1954-08-12 第19回国会 衆議院 農林委員会 第64号
実はこの点について、今まで農林十八号の育成者でありました福島信知君に対して農林省がどういうことをしたかというと、あまりしていないのです。ただこういうことがあつたのです。
実はこの点について、今まで農林十八号の育成者でありました福島信知君に対して農林省がどういうことをしたかというと、あまりしていないのです。ただこういうことがあつたのです。
それによりますと、福島信知氏なる農林技師が熊本県農業試験場におきまして昭和六年、大分三井百二十号を母とし、宝を父として人工交配を行い、爾後選抜固定をはかり、昭和十六年水稲農林十八号なる新品種をつくり上げたのであることが明らかになりました。同氏はこのほか農林十二号の育成にも成功いたしております。
これは福島信知という人で、昭和二年に熊本県の農事試験場の技師として水稲品種改良に当り、本品種の育成に直接心魂を傾けたのでありますが、昭和十三年同場を退職、以後は私立鎮西中学校に余生を捧げて来たのであります。昭和十四年に同校を辞して、現在熊本の農業試験場の臨時職員として勤務しておる。辛うじて今食うだけのかてをもらつているという、まことに恵まれない人です。