1983-04-12 第98回国会 参議院 建設委員会 第4号
○大木正吾君 その抑制額に使う分というものは、一体どういう、この前も大分、私記録拝見したんですがね、余り的確な説明が公団側からもなかったような記録拝見したんですけれどもね。三 〇%はどうしても抑制額に使うんだという根拠といいますかね、まあ理論的な根拠というか、そういったことについて納得のできる説明してもらえませんか。
○大木正吾君 その抑制額に使う分というものは、一体どういう、この前も大分、私記録拝見したんですがね、余り的確な説明が公団側からもなかったような記録拝見したんですけれどもね。三 〇%はどうしても抑制額に使うんだという根拠といいますかね、まあ理論的な根拠というか、そういったことについて納得のできる説明してもらえませんか。
○二宮文造君 それからもう一点、私はお伺いしたいのですが、先ほど次長から説明いただいたのですが、あまり早口なので私記録をすることができませんでした。物件の地番と貸し付けの年月日です。それから坪数、平米ですね。それをあらためて資料として御提出をいただきたい。 そこで、それはそれとして、あの新宿区霞岳とおっしゃいました、霞丘じゃないんでしょうか。
ここに私記録を持ってきておりますが、老朽炭鉱住宅の問題なども、これは通産省の、おたくの委託によって調査してあるところでございますが、筑豊やあるいは九州の粕屋方面では四万三千五百五十二戸の炭鉱住宅があるのに、使用中のものが三万七千四百三十三戸で、あき家が六千百十九戸となっておる。修理不能または大修理を要するものは全体の四五・四%となっておる。
○阿部(助)委員 この継続費を制定されるときは、電源開発、その関連のことでこの法律が大体できたというふうに私記録で読んだわけですが、主としてそれが論議され、その必要が強調されてこれができたわけです。ところが、できてしまうと、あとこういう財政法の弾力をつけた部面は全くといっていいほど軍事関係だけに、防衛関係だけに大幅に適用されていくということになってしまうわけですね。
この問題が起きましたのは、最初昭和二十七年ごろ、建設省がたしか八十五メーター程度のダムをつくられるということが出まして、当時から地元では非常に心配をしておったのでありますが、しかしそれはそのままになりまして、三十四年の八月、松永安左衛門さんを中心とした、いわゆる産業計画会議のメンバーがかなり綿密なダム計画を出したことによって、再び大きな問題となりまして、当時、私記録を調べてみますと、三十四年の十一月
○鈴木強君 ちょっときのうの御答弁で、私記録をわからなくしてしまったんですが、三十七年度二千八百六十隻の遭難した船があったということを聞きましたが、そのうち海上保安庁が自力によって、他に応援を求めずに海上保安庁独自の力で救援したというのは、幾らぐらいでございましたか。
これはしかし見解の相違でありまして、そういう回答のあったことを私記録にとどめておきたいと思います。
○竹内(壽)政府委員 私記録を見ておりませんので正確にはお答えできませんが、阿部につきましては、当時、銃砲等所持禁止令ですか、刀剣の運搬、携帯をしたという点についての容疑で逮捕されたようでございますし、もう一人の西野につきましては、電話線を切ったり、電灯線を切ったりしたという容疑に基きまして、たしか逮捕、勾留されたと思います。
しかしこれは、私記録を拝見いたしたわけでございませんので、あるいは間違っているかもしれませんが、そのような報告でございましたので、それ以上は、ただいまの段階では申し上げることができませんので、どうぞ御了承を願いたいと思います。
私記録閲覧権そのものが直ちに憲法上の権利と言えるかどうか、これはやはり問題だと思う。今平たく考えてですよ、記録の閲覧というものは、そのときの法律の作り方によつて制限する場合もありますよ。併し閲覧だけはですね、謄写なんか制限する場合もありますが、閲覧だけは絶対的な権利として四十条ではもう保障しているのです。
ところがですね、これは文部大臣の私記録だけを見た説明によりますと、非常に教唆、扇動者を或る場合に救うために書かれている条件のように盛んに強調されるのですが、実際問題としてはそうじやない、実際問題として問題になる点はそういうことよりも、この組織又は活動を利用するような場合にだけこの法律を適用する、そのほかの場合には教唆扇動した第三者の教唆、扇動は認めて行く、こういうところに実は決して教唆、扇動者を保護
○井本政府委員 私記録を拝見いたしましていろいろ検討いたしました。そのうちで關谷、岡田両氏については逮捕許諾の請求をするのが相当であるという意見を具して大臣に上申いたしました。その以外の何人であつたかというような点につきましては、この捜査の秘密でございまして、ただいま発表する限りではないと存じます。
○岡原政府委員 これは実際問題としては、ほとんどあり得ないのではないだろうか、明治二十年以前にやつたその殺人というものも、どういう凶悪な犯人であつたか、私記録上存じませんがよほどのことではなかつたかと想像するわけであります。その他の事案については全部断つておるような始末でございまして、おそらく今後もそういうふうな方針で事を処理して行く、かようなことになろうかと思います。
○中島証人 私は何事によらずその都度いろいろなことについて記録しておくようにずつと心がけておつたので、その問題もことによつたら私記録してあると思うのですが、記録したかしないかも現在記憶がはつきりしません。
○加瀬證人 それは私記録をとつたものが家にあるのですよ。きのうも家に帰れなかつたので、きのうでしようこちらから通知が來たのが、だからはつきりわからないのですが、今あの当時のことを思い起そうとしても、そのあとに起つた人員整理の問題の方が頭の中にはつきりしておるので、その当時のことははつきり覚えておりません。
私記録を受取つたときに中野檢事が私のところに來まして、これは一連の事件なんだ、こう分けて割当てるのは事件係の方でなつちよらんといつて私のところに全部よこしたわけです。そのとき中野檢事がこれは大体拘留するような被疑者じやない、これは君調べた上でできるならば拘留しないで出した方がよいということをいつておりました。