2020-06-02 第201回国会 参議院 総務委員会 第16号
娘さんが東京におられるということで、地元で一緒に祝宴も挙げられないと、そんな思いもつづられておりました。秋の褒章の方、受章の方は普通に伝達式、拝謁があるのにと、こんなことなら春じゃなくてもよかったのにと、そんな思いが、本当にそれは私だけじゃなくて多分みんながそう思っているんじゃないかと、そんな思いでありました。
娘さんが東京におられるということで、地元で一緒に祝宴も挙げられないと、そんな思いもつづられておりました。秋の褒章の方、受章の方は普通に伝達式、拝謁があるのにと、こんなことなら春じゃなくてもよかったのにと、そんな思いが、本当にそれは私だけじゃなくて多分みんながそう思っているんじゃないかと、そんな思いでありました。
私は、これでは大した、今頑張っていらっしゃる方は物すごく、私から見ると厳しい待遇にもかかわらず、頑張っていらっしゃると思いますが、より一層、海外において、日本食でも洋食でも何でもいいですけれども、大使館内で開かれる祝宴に関して好感を持ってもらい人脈を広げるという意味では、もっともっとこの立場は拡充するべきだと思っていますが、現状について、官房長の方からでもいいですが、御説明いただければと思います。
実は、スウェーデンの国王がいらっしゃったものですから、そういう大変豪華な祝宴にお招きをいただいたわけですけれども、そのときにある皇室の方と森の問題についてお話をしまして、総理もそこに当然いらっしゃったものですから、我々の内閣でも美しい森林づくりというものに取り組むんですよというような話を交わしました。
今もう武正同僚議員から質問がありましたけれども、三十日の十七時三十分、五時三十分から約二時間十五分にわたって総理は結婚式の祝宴におられた。そして、危機管理の最終責任者であるかもしれない官房長官は、やはり五時四十五分から二時間近くおられたということですが。 それでは、杉浦副長官、この香田証生さんが殺された時刻というのは大体何日の何時ごろだとお思いでしょうか。
他の費目に振りかえを視野に入れつつというのはそういう趣旨でございまして、典型的な例で、大臣も申されていますから出していいと思いますのは、例えば天皇誕生日の祝宴、これは地球上の全大公使館でやっております。本省でもやっていますが、各国の独立記念日に当たる日本の外務省の大行事なんですが、これは会議費がちゃんと計上されております。
これはどういう会合であったかというと、これは新旧事務次官交代に伴う祝宴ということで、このときは建設省の方は少ない。当時、藤井前次官、それから官房長であった伴さんが次官になられた、それから橋本さんが技監になられて小野さんが官房長になられたということで四名でありましたけれども、これは全体は何名の会議でありましたか。
ある祝宴の席で、私は大臣のごあいさつをお聞きしたことがあります。大変にすばらしいごあいさつをされ、その席は披露宴の席でありましたが、この若いカップルはどれだけうれしいことであろうか、そんなことを感じた記憶を今でもはっきりと覚えております。私も、政治家を目指すならば大臣のように能弁な政治家になりたいという気持ちを持ったものでありました。 私は、さきがけの田中と申します。
しかしながら、宮澤内閣は、皇太子の結婚に当たって、天皇家の私的行事である四月十二日の納采の儀を受けて、神事を含む一連の結婚の儀式のうちの結婚の儀、朝見の儀、祝宴の儀を国事行為とする閣議決定を行いました。
別の機会にお三人で祝宴を催したことはあるんですか。
それから、寺内さんのことばかり言うようでありますが、韓国を我が国に完全に取り込んでしまった一九一〇年八月二十二日の夜の、日本の政府側から言えば祝宴の会でありましたが、そのときに次のような歌を彼が詠んでおります。小早川、これは小早川隆景のことでありますが、加藤、加藤清正のこと、小西行長のことも出まして、「小早川 加藤 小西が世にあらば 今宵の月をいかに見るらむ」。
現にアメリカは、キッシンジャーをあるいはニクソンをというように、現在公式のポストにない人を多用しながら中国との関係、例えば先般の国慶節の前夜祭の祝宴にはへイグ元国務長官が出席して貴賓席のようなところへ座っているというような状況を見ておりますと、やはりそういう外交というのは、今日、単に外務省だけがやるんではなくて、もう少し幅の広い、さらに言えば民間外交までも含めての努力というのが必要なんじゃないか、中国
森先生は、昨年秋以来体調を崩され、療養に努めておられると伺っておりましたが、去る四月二十九日、宮中で催された祝宴に出席した私は、たまたま近くの席に先生をお見かけし、久方ぶりに言葉を交わす機会を得ました。その折、森先生は「もうこのとおり元気になったよ」と力強く私に話しかけられ、私が「これからも健康に十分気をつけて頑張ってください」と申しますと、満面に笑みを浮かべてうなずかれたのであります。
その宮廷費予算で主として処理するものは、いわゆる賜冠の儀と称する成人の冠を天皇がたまうという儀式でございますが、これ並びにあとは加冠、朝見の儀、それから祝宴、こういう儀式に一応宮廷費からそれぞれ賄いまして処理をいたそうといたしております。
ただ、そうかと思えば、たとえばさっきお話のあったサイゴン陥落直後、金日成が多くの代表団を連れて北京を訪問したときに、最初の歓迎の祝宴で行われた金日成の演説の内容が、少なくとも帰るときの共同声明その他の中にはトーンダウンしていて、このことは、かなり中国もそれじゃ北朝鮮が武力によって韓国を統一していくというようなことに賛成をしていないんだということもわれわれは客観的ですが判断できるわけですね。
そして、この結婚式の同じ建物の中で別のところでは、同じ結婚式の祝宴を暴力団関係者だけが集まって大いに酒を飲んで大騒ぎをしている。別の部屋ではこの結婚式が披露宴として行われて藤田以下警察幹部が出席をしている。こういう姿を県民なり市民が見たときに、警察と暴力団関係との癒着ということに思いをいたすのは当然ではないかと私は思うのです。
しかし、そのあとのたぶん宴会でありましょうが、祝宴をどういう場所でやったのか等についてまでの、そこまでのこまかいことは、私どものところでは、聞けばわかるのでしょうが、そういうところまで審査しておりませんし、常識で考えられる範囲でやったと思いますが、おそらくその海上自衛隊の場所においては、そういう場所がなかったのだろう、だから、同じ敷地内でそういう建物を借りたのだろうと思いますが、しかし県民感情から見
この国民などがお見えになりましての行事ですと、ごく限られた人が参列しますが、天皇誕生日の祝宴、これもまあある程度限られまするが、勲章を受けられた方とか褒章を受けられた方、そういうような方が、あとから陛下にお礼という意味でおいでになります、賜謁と申しまして、この宮殿の中で陛下がお会いになりますそういう機会にお入りをいただいて、中をある程度でございますがごらんいただけるということになっておりまするが、まあ
○多田省吾君 四月の二十九日には、国会議員なんかも多数祝宴に招待されておるようですけれども、根本は何といっても、国民こそ主権者でございますし、やはり新宮殿の参観も、私は一日に一万人とか、二万人とか、常識的に考えて可能な範囲で、やはりもっとふやしてもいいんじゃないか。
そうして、四日の日は指宿、これは長官の出身地で、そこで講演をやったり、祝宴をやったり、またそこでパレードもやる。そこで、五日は選挙区である鹿児島市内、役所回り、あいさつ回りをしている。こういうことが、こういう国事多難なときに役所回り、長官がわざわざ役所回り、しかも、選挙区のあいさつ回りをしておる。選挙を近く控えてのあいさつ回りは、これは選挙運動と断じていいわけです。