1996-02-15 第136回国会 衆議院 予算委員会 第13号
それは、年月日から始まって、預金保険法成立、昭和四十六年、例えばそのときの公定歩合は四・七五で、総理は佐藤栄作、蔵相は福田赴夫、大蔵次官鳩山、銀行局長近藤、こういうことから全部ずっとつくって、農林大臣、農林水産次官、経済局長、日銀総裁という表がつくってあるんです。だから、そういう点はよろしくお願いします。 それからもう一つは、一枚紙のも通常国会に入る前に我が党の議員ほとんどに配ってあります。
それは、年月日から始まって、預金保険法成立、昭和四十六年、例えばそのときの公定歩合は四・七五で、総理は佐藤栄作、蔵相は福田赴夫、大蔵次官鳩山、銀行局長近藤、こういうことから全部ずっとつくって、農林大臣、農林水産次官、経済局長、日銀総裁という表がつくってあるんです。だから、そういう点はよろしくお願いします。 それからもう一つは、一枚紙のも通常国会に入る前に我が党の議員ほとんどに配ってあります。
例えば福田赴夫総理大臣は、福田ドクトリンなどと言われる演説をかねてなさったことがございます。宮澤元総理も、たしかアジアで演説をなさいました。宮澤元総理の演説は、ともに考え、ともに汗を流そうでしたか、そういった気持ちを述べられたと思いますし、福田ドクトリンの中では、心の友としてと言われたか何か、そういったようなお気持ちを述べられたように思います。
例えて言えば、田中角栄ともおつき合いし、福田赴夫ともおつき合いし、それから中曽根ともおつき合いし、河本さんともおつき合いし、こういう人はちょっと世の中にいないと、あるパーティーで私が本人を前に置いてあいさつしたことがあるのですが、いわゆる、まあまあ言えば、でかくはねえが小さい政商みたいな人じゃないですか。
私は四十三年の議員ですが、四十四年のときにあの税金が国民固有の財源であると大蔵大臣の福田赴夫さんも言うのに一年かかったです、私はそればっかり地方行政委員会でやって。だから、なかなか大蔵省というのはガードがかたいです。ですが、そういう点で大臣も先ほど来努力するというので、そういう点を踏まえて最後にひとつ大臣の御見解をいただいて、質問を終わります。
さらに、十五日の日に福田元総理からお電話がございまして、田中さんから話を聞いたけれども、詳しい話をひとつしてほしいとおっしゃって、私、福田赴夫元総理のところへ伺いまして詳しくお話をいたしましたら、福田元総理も、これは堀さん大変重要なことだ、今あなたがやろうとしておることは全面的に協力をしてあげます、こういうお話でございましたし、さらに鈴木元総理とも、これらの経緯がありますので、電話ではございますけれども
佐藤内閣末期の水田三喜男氏、田中内閣の植木庚子郎氏、亡くなられた愛知揆一氏、福田赴夫氏、そして現在三木内閣の大平正芳氏、この五人であります。そして、社会党の大蔵部会の評価は、大平さんはこの五人の大蔵大臣のうち下から二番目、それも三位とは大きく水のあいた四位でございます。第一位がだれで、第五位がだれか、ここでは申し上げません。