2018-03-15 第196回国会 参議院 財政金融委員会 第3号
昔、お札を改刷をする必要があって、聖徳太子の偽札が出回ったので、福沢先生に御登場いただいて新札を造るという政策を当時の伊吹文明理財局国庫課長が提案をしてこられたことがありました。そのときの大臣は、じゃ、印刷局長は、ノンキャリの印刷局長で、毎晩一升瓶ぶら下げて現場回れるやつは誰かいないかと言ったところ、東北財務局長の石井直一さんというノンキャリの方が出てきた。
昔、お札を改刷をする必要があって、聖徳太子の偽札が出回ったので、福沢先生に御登場いただいて新札を造るという政策を当時の伊吹文明理財局国庫課長が提案をしてこられたことがありました。そのときの大臣は、じゃ、印刷局長は、ノンキャリの印刷局長で、毎晩一升瓶ぶら下げて現場回れるやつは誰かいないかと言ったところ、東北財務局長の石井直一さんというノンキャリの方が出てきた。
○参考人(神保謙君) まず、慶應義塾の一員として、福沢先生の言葉を引用していただいたことに感謝申し上げたいと思います。 国会の関与強化については極めて重要な案件であるというふうに思っていまして、その意図するところは、自衛隊員が命を懸けてミッションに臨むに当たって、国内の議論が分裂している状況や余り歓迎されないような状況の中で送り出すというのはやはり健全ではないと。
「一身独立して一国独立する」という福沢先生の言葉です。 総理が考えていらっしゃる日本らしい自助、共助、公助の在り方は、次代を担う子供たちに教育としてどのように反映すべき、学校教育に反映すべきだとお考えですか。
福沢先生に登場いただいたときの話なんでありますが、旧札を刷りながら新札を刷るわけでありますから印刷局の現場は労働過重になる。時の大蔵大臣が、だったら印刷局長はもう現場の人心収らんできる人がいいじゃないかと考えて、ノンキャリの石井直一さんという方を大抜てきしたことがありました。相当摩擦があったのでございますが、一年たったら留任運動が起きたんですね。改刷も非常にうまくいったということがございました。
福沢諭吉先生のお話をされましたが、大分県中津市は福沢先生の出身地でございまして、私の選挙区でございまして、私も福沢先生をこよなく尊敬しておりますが、独立の気概なき者は国を思うこと深切ならず、有名な言葉を先生は引かれましたが、私も基本的に同じ考え方に立っている、その前提でお答えしたいと思います。 先ほど大臣もおっしゃいましたが、ある意味ではようやくここまで来たんじゃないかという気がするわけですね。
ここで今、日本が一番必要なのは、正に福沢先生の教えをもう一回思い起こすことでありまして、人は生まれながらにして一生は決まっていないというお話がございました。
もう既に、ここで言われております六倍、七倍、国の予算から見ましても既にそれをオーバーしつつあるという状況の中で、私は、明治の時代から基本的な財政論として福沢先生はおっしゃっていた、この辺のことを、今の財政事情と照らし合わせまして、その門下生であります大臣に、この辺の考え方をどう受けとめられているか、ぜひお聞きしたいと思います。
○国務大臣(橋本龍太郎君) 慶応義塾出身の私として、独立自尊という言葉を福沢先生とともに引用していただいたことを、ある意味では幸せに感じながら、ある意味では大変複雑な感じも持って伺っておりました。
私は福沢先生を褒めていただいたのは大変ありがたいと思います。福沢先生はそのほかにもたくさん名言を残しておられますし、まさに時代の先覚者でありましたが、それを強制しようとはしておられないと思います。
「人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」、これが慶応義塾の福沢先生の教えであります。その教えは生涯持ち続けたいと思っておりますが、それが私が余り出世しないゆえんかもしれません。権力主義に余りそぐわないかもしれません。
福沢先生のお言葉のように、徳教は目から入って耳から入らず、口でがみがみ言ってもだめだ、黙っておってやってみせることだ。生徒に対して心配なら、教師が、自分がどうするか、これをやるべきだ。国民に物を言うなら、政治家がまずみずからの姿を考えてみること。そういう式に、いわば指導的な立場におる人から先に立ってこの風潮を改めていくことをしなければいかぬじゃないかと、私は個人的にそう思っております。
たとえば福沢先生やあるいは新島襄先生や大隈重信先生がそれぞれ慶応、同志社、早稲田というような大学をおつくりになりました当時の建学の精神は、当時の国家権力に支配されないで自力でもってやっていくという気魄でもってお建てになりました。しかし、私学というものはやはり公教育をになっておるものでございまして、その後、御承知のように貨幣価値の非常に大きな変動がございました。
たとえば新島先生にしましても、福沢先生にしましても、大隈先生にしましても、そういう意気に燃えて私立大学というものをおつくりになった。したがって、学校の経費というものは、その当時は基本財産と、それから寄付金、それから学生の納付金、これが私立大学の経営費のおもなるものであったのでありますけれども、実は経済事情が非常な大きな変化をいたしました。
もともと私立が成立いたしました当時、たとえば新島先生の同志社大学、福沢先生の慶応大学あるいは大隈先生の早稲田大学というふうなものは、それぞれの建学の精神がある。国家権力の支配を受けないという建学の精神があり、またそれぞれの基本的の財産をお持ちになっておった。ところが、御承知のように、慶応に例をとってみましても、学舎は今度の戦災で全部焼けたわけなんですね。しかもその当時相当の金があったのであります。
福沢先生は、ただの金を貸すと人間はくさる、銀行預金の利息を親として涙をのんで取る。そして、福沢桃介はりっぱな実業家になりました。したがいまして、政府が国際環境をよくし、貿易をよくするために金を貸すときには、福沢先生のような心がけで貸していただきたい。同時に、留学生の受け入れ態勢、特に技術留学生の受け入れ態勢などにもつとまじめな金を使い、その施設をよくしていただきたい。
正一こと木暮さんは、たびたび父に伴われて福沢先生の顔容に接し、その人格と迫力に魅せられて慶応大学にお入りになったのでありましょう。 初当選のころ、国会図書館の語りぐさがございます。大正十三年のころ、毎日毎日、判を押したように国会図書館にあらわれる実に熱心な青年の勉強家がいました。それが、当時の木暮武太夫さんでありました。
個人の尊厳を保つということがえてして自分の尊厳であり、他人の尊厳もまたそれ以上にあれするというふうに言っておりましょうが、私は独立自尊という福沢先生の言葉は非常にりっぱだと思いますが、えてして独立自尊は自分のことであって、いわゆる民主主義をはき違えるような考え方が今までなかったでしょうか。その点なんです。
福沢先生は、「天は人の上に人を造らず」という一句から「学問のすすめ」を始めましたが、その福沢先生の言葉の中に、「独立の気風強からざれば、国を思うこと深くかつ切ならず」、これは与党にとっても野党にとっても大いに感銘すべき言葉だと思うのです。
保守ならば保守で、国を思うこと深く切ならざれば独立の気風は青年の間にみなぎらない、こう福沢先生が言っておりますが、国を思うこと切にして深ければ、もう少し慎重にしてかつ見識ある態度をとっていただきたい、こう思うのですけれども、ただいまの御答弁をただ繰り返していただくだけではいたし方ありませんから、このことは本会議においてわが党から徹底的に追及し、政府の態度を変えていただきたいと思っておる次第です。
私は福沢先生の、門閥は親のかたきでござるという言葉を借りて、結核は親のかたきでござるといって戦った時代がありました。努力の結果、もう結核は過去のものになりましたけれども、今では青年の最高の死亡率は自殺です。この一つのことを思っただけでも、文部大臣は日教組とけんかするひまなんかないのがほんとうである。青年の最高の死亡率が自殺である。これは一体何を意味しているか。また子供たちの最高の死亡率は事故です。