1954-12-22 第21回国会 衆議院 予算委員会 第2号
あなたは会つておらないと言いますが、伊藤が平野君に——りつぱに築地の秀花であなたと重光外務大臣と伊藤の三君が会つて、立法化のために三千万円を要求して、そこでは現金の持合せがないからというので、駒込の伊藤の家にとりに行つておるのでありますが、この点はいかがでございますか。
あなたは会つておらないと言いますが、伊藤が平野君に——りつぱに築地の秀花であなたと重光外務大臣と伊藤の三君が会つて、立法化のために三千万円を要求して、そこでは現金の持合せがないからというので、駒込の伊藤の家にとりに行つておるのでありますが、この点はいかがでございますか。
大麻国務大臣に伺いますが、昭和二十七年の九月五日ごろ、築地の秀花という待合で、重光外務大臣とあなたと伊藤斗福君とが、この保全経済会並びに日本殖産の立法化の請託を受け協議をしたという資料があがつておりまするが、これをお認めになりますかどうですか。
○田渕委員 昭和二十七年の九月五日に、秀花であなたと大麻君と伊藤君と三人がしかと会つておられるのでありますが、その点もないと否認なさいますか。
○山崎証人 秀花における金一封は、八百万円が三浦義一あんに百五十万円は土地建物の名義人になつております高源重吉に児玉誉士夫さんを通じては渡したのであります。これは私の手から渡したのでなくして、伊藤斗福さんから三浦さん、児玉さんに渡されたのであります。ただ、私はその席に立会つたことは事実であります。
それは先ほど申しました八百万円と百五十万円いわゆる金一封を出しました十二月初旬のときに、築地の秀花におきまして会見をいたして授受が行われたのでありますが、そのときに一切三浦氏は新夕刊から関係を断つ、もし今後新夕刊の問題について紛淆を生じた場合には三浦義一はこれに協力をする、こういう覚書をとりかわしております。
だから、どうもあなたにはそのことは答えられそうもないから伺いませんが、次にあなたに伺いたいことは、築地の秀花という待合にあなたも行つているという事実があがつているわけです。何回ぐらいあなたはこの秀花においでになられたか。
○神崎証人 秀花という待合を全然知りません。
秀花には何回か行つたことがあります。
ちよつとくだけたお話をしますが、伊藤君は築地の秀花へ十五、六回から二十回ぐらい行かれたことがある。これは秀花の帳簿も全部あがつておるからわかります。あなたの行つた回数もわかつておる。そこで、妙なことを伺うのだけれども、伊藤君の秘書に女の秘書がいましたね。古田、金子、もう一人何と言いましたか……。
と証言し、また引続き同委員の「これは日がはつきりいたしませんが、九月の五日、ころに築地の秀花という待合で、重光、大麻、伊藤理事長の三人で三者会談を開かれたというのでありまするが、そういう事実を伊藤から聞いておるかどうか。」という質問に対し、「伊藤から聞きました。」
(笑声)これは日がはつきりいたしませんが、九月の五日ごろに築地の秀花という待合で、重光、大麻、伊藤理事長の三人で三者会談を開かれたというのでありまするが、そういう事実を伊藤から聞いておるかどうか。