2020-02-04 第201回国会 衆議院 予算委員会 第6号
何か戸籍を神聖視する方がいらっしゃいますが、法務大臣、もう一度、戸籍って、皆さん御存じですか、時期が来たら捨てられているんですよ。八十年から百五十年に今は延ばしましたが、平成二十二年に。平成二十二年に法改正されるまでは、戸籍は捨てられていたんです、八十年たったら。捨てられた戸籍が、既に捨てられたものがある。そうですよね、法務大臣。
何か戸籍を神聖視する方がいらっしゃいますが、法務大臣、もう一度、戸籍って、皆さん御存じですか、時期が来たら捨てられているんですよ。八十年から百五十年に今は延ばしましたが、平成二十二年に。平成二十二年に法改正されるまでは、戸籍は捨てられていたんです、八十年たったら。捨てられた戸籍が、既に捨てられたものがある。そうですよね、法務大臣。
そこで、今の憲法の神聖視といいますか、憲法はやっぱり批判しちゃいけないというような、そういう批判したものについては全部削除されております。 だから、そういう意味において、私は、この日本国憲法の神聖化、タブー化の一つの原点がそこにあるんじゃないかというふうに理解をしております。 以上です。
まず、基本的な考え方ですけれども、憲法とは、その国を運営または存続させていくための一つの装置または道具であって、日本の一部の人たちが主張するように、過度に神聖視した考え方はとるべきではないんじゃないかというふうに考えております。したがって、憲法の内容については、そのとき、その時代の状況によって変更して、常にアップ・ツー・デートなものにしていくべきではないかというふうに考えております。
しかし、そうしたことは、一般にまだ公の場で議論されることはありませんし、もう少し踏み込んで言うならば、障害者や障害者にかかわるさまざまなサービスにかかわる人間たちを、どう言ったらいいでしょうか、子供視と同じなんですね、ある種の神聖視をするというふうなところがまだあります。それは非常に僕は問題であろうかと思います。 日本のそのような考え方は、実は、抽象的に言うと、こういう考え方と結びついています。
私は民意の絶対視、神聖視は大変危険であろうと思いますので、それはやはり小選挙区プラス比例代表制というのを兼ね合わせることによってチェックできるというふうに思います。 そのようにいたしまして、政治改革は、再編成を促し、バランス・オブ・パワーがそこで実現し、したがって政局が安定し、また政権交代が可能である、したがって、それはまた長期的な意味での日本国民の民意が実現するというふうに思います。
これまでは、国会、裁判所、また各省庁、地方自治体が土地に関する私権を神聖視し、土地の公共性といったことに踏み込むのを嫌ってきた嫌いもありましたが、この基本法で基本認識が鮮明になりますと、土地問題に対するコンセンサスが生まれ、前向きの立法、判決、行政上の措置が可能になるというような期待が大きくなると思いますが、その点はいかがでしょうか。これで私の質問を終わります。
しかしながら、本当に一番神聖視されております学問の府におきまして巷間問題となるようなことがありますことは非常に残念でございまして、結局、社会的な信用を落とすということを、それが最高学府であるだけに憂慮いたしておる次第でございます。もちろん、厳正な姿におきましてこの問題を処理しなければならない。
ただ、いかにも「ミリタリー・バランス」等々の情報源を絶対神聖視して、それを基礎に踏まえ過ぎてソビエトの脅威を高いオクターブで叫ぶことは論理的に合わない、いただけないという一つの証左として言っているんであって、全般の解析はあなたとも一致をした。
それから午前中にも私申し上げたわけでございますが、それぞれいろいろな国、民族に文化的な背景がございますから、私どもの文化的背景をスタンダードとして、たとえば回教国の豚を食わないことがけしからぬとか、あるいはインドの牛を神聖視するのはおかしい、あるいは朝鮮、中国において犬の肉を食うことはけしからぬ、そういうことは言えないことだと私は考えておるんでございますが、そういう面も、たとえば鯨とかその他さまざまな
政府のこれまでの安保弁護論は、米軍のすべての軍事行動を極東の平和のためといって無条件に神聖視する、神聖なものと見る、こういう立場に立ってまいりましたが、この前提が成り立たないことは、ベトナムでの米軍の行動を見れば明白であります。総理の明確な答弁を求めるものであります。 また、わが党は先日、米軍資料に基づいて沖繩に致死性の毒ガス爆弾MC1が貯蔵されている事実を突きとめました。
われわれは、いたずらにアメリカを神聖視したり、また北鮮を神聖視したりすることなくして、あくまでも民族の自主性の上に立って、冷静に事態を見守るべきであると思うのであります。 質問の第二点は、今回の事件に対するアメリカ政府の措置についてであります。
もう一つは、あまり国会を神聖視して、それはけっこうですが、そのあまりに国民との間にたいへんな壁をつくる、国民との間の距離があまりにも遠くなり過ぎるということを非常に心配いたしまして、参議院ではとうとうあれが廃案になって流れておるわけです。いま国会は、下は地下道がある。あるいは梯団でもって組んでおる、その梯団の長さでもって一応事前にこれを規制しておる。
民主主義国では、どこの国でも神聖視されておる議長の職務の執行を暴力によって妨害する行為のごときは、議会政治の反逆として無条件に非難されなければなりません。議長は当時の心境について、こう語っておられます。
各党ともそれを認めて、われわれ国会議員といえども、通常は出入りを禁止して、いわば神聖視してこれを守って参ったのであります。
○柏村政府委員 ちょっと私よく受け取りかねたのですが、今非常に問題になっておりますのは、従来一時デモなどがちょっと入って、すぐやはり神聖であるということで出ていったというふうな、この神聖視されている国会の構内になだれ込むということ、しかも警察の制止をきかず、これをむしろ敵として突破して入るということが不穏な行動ではないのだ、それは子供の遊びみたいなものだというお考えでありますならば、われわれの考えとちょっと
もちろん、この神宮競技場は陸上競技等につきましても、非常に由緒ある競技場でございましたので、なるべくこれはスポーツの殿堂として神聖視しておりました関係上、割合に利用範囲は狭かったのではないかと考えております。しかしながら、学校あるいは一般の社会体育等につきましては、ほかに施設もなかった関係もありまして、非常に利用面につきましては広く利用されたというように私どもは見ております。
それをそのまま所有権というものを現在の農林省はあまりにも絶対視して、ほとんど神聖視して、これはもう地主さんがイエスと言わぬ限りは一歩も手を染められないという態度が露骨になっているじゃないか。
従って私の方は、この法律によりまして、補助金と申しますよりは、公けの金というものに対して皆さんの考え方をもっと神聖視していただくことによりまして、申請そのものが自粛してくるということと両々相待ってやりたいと思っておるわけであります。
○公述人(鈴木武雄君) 私の考えといたしましては、為替レートというものを絶対神聖視して、何が何でもこれを堅持しなければいけないと考えるのは、これは最も古典的な金本位時代の考え方でありまして、今日では必ずしもそんなに絶対神聖視する必要はないと思うのです。