2002-02-06 第154回国会 衆議院 本会議 第6号
苦いけれど薬を、痛いけれど注射を、つらいけれど禁酒禁煙を、苦しいけれどリハビリを、怖いけれど手術を、みんな、どれもやりたくないけれど、治ると信じるから、治りたいから耐えて頑張るのです。これはまさに、今の政治に求められていることではありませんか。
苦いけれど薬を、痛いけれど注射を、つらいけれど禁酒禁煙を、苦しいけれどリハビリを、怖いけれど手術を、みんな、どれもやりたくないけれど、治ると信じるから、治りたいから耐えて頑張るのです。これはまさに、今の政治に求められていることではありませんか。
それでも、私がきょうから禁酒禁煙をするという、自分自身で責任がとれる範囲の楽観的な性格ならそれでいいのですけれども、介護保険法というのは、国民全体の将来をきっちりと保障していく、この介護地獄からみんなが抜け出していけるのじゃないか、解放されるのじゃないかという期待がすごくございますので、やはりしっかりとした修正案を伴った、よりいいものをなるべくスタート時から発足させていきたいという思いが強くあります
先般、ゆり二号aの方がふぐあいが生じまして、慎重な検査と研究を宇宙開発事業団でいたしまして、二月に田名部郵政政務次官ともども種子島へ参りまして、中には禁酒禁煙までして祈るような思いでこの二号の打ち上げに尽力している人たちに接しまして大変感動したと同時に、私たちはちょうど天候のぐあいなども芳しくなく、実際打ち上げる機会は目の当たりにはできなかったのでありますけれども、その後順調に今試験飛行を続けておりまして
禁酒禁煙が一つでございますが、そのほかに選挙権を持つというのがございます。さらに結婚の年齢というのがございます。さらにまた、自動車の運転免許を取れる年齢というものがございます。これは昔の社会ですと、ある日を限りに成人、その前は未成年と、こうなっていたんですが、いまはちょっとなし崩しになっているようなところがあります。
○山中(吾)分科員 私は、選挙法と未成年禁酒禁煙の二つだと思うのです。守る者はばかだということになって、非常識が常識化しておる。一番守らないでいばっておるのは未成年禁酒禁煙と選挙法です。 この選挙法のことはわれわれ自身の問題で、これはなかなかずるいから直りそうにないのですが、未成年の禁酒禁煙だけは、これは守らすということは、身体の発育からいって、それから不良化の道を断つことになる。
公職選挙法と未成年者の禁酒、禁煙法だ。守ったやつが変人に見え、守らないのが常識に見える。法律一つ一つについて、一般の社会のあり方、政治のあり方によって評価は変わってくる。法律は生きているものだ。そうして政治のあり方について、法律の価値評価を間違って誤った指導をすることもある。
だから、ちょうど禁酒禁煙という看板を書いてかけて、禁酒禁煙は私の目標でございます。その下で一生懸命酒盛りしているようなものですよ。目標は目標だ、いまのうちやはり飲んだり食ったり吸ったり。そういうふうなことにしかとれないわけです。
十一条、禁酒禁煙を絶対に守らないこと。十七条、一日一悪をなすこと。十九条、花札遊びをすること。二十条、産児制限を守ること。二十一条、午後十二時以後に寝ること。夜明かしに努めること。二十三条、学校のテストは白紙か、五〇点以下の点をとるようにすること。二十四条、必ず女をつくること。党員の女には手を出してはいけない。ただし、党員以外の女ならよい。 以上であります。第四、法務関係施設の視察。
われわれ婦人議員は酔っぱらい法案を出すわけでありますが、禁酒禁煙という問題は、なかなかむずかしい問題ですけれども、だいぶ法律のできた経過というものは、古い昔にできた法律で、適用上に、いろいろ運営なさってみて、かくなければならないというような点もあるのではないか、こんなふうに考えておりますけれども、矯正局として、少年犯罪の中で、酒を飲んだ結果としてその犯罪を犯したというのがかなり多いように思われる。
私は、先ほど禁酒禁煙についても申し上げましたように、やはり取り締まりの面につきましても考えなければなりませんが、こういう問題につきましては、家庭のしつけ、社会の環境というような点から、子供をそういう悪に近づけないような風潮を醸成していく。そうしてなおかつ、そういうものに子供を引き込むような悪質な者について十分の取り締まりを行なっていくということが適当ではなかろうかというふうに考えます。
○東隆君 私は禁酒、禁煙の模範青年なんですが、(「専売局から言うとあまり感心されないね」と呼ぶ者あり)あまり感心されない者なんですが、実はニコチンを専売公社が売っていることは問題にしませんが、例の肺ガンの問題ですね、それに関連してたばこに使っておる紙が問題になるそうですが、私は科学操作をして紙が問題になるのだというふうに聞いておる。
○坂下参考人 聖公会という宗派は、今猪俣代議士のお尋ねにもありましたように、あらゆるバラエティに富んだ宗派でございまして、極端な方は禁酒、禁煙それ自体が聖公会員であらねばならないように考えておる方もございます。
酒もたばこものまない、そんなことは私も禁酒禁煙です。彼だけは酒たばこをのまぬからりっぱなクリスチャンでうそを言う道理はないと思ったら大間違いだ。それなら私がうそを言ったことになります。私も禁酒禁煙です。しかし私は自分の言ったここに対しては責任を負っています。私は神の前に対してもやましからざる言行をやっております。彼は自分の言うたことに対して何ら責任をとらない。
一応片づけておいてもいいんだということになってきますと、未成年者の禁酒禁煙法、並びに現在における食糧管理法と同じように国民から度外視せられる。そうなってくると、国民全般の順法精神というものがなくなってくる。これは私は非常に大きな問題じゃないか、こういうふうに憂えるのですが、どんなものでしょうか。
○山花委員 関連してお伺いしたいのですが、ただいま残業者に対して、ささやかではあるが酒を飲ませたというような御発言がございましたが、これは生産協議会か何かで、慰労の意味で酒を出すというようなことは、どこの工場でもありふれたことで、別に奇異の感じはいたしませんけれども、作業をしておる工員に酒を飲ますということは、お宅の仕事の性質にもよりますが、大ていのところは危険を防止するために、作業中は禁酒禁煙というのが
というのは、未成年者に対する禁酒、禁煙、取締りに関する法律とかあるいはまた勅令第九号は上すべりの法律である、これは現実に即さない法律だから実行ができないのだ、それは死文になつておるようなものであるからこの際どうにもならないのだ、こう思つておられるのではないかと思うので、その点はどうですかとお尋ねするわけです。またそういうふうな考えの起るのも確かに一つの理由があると思つております。
それから私は禁酒禁煙運動というものを始めましてから今まで半年の間に酒や煙草の害、或いは酒や煙草の害があるかどうか、そういうようなことを述べでありました本を沢山読んで、実際に酒や煙草の如何に害があるかということを痛切に感じております。
○公述人(佐々井朗人君) 私は実は学校で禁酒禁煙青年同盟を結成いたしまして、青少年の生涯禁酒禁煙を目指して鬪つているものであります。何故に私がこんなことを始めたかと申しますと、近頃学校で友達や下級生の間に不良じみた連中が非常に多くなりまして、どうも学校の空気が面白くないのであります。それから今までまじめに勉強していた生徒がよく授業をサボツたり、年中遅刻して来たりする。
僕なんかも盛んに禁酒禁煙を説きますと、お前は俺を苦しめるといつて非常に困らされるのであります。そうするとこの五年間というものは、やはり学校にそういう習慣が続くわけでありますけれども、これは法律を布きまして、これからは二十五歳まで禁止する、そしてたとえ僅かな間でも非常にこれを宣伝いたしますれば、生徒に與える影響というものは非常に喜ばしいものがあると思います。
終りに私は絶対禁酒禁煙論者でありながら、酒は少し作り高く売れば、釀造家も困らず、税收も食糧も減らず、今日は盃一杯頂いて来たというふうで、酒を最も高価品として扱うならば、心身に及ぼす害も少いと政見発表もいたしております。ところで宴会嫌いのシヤウプ博士は、酒による種々の醜態を素つ破抜き、又左の通り勧告されました。
最近に禁酒禁煙法によりまして取扱われました事件がどのくらいございましようか。また将来この法律の実行について、特にこれを強化しようというお考えを持つておられましようか、伺いたいと存じます。
○佐藤(藤)政府委員 青少年に対して禁酒、禁煙と申しますか、禁酒法、禁煙法が励行されなければならぬことは、まことにお説の通りでありまして、その点は十分嚴重に取締りをしておるつもりでありますが、実際事件として現われて来るのは、ごくわずかな数でございまして、正確な数字は今手元にございませんので申し上げかねます。
○來馬琢道君 私は曾て未成年禁酒禁煙の法律についていろいろ研究いたしたことがあります。当時法律を作ることはいいけれども、これを取締ることが困難で、日本の國法律がありながらそれが國民によつて守れられないということは甚だ遺憾であるというので、大分反対した人もありました。軍隊に入りましたいわゆる兵隊さんをどうか清く生活さして、成長さしたい。
世界各國を歩いて見ると、私はアフリカから南米各國、ヨーロツパ、アメリカを前後七年ばかり歩いて廻りましたが、日本が二十歳までの禁酒、禁煙をやつておるために、どれだけ見えざる利益を得ておるか、青少年の禁酒、禁煙が多いかということがもう明らかに分るのであります。私は非常に喜んでおるのであります。この二十歳までの禁酒、禁煙を先輩がやられたということは、非常ないいことであると喜んでおるのであります。