2019-12-05 第200回国会 衆議院 原子力問題調査特別委員会 第3号
私は、朝河貫一の「日本の禍機」も前から読んでいましたけれども、やはりあの人は、二本松の出身で、高等学校を出たら、すごく勉強ができる子なので、機会があって向こうへ勉強に行って、今の高校生ですね、それからイエール大学に行き、イエール大学をちゃんと卒業した初めての日本人です。 それで、非常に優秀な成績をおさめて帰ってくるわけですけれども、そのときに彼は同じ気持ちだったと思いますね。
私は、朝河貫一の「日本の禍機」も前から読んでいましたけれども、やはりあの人は、二本松の出身で、高等学校を出たら、すごく勉強ができる子なので、機会があって向こうへ勉強に行って、今の高校生ですね、それからイエール大学に行き、イエール大学をちゃんと卒業した初めての日本人です。 それで、非常に優秀な成績をおさめて帰ってくるわけですけれども、そのときに彼は同じ気持ちだったと思いますね。
朝河は、日露戦争に勝利した後の日本国家のありように警鐘を鳴らす書「日本の禍機」を著し、日露戦争以後に「変われなかった」日本が進んで行くであろう道を、正確に予測していた。」というふうに書いてございます。
これに対して、アメリカに在住します朝河貫一博士が、イエール大学の教授でありますけれども、「日本の禍機」という本を著しまして、そして、このまま日本が変わらないで突き進めば、勝利に酔いしれて突き進めば、必ず国民含めて災いが降りかかるだろうと、こう予見したわけです。変われなかった日本、それがさきの大戦に行き着いたわけです。
戦前にアメリカのイエール大学で歴史学の教授をしていました朝河貫一という方がおられまして、その方は、日露戦争後の日本の中国政策の間違いを指摘した「日本の禍機」という本を書いた方でございますが、非常に世界的に有名な歴史学者がおられます。その方が日本の改革、二つ挙げておられまして、一つが大化の改新、一つが明治維新です。
この方が、古き時代でございますが「日本の禍機」という本を書きまして、その中の、結局外交を決するものはその国々の国民の意識の問題である、したがって国民の意識というものをきちんと踏まえて対応しないと外交では大きな禍根を残すということが記憶にあります。そういった意味で、国民に理解を求める努力を常々しながら同じ線上で考えていかなければならないという気持ちを実は込めたわけです。
これは大臣、北米局長御存じかもしれませんけれども、朝河貫一という人が書いた「日本の禍機」という本がございまして、この本の中に日米関係の危機を書いておるわけであります。この著者の朝河貫一さんというのは、東京専門学校を卒業してエール大学に進学し、そこで比較法制史というのを勉強されまして教授になり、最後は名誉教授になったのじゃないかと思いますけれども、終生アメリカにいらした方でございます。