2009-11-02 第173回国会 衆議院 予算委員会 第2号
これを初めて出したのは戦後だれかというと、昭和四十年に福田蔵相のときにちょっとあるんだけれども、これは一年だけの話で、その次は大平さんなんです。昭和五十年の財政で、大平さんは四十九年から蔵相をやっていまして、そして赤字公債を初めて出した。 私は、大平さんのもとで官房副長官をしていました、総理のときに。責任を本当に感じていました。
これを初めて出したのは戦後だれかというと、昭和四十年に福田蔵相のときにちょっとあるんだけれども、これは一年だけの話で、その次は大平さんなんです。昭和五十年の財政で、大平さんは四十九年から蔵相をやっていまして、そして赤字公債を初めて出した。 私は、大平さんのもとで官房副長官をしていました、総理のときに。責任を本当に感じていました。
この日本経済の高度成長期に、私は福田蔵相のもとで大蔵政務次官、椎名通産相のもとで通産政務次官として日本経済発展に微力を尽させていただけたのは、政治家として幸運なスタートであったと思います。 この二十五年間に日本は高度成長から二度のオイルショックを経験し、低成長時代へと大きく変化いたしました。
しかし、そのときに福田蔵相が当時国会に出された内容を見るというと、条件として、市中消化の原則をまず第一に挙げている。二つ目が公債依存度を五%以下にする。三つ目が建設公債に限定をいたします、だからこの建設国債は御承認をいただきたいというのが議事録に残っているわけです。 そういうことでこの国債というものの道が開かれてきたと思います。
財政法の抑制にもかかわらず、実質的な赤字国債の発行に踏み切ったのは昭和四十年、第一次佐藤内閣の福田蔵相のときからであります。それは当初からインフレ誘発の危険を指摘されたわけでありますが、財政散布の魅力はとどめがたかったようで、次第にそれは増発を重ねられることになりました。
過日の、と申しましても、もう大分前でありますけれど、十年ほど前のこの委員会におきまして、福田蔵相もこの問題には大きな理解を示されておりましたし、たしか時の法務大臣でありました前尾繁三郎先生も前向きの答弁をされておったと記憶をいたしております。いま私が申し上げた社会通念と現行法との開きをこのままにしておいていいんだろうか、ずばりひとつお答えをいただきたい。
この今日の不健全財政は、安易に国債に頼った四十年度末の政府・自民党の財政処理の誤りに原因があるのであり、特に、四十年代に国債発行をやめようと思えばやめられたにもかかわらす、当時の福田蔵相の国債火種論によって国債を持続的かつ安易に発行し、財政節度を忘却し、歳出の膨張と不健全財政体質をつくりしげた財政政策の誤りが今日の事態をより深刻にさせているのであります。
文鮮明氏の言われた内容について別に私はあえて批判しようとは思いませんが、ただ、これは私が宗教的な訓練が乏しい、あるいは理解度が低いのかもしれませんけれども、私の見る限りでは、どうも福田蔵相がこんなにまで、本当にりっぱなお話を承りましたと言うほどの、ちょっと私にはわからないのですよ。そこで、むしろその逆にちょっと気になることは、こういうことを言っておるわけです。
、現在の福田総理が、副総理の当時でしょうか、大蔵大臣か、出席をいたしまして、祝辞を述べたわけでありますが、その祝辞は原文があるから後から見てくれ、こういうお話であったので、委員会としてはぜひそれを出してもらいたいということを要請いたしておりますけれども、これはこれとして、したがってそれがないので、ただ私は文芸春秋に載っておりました記事の中、ほんの一部しか載っておりませんけれども、福田総理、当時の福田蔵相
昨年の十二月の予算委員会で当時の福田蔵相にお尋ねしましたときに、教育、医療、福祉は別だと言った。実際にはそうなっていないのではないか。これは銀行局からお見えになっておれば答えてほしい。
あるいは福田さんに言わしむるならば、去年の十一月、十二月の狂乱物価のころに、この物価が十月段階に逆戻りする水準にまで春には下げるのだ、そういう具体的な目標を福田蔵相はばんと示したですよ。当たる当たらないは、経済ですから、生きものですから、私は少々の誤差は出ると思うのです。
だから、今度またここで、福田蔵相が考えていたような短期決戦論のああいう考え方の総需要抑制をずっとそのままやっていたら、今度はこの前のとは逆な意味の結果が出てくるのですよ。私はそれをおそれる。総裁レースでしのぎを削ろうなんということにあまり精力を集中していて、そういう見通しや経済路線の転換を誤ったときには、一カ月手術がおくれたときには病気は一年も長続きするのです。
そこで、大蔵大臣に重ねて伺いますが、前任者の福田蔵相は、昨年末以来総需要抑制ということを、このインフレ鎮静の旗じるしとされてまいりました。大平大蔵大臣も御就任早々これを継承するということでありましたが、私はどうも総需要抑制というのは決して善政であると思っておりません。
そういったことを既成事実かのように踏まえて、総理にしても、福田蔵相にしても、本年につき例外を求める考えはないとか、従来から七月ごろに米価決定を行なうのが通例だとか、こういうふうにおっしゃるということは農民を無視した言い方であり、けしからぬ問題であると思う。 政務次官も農業のことはよく御承知のとおりでありますが、米価は作付前にきめるということは当然のことであります。
また大蔵当局も、その点については、先ほどお話がありましたように、福田蔵相もそう言っておりますし、また金融当局の日銀総裁もそういうことを言っているわけです。みんなおっしゃるのですが、さて具体的な問題ということになりますと、どうしても話がいま言うように抽象的な方向になってしまう、いつのことかわからぬような状況ですね。これは私は問題じゃないかと思うのです。
昨今の新聞を見ると、福田蔵相も何らかのことを考えなきゃならぬ。四月二十六日の新聞の報ずるところによると、大蔵大臣は、ボーナス特別定期預金が六月に切れる、この七・二五という昨年十二月発売をした新預金を、今度は割増金付定期預金、はずれたものは三%の普通預金金利程度、これを四%預金者に利息としてお返しする。
しかも許しがたいことは、今日のような狂乱物価の状態を招いた根本の原因は、田中内閣の経済政策の失敗にあることは明らかであるのに、今後の経済政策の運営について、田中総理と福田蔵相との間に根本的な考え方の相違すら見られたことであり、再び高度成長政策に復帰する危険さえあります。
福田蔵相は、四十四年、地方財政からの借り上げ措置は行なわないと当時の野田自治大臣との間に文書を交換し調印しておることは、お忘れではないと思います。
もう一つの新聞を見ると、任務の大半は完了、福田蔵相が微妙な発言、とか出ているのだけれども、これはまあいいです。それは別にしておいて、私はこの前本会議で物価について質問したのですが、田中さん答えなかったんですが、参議院選挙前の物価の値上がり方の問題と参議院選挙後における物価の上がり方の問題とは私は違うというふうに見ているのです。
さらに、苫小牧等の大型プロジェクト等について、三木長官あるいは福田蔵相から、これに対してきわめて消極的な御意見等が述べられたということに関連しての御発言でございます。
○春日正一君 まあ、この新聞見ますと、「田中首相は八日の閣議で、公営住宅の払い下げを進めるよう福田蔵相と亀岡建設相に指示した。これに対し、建設相は、三大都市圏についてはころがし方式や公営住宅の建て替えによる高層化を図って分譲を進めたい」というふうに言って「了承された。」と、こういうふうになっておるんですけれども、これは総理が指示したという点は、そうすると誤報になるわけですか。
同審議会は、この方針をふまえて大規模及び零細国有地についても、産業用払い下げを厳しく制限し、公共利用の原則を中心とする答申を福田蔵相に提出した。」と、こうあるわけなんです。
最後に、福田蔵相みずから、土地成金の発生と法人の土地投機に道を開き、田中総理もまた、日本列島改造計画でそれをあおり、国民にはきびしい物価高と住宅難をもたらした戦後最悪の税制ともいうべき土地税制に対しては何ら手を触れることなく、次年度以降に問題を残しただけなのであります。土地取引額は年間十兆円をこえるとの推計もあり、それが国民総生産の水ぶくれ的急膨張をもたらしておるのであります。
心配はないよ、物価問題はだいじょうぶだよと言った日本の総理大臣のもとにおいて、卸売り物価は三六・七%、消費者物価は二四%、福田蔵相をして、まさに狂乱物価と名づけしめるに至ったわけであります。 私はまことに残念でならぬのであります。もしあのときに野党の言に耳を傾けていたとするならば、日本の経済情勢は違った方向に進んだに違いない。