1976-10-08 第78回国会 参議院 災害対策特別委員会 第2号
○矢原秀男君 で、まあ教授が話しておられますことは、実際に被害を受けられたこれは一宮の福知地区というわけでございますが、まあここは流紋岩とその凝灰層、それから安山岩とその凝灰層など四種類の地質がまじっている頂点に位している、まあこういうふうに言われておるわけでございます。
○矢原秀男君 で、まあ教授が話しておられますことは、実際に被害を受けられたこれは一宮の福知地区というわけでございますが、まあここは流紋岩とその凝灰層、それから安山岩とその凝灰層など四種類の地質がまじっている頂点に位している、まあこういうふうに言われておるわけでございます。
こういう点については非常にちょっと遅いという感じもあったわけですが、その間の事情とそれからもう一つ、事が少なくてよかったんでございますが、避難勧告をした福知地区というのは、百万トンの土砂が流れて、小学校の三階建てすらも頂上まで埋まったという、非常に一番大変なとこなんですが、その下三方小学校に避難勧告をされたのかどうか、当初ですね。その点について、ちょっと明快な御答弁をお願いしたいと思うんです。
それで、御質問にございました次の避難勧告につきましては、どこに避難勧告を指示したかということは、ちょっと現在手持ちの資料でわかりませんが、八時三十分にまず福知地区が危ないということで、小学校に避難勧告がされた。それで九時三十分にその小学校も危ないということで、直ちに小学校から避難するように勧告をした。その後に大きな津波が来て小学校がのみ込まれた、こういうことでございます。