1948-12-13 第4回国会 衆議院 運輸委員会 第4号
沿線は農産物が豊富でございますし、途中には福山あるいは垂水町の都市があるほか、海潟温泉とか、櫻島の観光地帶もございまして、観光客が非常に多い所でございます。経過地は終始鹿兒島湾に沿いまして、地形は概して良好でございますが、諸々に山脚が出入りをいたしておりまして、延長約数キロぐらいの隊道が二十数箇所できる見込みでありますので、相当の工事費を要するものと思われます。
沿線は農産物が豊富でございますし、途中には福山あるいは垂水町の都市があるほか、海潟温泉とか、櫻島の観光地帶もございまして、観光客が非常に多い所でございます。経過地は終始鹿兒島湾に沿いまして、地形は概して良好でございますが、諸々に山脚が出入りをいたしておりまして、延長約数キロぐらいの隊道が二十数箇所できる見込みでありますので、相当の工事費を要するものと思われます。
ところが北海道の福山にかけてのいかの漁は相当あるが、いかんせん船の出入が不完備のために、これまた不漁を來しておる。ついこの間のごとき、これも風浪に追われて帰つて來たいかの船が遭難して、その漁港に入ることができ得ずして二十五名一挙に死んでおる。
しかしながら避難という点ばかりでなくて、地元の漁船を対象といたしましても、改良を要することは事実でございますので、その他小泊の改良、福山の改良等とあわせ考えまして、將來実現をはかつて参りたいと考えております。大体以上お答えいたします。
そうして金を集めましたのはどういう人から集めたかというと、小野徳一氏から五万円、門屋盛一氏から十五万円、原太一氏から七万五千円、梅村忠一郎氏から十万円、萩原氏から十万円、山領氏から十五万円、太平から十万円、永岡氏から十万円、飯塚氏から十五万円、福山氏から二万円、金子氏から五万円、水口氏から十万円、金納氏から十万円、藤島氏から十万円、鹿島氏から三万円清水氏から三万円、合計四十万五千円を集めまして、あなたの
福山久太郎氏が新円で一万円、旧円で一万円。金子正氏が新円で五万円、旧円で五万円。水口正行氏が新円十万円、旧円で五万円。金納清松氏が新円で一万円、旧円で二万円。中津川武雄という人が旧円だけで二万五千円。鹿島組の齋藤弘藏という方が旧円で一万円、合計百二十四万五千円。新円が六十七万円、旧円が五十七万五千円、こうなつておる。
豊田村に停車場設置の請願(第一三六七号) 第一三九 三陸沿岸縦貫鉄道敷設の請願(第一四三四号) 第一四〇 土浦、古河間國営自動車運輸開始の請願(第一四三七号) 第一四一 道路運送監理事務所存続の請願(第一四七三号) 第一四二 佐田岬突端に航路標識設置の請願(第一五一一号) 第一四三 稻荷山、姥捨両駅間に停車場設置の請願(第一五二七号) 第一四四 瀧川、濱釜間鉄道敷設の請願(第一五二八号) 第一四五 福山駅貨物取扱場拡張了定地変更
福山久太郎が新円で一万円、旧円で一万円、金子正が新円で五万円、旧円で五万円、水口正行が新円で十万円旧円で五万円、金納清松が新円で一万円、旧円で二万円、戸田組の中津川武雄が旧円で二万五千円、鹿島組の齋藤弘藏が旧円で一万円、合計百二十四万五千円、さつき申し上げましたように正確なところはわかりません。 それから出した方はどうでしよう。これは全部お尋ねになるのですか。
土建業者が選挙のために集めた金は、梅村組の梅村忠一郎が七万円、小野組の小野徳一が五万円、山領組の山領浜夫が三万円、金子組の金子正が二万円、三浦組の萩原馨が二万円、水口組の水口正行が二万円、管工事の飯塚邦三が二万円、太平土建の西田茂平が二万円、長岡組の長岡梅右衞門が二万円、松尾組の福山久太郎が一万円、金納組の金納清松が一万円、岩崎清七が五千円、佐世保復興建設協会から出しているのが五千円であります。
○川野委員長 次に日程第一五四、北海道植民軌道藻琴線を福山より東洋駅まで延長の請願、永井勝次郎君紹介、文書表番号第一五三〇号を議題とする。
○井谷委員 本請願の要旨は、福山市都市復興計画に関連して、廣島鉄道局は福山駅貨物取扱場拡張を、現福山駅を中心として行う計画らしいが、これが実現により市の中枢部は南北に両断され、交通上支障を來すばかりでなく、市民消費生活の面においても、物資交流、商取引を著しく阻害し、市のこうむる不利益は多大なものがあるから、市の産業発達上、市民の要望である市内三吉方面に適切な箇所を選定されるようはかられたいというのである
萩原興、西田茂平、門屋盛一、福山松太郎、山領浜夫、梅村忠一郎、金納清松、水口正行、小野徳一、金子正、長岡梅右衛門等であります。で、この犯罪に関しましては、なお現に捜査中のものとして残つておりますのは、涜職の容疑に関するものであります。 次の二の事項について御説明申し上げます。
專門調査員 堤 正威君 ――――――――――――― 六月十九日 道路運送監理事務所存続の請願(大石武一君紹 介)(第一四七三号) 佐田岬突端に航路標識設置の請願(井谷正吉君 外九名紹介)(第一五一一号) 稻荷山、姥捨両駅前間に停車場設置の請願(坂 東幸太郎君紹介)(第一五二七号) 瀧川、濱益間に鉄道敷設の請願(小川原政信君 紹介)(第一五二八号) 福山駅貨物取扱場拡張予定地変更
第五百三十 七號) ○國鐵電氣工事獨占開放に關する請願 (第四百七十四號) ○福波線内の馬場、遠西間に國營自動 車運輸開始に關する請願(第四百七 十九號) ○中央線甲府、鹽尻兩驛間二線路の電 化實現に關する請願(第四百九十 號) ○舊宮城電氣鐵道株式會社の鐵道拂下 げに關する請願(第五百四號) ○中央線東鹽尻信號所を一般貨客取扱 い驛とすることに關する請願(第五 百二十九號) ○鹿兒島縣福山港
號) ○上野、土浦及び平兩鐵間の電化に關 する請願(第四百九十三號) ○千葉、成東兩驛間の電化促進に關す る請願(第四百九十九號) ○舊宮城電氣鐵道株式會社の鐵道拂下 げに關する請願(第五百四號) ○中央線東鹽尻信號所を一般貨客取扱 い驛とすることに關する請願(第五 百二十九號) ○佐原、成東間の栗源より山倉、常磐 村に国營自動車の運輸開始に關する 請願(第五百三十號) ○鹿兒島縣福山港
號) ○上野、土浦及び平兩驛間の電化に關 する請願(第四百九十三號) ○千葉、成東兩驛間電化促進に關する 請願(第四百九十九號) ○舊宮城電氣鐵道株式會社の鐵道拂下 げに關する請願(第五百四號) ○中央線東鹽尻信號所を一般貨客取扱 い驛とすることに關する請願(第五 百二十九號) ○佐原、成東間の栗源より山倉、常磐 林に國營自動車の運輸開始に關する 請願(第五百三十號) ○鹿兒島縣福山港
號) ○上野、土浦及び平兩驛間の電化に關 する請願(第四百九十三號) ○千葉、成東兩驛間電化促進に關する 請願(第四百九十九號) ○舊宮城電氣鐵道株式會社の鐵道拂下 げに關する請願(第五百四號) ○中央線東鹽尻信號所を一段貨客取扱 い驛とすることに關する請願(第五 百二十九號) ○佐原、成東間の栗源より山倉、常磐 村に國營自動車の運輸開始に關する 請願(第五百三十號) ○鹿兒島縣福山港
號) ○上野、土浦及び平兩驛間の電化に關 する請願(第四百九十三號) ○千葉、成東兩驛間電化促進に關する 請願(第四百九十九號) ○舊宮城電氣鐵道株式會社の鐵道拂下 げに關する請願(第五百四號) ○中央線東鹽尻信號所を一般貨客取扱 い驛とすることに關する請願(第五 百二十九號) ○佐原、成東間の栗源より山倉、常磐 村に國營自動車の運輸開始に關する 請願(第五百三十號) ○鹿兒島縣福山港
號) ○上野、土浦及び平兩驛間の電化實現 に關する請願(第四百九十三號) ○千葉、成東兩驛間電化促進に關する 請願(第四百九十九號) ○舊宮城電氣鐵道株式會社の鐵道拂下 げに關する請願(第五百四號) ○中央線東鹽尻信號所を一般貨客取扱 い驛とすることに關する請願(第五 百二十七號) ○佐原、成東間の栗源より山倉、常磐 村に國營自動車の運輸開始に關する 請願(第五百三十號) ○鹿兒島縣福山港
○劔木説明員 廣島に綜合大學が將來できるといたしまして、その一環として福山市に農産學部を設置されたいという御請願のようでありますが、これも實際新制大學に切りかえます場合には、廣島の綜合大學のあり方というのを、實地に十分研究いたしまして、財政の状態からこれが可能であるならば、私どもとして、できるだけ努力していきたいというように考えております。
○高津委員長代理 日程第七、廣島綜合大學の一環として福山市に農産學部設置の請願、文書表第一〇七九號、紹介議員大宮伍三郎君。——紹介議員に代わつて伊藤君にお願いいたします。
廣島縣に綜合大學の設置が計畫せられて、これが決定せられ、なおその一環といたしまして福山市に農産學部が設置せられることになつておりますが、福山市は御承知のように交通の要路にあり、農業及び水産業上の地理的條件も非常に有利であります。
私も實は福山でありまして、福山城がありましたが、この度の戰災で燒けてしまいました。こういう日本の城砦の建築というものが段々少くなつて來ますので、こういう代表的なものがよく保存されるということは、非常に意義があることと存じておる次第であります。
恩給増額に關する請願外四十二件 (小澤佐重喜君紹介)(第一〇三一號) 小學校教員の恩給増額に關する請願(小澤佐重 喜君紹介)(第一〇三八號) 教職員の恩給増額に關する請願(久保猛夫君紹 介)(第一〇五七號) 新潟縣に綜合大學設立の請願(笠原貞造君外八 名紹介)(第一〇六二號) 千代田區内に新學制の標準校指定に關する請願 (大島多藏君紹介)(第一〇六六號) 廣島綜合大學の一環として福山市
中國山脈から源を発しました蘆田川は、山陽線の福山市のそばを通りまして、瀬戸内海に流れこんでおる廣島縣東部の最大の川であります。御承知のごとく中國地方の森林は、非常に密生しておりせんで、少し雨が降ると直ちに洪水となり、大正八年に大洪水がありまして、福山全市浸水、流失その附近数十箇町村が被害を受けたのです。