の第一点でありますけれども、それは、米兵には毒ガスマスクその他核防御用のマスクが配られております。第二に、数年前まではヤギがいたことがあります。現在は別な方法で弾薬庫の管理をしているということであります。
それから秋月弾薬庫、川上弾薬庫、広弾薬庫、赤崎貯油所、庵崎貯油所、横瀬貯油所、キャンプ王子、岸根兵舎地区、米陸軍医療センター、キャンプ千歳補助施設——これは空も一緒です。それからキャンプ千歳、これも空と一緒です。それから百石通信所——青森県でございます。それからキャンプ淵野辺、雁の巣空軍施設——これは空軍に施設が移っております。
池子弾薬庫は三十九年七月、秋月弾薬庫は三十八年八月、三沢飛行場は四十二年一月、横田飛行場は四十一年八月、厚木飛行場は四十二年二月にイーズメントが出ておる。イーズメントが出ておるということは、いまは危険な状態にあるということの裏返しの問題です。山田弾薬庫は含まれていないけれども、あなた山田弾薬庫へ行ってみてごらんなさい。このごろのあの周辺の建築の立て込みぐあいを。
横田につきましては四十一年の八月、それから池子弾薬庫につきましては三十九年七月、三沢につきましては四十二年の一月、厚木につきましては四十二年の二月、それから秋月弾薬庫につきましては三十八年の八月ということになっております。内容はちょっと資料がございませんので……。
これにつきまして警察としましては、火薬類取締法十九条に基づきまして運搬の届け出を受けまして、その際最初運搬の経路は、一たん秋月弾薬庫広支所に運びまして、そこからさらに輸送するというような経路でございましたので、そういうことを含みまして、それで海岸通の川原石から直ちに九州のほうに運ぶようにという経路指定の問題、それから出発の車両につきましても車間距離を置かせるということ等についての車間距離の確保の問題