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47件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2018-05-24 第196回国会 衆議院 内閣委員会 第20号

ごみ問題なんかもまさにそうで、やはりそういう形で、地域が、誰の責任で、誰が金を出せということではなくて、責任ではないけれども、この町をよりよくするために、つまり、最終的にはこの依存対策は全ての福祉プロジェクトにつながるというふうに考えていくところはやはり公衆衛生モデルで、医療モデルというのは基本的に病気がなくなれば平穏になるという考え方なので、感染症対策なんかはまさにそうなわけで、そこはやはりちょっと

西村直之

2017-05-25 第193回国会 参議院 厚生労働委員会 第19号

国務大臣塩崎恭久君) これはまさに二号被保険者年齢拡大の問題とつながる問題かと思いますけれども、私も前申し上げたように、自社さ政権時代介護保険のスキームを議論する場に福祉プロジェクトチームでおりましたが、その際に、二号被保険者の範囲をどこまでにするかということも実は大変大きな課題として議論が分かれました。

塩崎恭久

2017-05-18 第193回国会 参議院 厚生労働委員会 第17号

国務大臣塩崎恭久君) 以前にも私申し上げたかも分かりませんけれども、ちょうどこれ自社さ政権のときに介護保険議論が行われて、私も福祉プロジェクトチームの一員として、これは安倍総理なんかもメンバーでおられましたけれども議論に参加をした際に、この現金給付をどうするかということについてはかなり繰り返し議論をしたことを覚えております。  

塩崎恭久

2016-03-15 第190回国会 参議院 厚生労働委員会 第4号

ございましたが、私どもは、あの時点でも、あのときは自社さ政権でありましたが、福祉プロジェクトチーム議論した際に、営利企業にも加わってもらってそれぞれの持ち味を生かしてもらうということを考えたところでございまして、そのための重層的なサービスを提供できる体制を整えるということが選択をされたというふうに思います。御一緒議論をしていたと思います。  

塩崎恭久

2015-07-29 第189回国会 衆議院 厚生労働委員会 第31号

どこで転換したかというと、介護保険を導入した際に、民間主体を入れるべきかどうか、これは、村山政権時代に、私ども自社さ政権福祉プロジェクトチームというのがあって、私もそのメンバーで、さんざん議論をした末に、反対派もたくさんおられましたが、民間主体を入れようということを決めました。  

塩崎恭久

2001-06-12 第151回国会 参議院 外交防衛委員会 第15号

一言、私も村山内閣時代与党福祉プロジェクト座長などをやらせてもらって取りまとめを随分やらせていただいたんです、駆け出しで本当にありがたい仕事をさせていただいたんですが。そのときに、与党の会議であっても役所の方が出てきて見事な文書をまとめるんですよね。この能力たるやすごいものですよ。本当に、自分で考えて書いている暇にぱっと来ますから、それを見ていいか悪いかと判断する。

今井澄

2000-05-23 第147回国会 参議院 国民福祉委員会 第22号

これは大臣とかつて一緒にやらせていただきました介護保険制度をつくってくる過程ですが、あれはそもそも一九九四年、堂本さんなんかも一緒でしたが、あのとき樋口恵子さんとか岡本祐三さんとか山口昇さんとかああいう人たち、それから大森彌さんが座長でしたか、高齢者介護自立支援システム研究会というのが厚生省にできてその報告が出されて、それを与党福祉プロジェクトで検討して、その中に措置から利用主義へという理念がまずぼんと

今井澄

1999-11-18 第146回国会 参議院 国民福祉委員会 第2号

それは、もしかしたら政調会長はその任にいらっしゃらなかったからそうかもしれませんけれども、それこそ今井さん、尾辻先生もいらっしゃいましたし、それから清水澄子さん、みんな本当に週に一回ずつぐらい福祉プロジェクトの中で検討してきたし、もっとそのことにかかわってきたのは私は審議会だというふうに思っています。  

堂本暁子

1999-11-16 第146回国会 衆議院 厚生委員会 第4号

丹羽大臣とは、たしか自社さ政権時代与党福祉プロジェクトちょうど介護保険の原案をつくっていたときでございますが、同席をさせていただいたわけでございます。私はさきがけの一年生議員で、さきがけから出た三人の中の一人でございました。末席に加えていただいておりましたけれども丹羽大臣の御見識には、そのころから大変尊敬を申し上げていたところでございます。

金田誠一

1999-07-19 第145回国会 参議院 予算委員会 第19号

私も一時与党におりまして、ゴールドプランを新ゴールドプランにするときに一生懸命頑張った、そのときの与党福祉プロジェクト座長だったんです。大蔵省にも行きました。自治省の人とも話しました。それで、来年の末までにホームヘルパーを十万人、これがゴールドプランだったんですが、それを十七万人まで持っていくのがやっとだったんです。

今井澄

1999-04-13 第145回国会 参議院 国民福祉委員会 第7号

そこで大臣にお伺いしたいわけでありますが、実は年金から天引きをするという方向性はたしか福祉プロジェクトチームで決めたような気がいたします。今、具体的に十八万というバーもはっきりし、そしてだんだん全体像が計算しやすくなってきた中で、もう一回この問題についてどう思っておられるのかについてお伺いをしたいと思うんです。  

塩崎恭久

1999-04-13 第145回国会 参議院 国民福祉委員会 第7号

これはそもそも、我々福祉プロジェクトチームでも民間が参入するという話をやろうということを言ってまいりましたが、これは言ってみれば民間サービスによって質の向上とコストダウンという両面のことをねらってのことだと思っているわけであります。  その一つである介護サービスについてのいわゆるバウチャーについてでありますが、このモデル事業を昨年度やっているわけですね。

塩崎恭久

1997-09-18 第140回国会 参議院 厚生委員会 閉会後第1号

それと、私は、去年の与党福祉プロジェクト全国各地幾つ公聴会をやったときには、まだまだ介護保険というものが十分理解されなくて割合形式的な議論が多かったけれども、今度は、今の先生方の御意見にあったように、認定の問題だとか不服の問題だとか現金給付とか非常に具体的な議論が進んでいるという意味では、私は非常に議論が進んで認識も深まっているな、問題点も明らかになっているなという気がしました。  

今井澄

1997-06-17 第140回国会 参議院 厚生委員会 第20号

今井澄君 実はこの制度をつくるのに私も深くかかわっておりまして、当時の与党福祉プロジェクト座長としてずっと新ゴールドプランからこのプランにかかわってきて、当初は当然のこととして二十歳からという、これは宮崎先生も御一緒でやってきたわけですけれども、二十歳が常識でやってきたんです。それをなぜ四十歳にしたかというと未納者問題ですね、簡単に言えば。  

今井澄

1997-06-17 第140回国会 参議院 厚生委員会 第20号

ゴールドプランは急速つくった緊急整備計画、それに理念を盛り込んだとか、いろいろ新しいものを盛り込んだというのがありましたが、私は、もう一つその過程で出てきた、これは国会の審議あるいは与党福祉プロジェクトなどの中で出てきたことは、ゴールドプランの段階では家族介護をいかに公的に支援するかという旧来の考え方だったと思うんですが、急速に家族介護から社会的介護へという考え方が転換してできたのがゴールドプラン

今井澄