2018-11-29 第197回国会 衆議院 安全保障委員会 第4号
饗庭野演習場においては、まず地元高島市の福井市長から、演習場と地元とのかかわり、事故原因の究明と再発防止策の実施の必要性などについてお話を伺いました。 次いで、迫撃砲の射撃位置に移動し、陸上自衛隊関係者より、事故当日の射撃訓練の状況、目標と着弾位置との位置関係等について説明を聴取した後、八十一ミリ迫撃砲を視察し、運用方法、操作手順等について説明を聴取いたしました。
饗庭野演習場においては、まず地元高島市の福井市長から、演習場と地元とのかかわり、事故原因の究明と再発防止策の実施の必要性などについてお話を伺いました。 次いで、迫撃砲の射撃位置に移動し、陸上自衛隊関係者より、事故当日の射撃訓練の状況、目標と着弾位置との位置関係等について説明を聴取した後、八十一ミリ迫撃砲を視察し、運用方法、操作手順等について説明を聴取いたしました。
フラトン市の決議の後、福井市長が反対の親書を送り、また九月二十四日に福井市議会で慰安婦像を建てることについての反対の決議をしたわけです。これは私は日本で初の取り組みだと思います。 フラトン市の問題は、吉田証言の虚偽が明らかになった後、初めてのケースでありますので、どうしても慰安婦像の設置を阻止する必要があり、外務省も頑張っていただいているわけですが、予断を許さない状況でもあります。
嘉田知事のお話でございますけれども、そのぶら下がりの前に、私と嘉田知事と、そして岩国市長、そして高島市の福井市長と会談がございまして、沖縄県民の皆さん方の負担軽減につながるんであれば我々はこの訓練移転に理解を示したいということ、そしてもう一つは、我々も本当に有り難く感じたんですけれども、国家のためにお役に立てれるんであれば、国民として、そしてその中の自治体の長として責任を果たしたいという言葉もいただいて
あわせて、御当地には大変お世話になりましたけれども、嘉田県知事、そして福井市長等も、その能力の高さ、安全性というものを高く評価されておったということをお伝え申し上げたいと思います。
さらに、昭和二十年十月には、戦災により焦土と化した福井市の復興のため、地元出身の市長を切望する福井市議会満場一致の要請を受けて、当時三十八歳の若さで福井市長に就任されたのであります。そのとき、君は、郷土復興が祖国の発展に寄与することを思い、ためらう気持ちを抑えて決意されたと伺っております。以来、市長在職十五年間、市民のために日夜奔走されました。
百二国会で参考人として出席された福井市長が、要するに、国庫補助負担率の一律引き下げについては断固反対だ、そして、六十年度限りとすることを厳守してもらいたい、また、「今後このような国と地方の信頼関係を損なうようなことは二度と繰り返されてはならない」ということを百二国会で強調され、訴えておられる。
そのとき参考人として出席した、例えば全国市長会会長代理の大武幸夫福井市長は、「私どもは、このような国庫補助負担率の一律引き下げについては断固反対」とした上で、「昭和六十年度限りとすることを厳守していただきますよう、」「今後このような国と地方の信頼関係を損なうようなことは二度と繰り返されてはならない」こう強調されておるわけですね。これは、そのとき相当な数の地方自治体代表の方が意見を述べられています。
総論的な問題につきましては、本日も滋賀県知事さん、千歳の市長さん、二十九日には我々市長会の代表の福井市長さんがお述べになりました。私は少し角度を変えて、第一線の自治体を担当し、特に財政の苦しい産炭地の財政を担当する市長として、この法案がいかに我々地方自治体の行政を圧迫するかという点について御説明し、御理解を得たいと思います。
本日は、国の補助金等の整理及び合理化並びに臨時特例等に関する法律案につきまして、意見を申し述べる機会をいただきましたので、直接都市行政に携わっております市長の立場から意見を申し上げることといたしますが、私ども地方団体の考え方につきましては、ただいま滋賀県知事さんから申されましたように、三月二十九日の本委員会におきまして、全国市長会会長代理の福井市長から申し述べましたとおりでありますので、重複の点がありますことをお
○大武参考人 全国市長会の会長代理をしております福井市長の大武幸夫でございます。 衆議院大蔵委員会の諸先生方には、地方行財政の諸問題につきまして日ごろから特段の御理解と御尽力を賜っておりまして、衷心より感謝を申し上げます。 本日は、国の補助金等の整理及び合理化並びに臨時特例等に関する法律案につきまして地方団体の意見を申し述べる機会をいただきましたので、意見を申し上げることといたします。
一弥君 正森 成二君 簑輪 幸代君 出席政府委員 大蔵政務次官 中村正三郎君 大蔵省主計局次 長 平澤 貞昭君 大蔵省主計局次 長 保田 博君 委員外の出席者 参 考 人 (全国市長会会 長代理) (福井市長
○沢田委員 続いて、今の事務上ではというのですから、三月末、それから四月段階に、例えば市長さんのところでお伺いしますが、三月末で一時借り入れを——代表で、あなたの市で申しわけありませんが、福井市長さんのところでは三月末で一時借り入れをどの程度今までやってこられましたか。今はやる予定はありますか。ちょっとお答えいただきたいと思います。
本日は、本案審査のため、参考人として全国市長会相談役福井市長大武幸夫君、西南学院大学教授古川卓萬君、成蹊大学教授深谷昌弘君、立命館大学教授遠藤晃君、名古屋市立大学教授牛嶋正君、以上五名の方々の御出席をいただいております。 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、皆様にはきわめて御多忙中のところ本委員会に御出席をいただきましてまことにありがとうございます。
福田 宏一君 小山 一平君 佐藤 三吾君 大川 清幸君 神谷信之助君 美濃部亮吉君 事務局側 常任委員会専門 員 高池 忠和君 参考人 全国市長会相談 役福井市長
時間がもうありませんので、最初に福井市長の大武市長にお伺いしておきます。 先ほどもお話がありましたように、地方の時代だとか地方の分権ということを言われておりますけれども、実際は依然として三割自治である。こういうことはお話があったとおりであると思うんですね。
知事も、それから福井市長も、やはり地元の漁業関係者並びにその他の関係者と十分意見を調整し、そしてまた納得してもらうように努力する、それはわれわれの責任でやるからというお話でございます。また、そうなければならぬのは、港湾審議会におきましてもちゃんと付帯条件としてついておるわけでございますから、だから、それは私の方からも何遍も確認した上で免許したことでございます。
自来、今日まで、先生はわが国戦後の政治史とともに歩みを続け、途中、福井市長の要職につかれた一時期を除き、本院議員に当選すること前後十回、在職二十三年に及び、国政の各分野で目覚ましい活躍をされ、多大の功績を残されたのであります。 昭和三十年までの約九年間は、郵政政務次官、通商産業委員長を歴任したほか、党務にも専念され、政治家としてのたゆまざる研さんを積まれました。
○岩間正男君 福井市長時代の経験までお出しになって、肩たたきというような点のすぐれた点をお述べになったのですが、その点は別として、私はそういうような長官のもとに、実際は各官庁でいま言ったようにちゃんと基準まで設けて、そうして一ぺんで聞かなければ家族までこれは説得に行って、何とかそれに応じさせようとする報告があるのですから、こういう点については、やっぱりますます実態を明らかにする必要がある。
私といたしましては、各責任者に対しまして指示をいたしておりますのは、私もかつて福井市長の経験から申しますと、いわゆる最終的な最低限額、というものは、入札の十分前に私自身が封をいたしましてそして指示したということが、私の市長時代の経験でございますが、私はその経験を思いながら、関係責任者に、厳正な立場でこれらの処理を行なうということを指示いたしておるような次第でございますので、こうした不快な疑念とか、あるいは
この前冗談のように申しましたが、たとえばこの委員会にもお見えの柳田先生の門司市長時代、それから熊谷先生の福井市長時代のような、職員組合に対して非常に良心的の措置をされる方々ばかりではないのです。残念ながらほとんどが、定年制の法案を求めているところの市町村長というのは、言ってみれば、われわれの側からいけば、人事管理能力のない人たちですよ。
福井市長をやられていた建設大臣は、自治体の苦しさは身をもって体験せられておると思うのです。今度福井市も特定行政庁になるはずですね。今度なるはずでございましょう。そういうようなところを予算的に十分な配慮をお願いいたしたい、このように思う次第でございます。
またおこられるかもわかりませんが、私といたしましては、先ほどもお話がありましたが、福井市長をやっておりましたときには、私は、横浜の飛鳥田さんじゃございませんけれども、市長室の隣に市民相談室を設けまして、そして庶民のあらゆる問題点を私の責任において聞き、私の責任において処置していくという方針もとりましたような関係もございますが、これらの点は、都ならば都民の相談室、あるいは市ならば市民の相談室というものを
○坪川国務大臣 先ほど渡辺委員から私に対する励ましの意味を含められまして御議論を展開されましたそのときに、かつての市長体験という問題を御指摘になりましたが、私も四年の福井市長の体験というものはまことに得がたい体験でございまして、中央の行政府が地方の行政にどう問題点を与えなければならぬか、あるいは地方の住民が中央の政治に対していかなるものを求めているかということ、いかにそのイメージが切なものであるかということも
坪川建設大臣は口を開けば公平とか、ごもっともとか言うけれども、もう少しまともに、単純に、局長連中の言うことなんか単純に聞くのじゃなくて——あなた自身、福井市長で庶民の生活知っているのじゃないですか。まともに見ているでしょう。悪いところがあったら直しましょう、こういう、これは二十年たいした変わりもないでこの基準でやっているのです。
私も個人にわたっての発言失礼ではございますけれども、昭和三十四年から四年間福井市長をつとめまして、戦災、震災と痛めつけられた福井市の応急措置として建てられました公営住宅が、大体昭和二十一年、二十二年、三年、四年、福井の震災は二十三年、空襲は二十年でございましたが、それらからくる公営住宅の現況を私つぶさに見もし、またこれらに対してかなり勉強もいたし、またこれらに対する応急策として苦労もいたした一員でございますが
したがいまして、私が、先日も申し上げましたように、福井市長をいたしておりましたときに、建設省に頼んでそうして譲渡いたした事例もございます。