1986-08-22 第106回国会 参議院 決算委員会 閉会後第1号
河本嘉久蔵君 沓掛 哲男君 斎藤栄三郎君 杉山 令肇君 寺内 弘子君 中曽根弘文君 永野 茂門君 福田 幸弘君 宮崎 秀樹君
河本嘉久蔵君 沓掛 哲男君 斎藤栄三郎君 杉山 令肇君 寺内 弘子君 中曽根弘文君 永野 茂門君 福田 幸弘君 宮崎 秀樹君
杉山 令肇君 鈴木 省吾君 寺内 弘子君 中曽根弘文君 永野 茂門君 福田 幸弘君 真鍋 賢二君 松尾 官平君 宮崎 秀樹君
石井 道子君 石本 茂君 梶木 又三君 山東 昭子君 関口 恵造君 曽根田郁夫君 原 文兵衛君 星 長治君 宮崎 秀樹君
岩崎 純三君 遠藤 政夫君 佐々木 満君 関口 恵造君 曽根田郁夫君 田代由紀男君 田中 正巳君 前島英三郎君 宮崎 秀樹君
ここの第三号基のところで、十年前ですけれども、宇都秀樹ちゃんという小学校二年生八歳の男の子が、おじいちゃんが刈谷にいるものですから冬休みに遊びに来ておりまして――外相、ちゃんと聞いていていただきたい。その鉄塔の中に入りまして、三万ボルトの電流が通っておりますので、そこで死ぬという事件があったわけです。
そして、秀樹ちゃんの冥福を祈るんだということで頭をなでるというので、私が持っていったときには白いお地蔵さんでしたけれども、日に焼けて本当に真っ黒になって、黒光りするようになっているのですね。 ですから近所のお寺さんなども、もうこれは思想、信条を超えるといいますか、そこの場に置いておかなければだめなんだと。
そこで、新聞の報道によりますと、今概要を読み上げて申し上げましたけれども、簡単に言えば、この対象になりました先生、中村秀樹教諭三十五歳ですが、事の発端は、一昨年六月、捨てられていた子犬二匹を中村教諭の指導で教室内で飼い始めたのがはじまり。そして、そのことからいろいろ問題にされて、同教諭は訓告処分を受けた。ところがその後、今申し上げたように自治会の通し回覧でこの先生の転任を求める署名運動が始まった。
過去の例を申し上げますと、湯川秀樹先生のノーベル賞の仕事というのは、全く仁科芳雄先生という博労役がおられて、非常に早くからそれに目をつけて引っ張り上げられたからこそ成立していると思うんです。ほかにもいろいろな研究があるんですが、多くの場合、そういう博労役がいないために育たないままでおしまいになってしまっているという例が日本にはしばしばございました。
問題は、この内藤さんがそういうようにして政策スタッフ、主任研究員の一人として日航から出向されておるということでございますが、その後内藤さんの後に続いて一杉秀樹さんが続いてこの研究所に出向されるという状況になっていたようであります。
○橋本敦君 私の手元に日航の経営企画室政策グループの白鳥一男さんからいただきました一杉秀樹氏略歴という略歴書がございます。これによりますと、一杉さんは日航に入社されたのが四十四年でありますが、その後の経過は別として欧州勤務等を綴られた後、五十七年に情報システムに勤務、それから五十九年十月から経営企画室付になって日本総合研究所に派遣をされる、そして六十年三月に退職、こうなっておるのであります。
フリカ局長 三宅 和助君 外務省経済局長 国広 道彦君 外務省経済協力 局長 藤田 公郎君 外務省条約局長 小和田 恒君 外務省国際連合 局長 中平 立君 分科員外の出席者 総務庁人事局企 画調整課調査官 防衛施設庁施設 山中 秀樹君
そしてそれを受けて湯川秀樹博士がこういうふうに書いておるのですね。これをちょっと耳を澄まして聞いてもらいたい。「かりに短期間そういう状態が実現したように見えても、それは極めて不安定な状態であります。なぜかといえば、両者はそれぞれ相手を知り尽しているわけではありませんし、また相手の状態を一〇〇%の確実さで予測することもできません。
このラッセル・アインシュタイン宣言、ラッセルはイギリスの著名な哲学者であり、それからアインシュタインはアメリカの原爆製造計画であるマンハッタン計画を指導なさった、手紙をルーズベルト大統領に出した、その人でありまして、この二人が、日本では湯川秀樹博士も署名をいたしまして、一九五五年に声明を出しました。
○伏見康治君 この際、長官に聞いておいていただきたいことがあるんですが、私が大阪大学に参りましたときに、私は助手として行ったのですが、そのときに助教授で湯川秀樹先生がおられまして、そして有名なノーベル賞をもらわれた論文を大阪大学の講義室で聞いて、非常に感激したことを覚えているわけです。
これは常識で考えてもそうなわけですが、そういうものとしては重イオン、もっとチャージの大きな粒子をぶち込むとか、あるいは湯川秀樹先生がその存在を予言されたので極めて有名なパイ中間子というものを使うのがいいというふうに言われているわけでございまして、その方面の放射線によるがん治療という面で、将来そういうものが有望視されている。
あなたと議論しておりますと次の議題に入れませんから軍縮論はやめますが、我々は科学的にいろいろなことを考えるがゆえに、湯川秀樹博士あるいは多くの世界の科学者が言うように、核は絶対悪だ、そういう思想を持たない限り人類は救われないぞということは、私はやがて歴史が証明すると思うのであります。特に、民主党の大統領候補モンデール、私は、ひょっとするとレーガンが負けてモンデール内閣になると思うのであります。
そして、事務局長は岡本秀樹なる国士館大学のOBでございますけれども、三億三千万の支出をして、工事が始まったといったって、六月に鉄骨が倒れてしまって初めからやり直さなくちゃならぬ。十一月には世界空手選手権大会をやるというが、そんなものに間に合うような状態ではありません。
これは、湯川秀樹先生もそのことを言われておる。ところが、だんだん大臣の答弁等を聞いておると核抑止力がどうだとかいうようなことも言われるわけですが、こういう兵器はいかぬけれども核は必要なもの、こういう認識の上に立ってこの軍縮問題あるいは平和的な取り決め条項を考えておるのかどうか、私は大臣の核に対する認識をいま一度明確にお聞きしておきたいと思う。
昨年六月、第四回科学者京都会議が開かれ、いまは亡き湯川秀樹博士を初め日本の知識人を代表する方々が集い、あくまでも非核三原則の堅持を前提に、ことしの国連軍縮特別総会に向けて次のことを提案しています。核保有国は核非保有国に対して核兵器を使わないこと。核超大国は期限と数量を明示して核兵器の削減を開始すること。
たとえば湯川秀樹さんだってそうだったかもしれません。それからまた、他の学術団体の会長、副会長というような地位について、会員でないというような場合もあり得ると思います。また同時に、若い研究者でまだ学術会員ではないけれども、わが国のある学術的問題に関してすぐれた業績や研究という方向性を持っている人もいるでしょう。
湯川秀樹先生などは宗教的な物の考え方の中に中間子原理を発見することができたと言われるほど、科学を学ぶ音あるいは科学者なるがゆえに国語力というものを粗末にするということは決してしていない。
――――――――――――― 本日の会議に付した案件 議員前尾繁三郎君逝去につき追悼演説の件 元副議長中村高一君逝去につき弔詞贈呈報告の 件 元議長石井光次郎君逝去につき弔詞贈呈報告の 件 日本学士院会員理学博士湯川秀樹君逝去につき 弔詞贈呈報告の件 議員請暇の件 本会議における議案の趣旨説明聴取の件 本日の本会議の議事等に関する件 ――――◇―――――
次に、故日本学士院会員理学博士湯川秀樹さんに対する弔詞贈呈の報告がございまして、議長が弔詞を朗読されます。 次に、石原健太郎さん、武藤嘉文さんの議員請暇についてお諮りいたします。 次に、趣旨説明に入りまして、老人保健法案につきまして、村山厚生大臣の趣旨の説明がございます。
○山下委員長 次に、日本学士院会員理学博士湯川秀樹君逝去につき弔詞贈呈報告の件についてでありますが、さきにノーベル物理学賞を授与され、第六回国会において特に院議をもってその栄誉をたたえた湯川秀樹君が、去る九月八日逝去されました。 ここに謹んで哀悼の意を表します。
○議長(福田一君) さきにノーベル物理学賞を受けられ、特に院議をもってその栄誉をたたえた日本学士院会員理学博士湯川秀樹君は、去る九月八日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。 同君に対する弔詞は、議長において去る九月十九日贈呈いたしました。これを朗読いたします。