2018-05-24 第196回国会 衆議院 本会議 第29号
私は、個人的には高鳥委員長のことを、大変に私淑、敬愛申し上げております。しかしながら、職責の果たし方には、以下るる申し述べます問題が数多く、また強く問題があるために、以下、一個一個指摘をさせていただきます。 昨日の日大アメリカンフットボールチームの監督やコーチの会見に、多くの批判が上がっています。
私は、個人的には高鳥委員長のことを、大変に私淑、敬愛申し上げております。しかしながら、職責の果たし方には、以下るる申し述べます問題が数多く、また強く問題があるために、以下、一個一個指摘をさせていただきます。 昨日の日大アメリカンフットボールチームの監督やコーチの会見に、多くの批判が上がっています。
私は私淑しているわけですけれども、彼は、フランス革命は絶対失敗するとおっしゃったんです。理由はなぜか。人間の理性を一〇〇%信ずるのかどうかが保守主義の分かれ目だと言うんですね。 人間の理性は完璧でないと思うのが保守主義だ、私はそう思います。だから、過去に戻る必要はないんです。過去は愚かな人間がつくった制度ですから、反動主義に陥ってはいけない、復古主義に陥ってはいけない。
私は賀屋さんに私淑した一人ですけれども、あれは初めて統制経済をやったんですね、戦争の近いこともありましたけれども。そういったものが私は今日どういう意味合いを持つかわかりませんが、とにかく、あなたのおっしゃるとおり、デフレの不況というのは未曽有のことでして、これはなかなか本当に克服するのは難しいと思いますけれども、頑張っていただきたい。
かつて地方議会で仕事もさせていただいておりましたけれども、地方議会当時から、実は私は菅大臣のことは遠目で私淑をさせていただいておりました。また、こうして、まさに私どもは地方に立つ議員であると思っております。地方の現状というものは決して楽観を許さない、そういう中で、先ほど申し上げました、地方が元気がなければ国は滅びてしまう、そういう信念で私は議会活動を続けさせていただいております。
私は学生時代に、早稲田ですけれども、私淑していた、私淑というか、その本を読んで尊敬を申し上げておりました石橋湛山先生は、日米中ソ平和同盟ということをおっしゃっておられました。当時は全く相手にされなかったそうでございますけれども、今でいうと日米中ロ、さらにそれに韓朝、将来は日米中ロ韓朝平和同盟をつくるんだというぐらいのビジョンをしっかり持ってやっていかなきゃいけないんじゃないかなと。
地元の群馬県でも中曽根派と福田派が世紀の大和解をいたしましたし、やっぱり時代は変わってきておりまして、そこで、その中核にいる中曽根康弘元総理、大勲位とか、あるいはまた、総理が慶応大学の先輩として私淑した綿貫民輔先生、あるいはその御一行の郵政反対組の方々、こういう方々も含めて私はかつては一緒に、総理と一緒に頑張ってこられた方だと。総理の思う方向は実はよく、結論は出ました。
福田さんに私淑して国際人口問題議員懇談会の会長まで引き継がれましたが、農林水産大臣を一生懸命やっておられました。これは、やはり総理と大統領で決まっているんです。全く図式が似たような感じで来ているんですね。日本とアメリカの問題で、こういうふうに決着がつけられてしまうんですよ。
私淑申し上げておりました大平正芳首相から、「君の一議席も大変重いよ」と言われたことを、今でも鮮明に記憶しております。 私は、四半世紀の政治生活の中で、社会保障を中心として取り組み、医療、介護、そして年金改革のさまざまな重要な局面に係わってまいりました。
私が政治の舞台で活動する一番先に、実は、今は亡くなりましたが末次一郎先生という方に大変私淑をしておりまして、その末次さんが北方領土返還運動というのを全力でなさってこられた。そういったところから私の一つのスタートがあるわけでありますけれども、この北方領土の問題、そして竹島。
人間として、また政治家として私淑をいたしております二階運輸大臣に初めて質問をさせていただきます。短時間でございますが、どうぞよろしくお願いいたします。 まず、重要港湾関係について質問をさせていただきます。
自分が真に私淑したと言えるのは、石橋政嗣先生だった」と述懐されていたと聞きます。 その言葉どおり、前島先生は、石橋氏のもとで、同氏の書記長時代には党派遣の秘書として気配り十分の仕事ぶりを示し、委員長時代には再度の総務部長として書記局の切り盛りを一切任されるなど、期待されたとおりの働きをされたとお聞きします。
あの人は京都大学の出身で、前にも申したかもわかりませんが、西田幾多郎先生に大変私淑しておられるという立派な方ですから、そういうことで日本は江沢民さんと今度APECで会って、徐立徳さんの問題はまだ解決はしていないと思いますが、私はそういう意味で日本の政治的な指導者は、東洋は東洋のことなんだからそういうことでお互いに話し合う機会、その仲介の労をとる、お互いにけんかをし合う仲をだれかが中へ入らなかったらこれは
○平田委員 次に大臣にお伺いをしたいと思いますが、大臣が私淑しておいでになるといいますか、四元義隆氏あるいは竹下登元首相、平岩外四前経団連会長、また三重野前日銀総裁との定期的な懇談会をやっておいでになるということは、参議院の予算委員会でお認めになったわけでございます。
対教師の関係も変わってまいりまして、批判的、独立的、閉鎖的な態度が強まってまいりますし、その背後にやはり悩みの相談、私淑、思慕といった新たな人間関係が生まれてくる時代でございます。 こういうことを見てみますと、今の中学校教育が教科に非常に大きなウエートがかかり過ぎていて、もっと大事な、人間を総合的に見る、あるいは個性差を見るということが非常に弱くなっているという面がございます。
また、後に首相となった佐藤栄作氏が、保守合同の後、岸内閣の成立まで、私淑していた吉田茂元首相とともに無所属で通されたことに、政治家の真骨頂が、節を通し節を守ることであるとの思いを強くされたのでありました。
とりわけ熊谷大臣には、実は私が二十代半ばのときに大臣の事務所に一時おり、私淑をしておりました関係で、こういった場所で初めてお目にかかり御質問ができることを大変うれしく存じております。
熟語というようになっていったのは、竹下内閣がリクルート事件で退陣をし、その後継ということで、非常に党内はもちろん党外からも強い声で推された伊東正義氏を本部長に据えた自由民主党政治改革推進本部というものが設置されたころから、政治改革という言葉はたびたび新聞にも登場するようになり、かなり日本人が口にする言葉になり、政治家は特に口にするようになった、こう思うわけでございますが、私は伊東正義先生に個人的に私淑
春日は大臣を同郷の先輩として二十数年来これに私淑し、公私どもに次第に親交の度を加え、被告人が鉄道大臣在任中は異心同体をもって目すべき腹心であり、守矢は大臣と郷里を同じくするのみならず、多年その側近にあり、ひたすら大臣の栄達をこいねがい、献身的に大臣方の家計その他の事務一切を処理し来りたるもの。
これは、先生が初当選以来私淑していた三木元総理の「信なくんば立たず」の政治姿勢に傾倒されたこと、また、先生が若いころに、社会運動家として有名な賀川豊彦氏の影響を受けたゆえと考えられます。 先生は人の心をじんわりと温める政治家であり、丹羽兵(にわひょう)さんの愛称で親しまれ、長老になってもおごらず、庶民性を失われませんでした。
小林進代議士は大変正義感が強うございまして、私が大変私淑をしておった先輩でございますが、伊藤検事総長にもお会いをしておられるようでございます。平和相互のことについても、強い捜査の要請をしておられたようであります。必ずやりますから見ておってくださいというお話だったということなんであります。