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734件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2019-11-15 第200回国会 衆議院 安全保障委員会 第6号

今回の首里城は、沖縄県の祖国復帰事業として二十七年前に復元しました。そのときの原材料は、台湾からの献身的な協力もあり、タイワンヒノキが中心でありました。しかし、今現在、台湾でもヒノキの伐採は禁止されていると聞いております。  ちなみに、一七一五年、三度目の焼失の後再建されたときには、沖縄在来イヌマキと薩摩からの杉やヒノキを材料としておりました。  

國場幸之助

2019-10-24 第200回国会 衆議院 安全保障委員会 第2号

赤嶺委員 これが正確に県民の要望を受けたものであったかどうか、ちょっと議論していきたいと思いますが、当時の琉球政府沖縄祖国復帰協議会が求めていたのは、即時無条件全面返還でありました。そのことを求める大規模県民大会デモ行進、ゼネスト、本土での連帯集会全国各地で取り組まれておりました。まさにその時期は、私が学生時代そして教職についた時期でもありました。  

赤嶺政賢

2019-04-24 第198回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

前回の東京五輪は一九六四年、沖縄県はまだ祖国復帰を果たしておりませんでした。  そこでまず、沖縄振興に熱い思いを持つ宮腰大臣にお尋ねしたいと思います。  来年のオリパラは沖縄県にとって初めての参加でありますので、沖縄存在伝統文化世界に発信する貴重な機会にもしてほしいと切に願っております。  

國場幸之助

2019-02-20 第198回国会 衆議院 予算委員会 第10号

このような考えのもと沖縄祖国復帰は実現したと考えています。  沖縄負担軽減は、安倍政権におきましても最重要課題一つであります。今後とも、負担軽減のためにできることは全て行う、目に見える形で実現するという方針のもと抑止力を維持しながら、沖縄の皆さんの心に寄り添い、沖縄負担軽減一つ一つ結果を出してまいりたい、このように考えております。

安倍晋三

2019-02-20 第198回国会 衆議院 予算委員会 第10号

沖縄祖国復帰前後、祖国復帰という言葉は、私は、親元に帰るとか、家族もとに帰るとか、そういうイメージが含まれている言葉だと思っております。この前後の社会状況は、米軍基地即時全面撤去を求めるいわゆる革新グループ、このグループ沖縄返還協定に反対の立場に立ちました。もう一方は、米軍基地整理縮小、いわゆる保守、我が方のグループ、このグループ沖縄返還協定賛成立場に立ちました。  

西銘恒三郎

2018-05-17 第196回国会 衆議院 内閣委員会 第17号

五月十五日、沖縄祖国復帰記念日です。おととい、沖縄は、一九七二年に祖国復帰してから四十六年目の復帰記念の日を迎えました。  この間、五次にわたる沖縄振興開発計画、それから振興計画というふうに国の予算が投じられ、内閣府によると、復帰後から二〇一八年度当初予算までの累計は、沖縄関係予算は約十二兆五千億円投じられています。  

玉城デニー

2017-06-01 第193回国会 衆議院 議院運営委員会 第31号

塩川委員 沖縄県民にとって、四月二十八日は屈辱の日ということで、祖国復帰を目指して闘い抜いてまいりました。そういう日を、政府主催の式典で行い、天皇の出席を求める。これはまさに国論を二分するような問題で、天皇を引っ張り出すことが問題となったわけであります。このように、公的行為政治利用に使われてきたという問題が問われています。  

塩川鉄也

2016-10-19 第192回国会 衆議院 内閣委員会 第2号

今、もちろん管理権の問題というものは、日米協力というものがうまく機能していくのか、このことが最大テーマであるという部分がありましたが、それでは逆にお尋ねしたいんですけれども、沖縄における基地整理縮小また自衛隊二4(b)の使用転換部分が、沖縄昭和四十七年の五月十五日に祖国復帰を果たしております、この四十四年間の間でどれだけ進んでいるのか。  

國場幸之助

2016-10-19 第192回国会 衆議院 内閣委員会 第2号

沖縄に関しましては、祖国復帰を果たして四十四年間の間でこれは八一・二%です。復帰の直前という昭和四十六年の数字を見てみても、六四・〇八%しか減少されていない。  まず、このことは、私は本土並みに減少するべきだと思っております。これが南西地域という地理的な関係の中で厳しければ、自衛隊への使用転換、二4(b)を目指すべきではないのか。  

國場幸之助

2016-10-19 第192回国会 衆議院 内閣委員会 第2号

國場委員 もう時間がありませんので、急に話題はかわりますけれども、沖縄祖国復帰をして四十四年なんですが、祖国復帰五十周年が二〇二二年となっております。ちょうど沖縄祖国復帰を記念して海洋博、海をテーマとした最初海洋万博が開催されましたけれども、私は、祖国復帰五十周年を目指して、それを目指すべきであると考えております。

國場幸之助

2016-05-24 第190回国会 衆議院 安全保障委員会 第4号

なぜならば、一九七二年の祖国復帰から今日までの四十四年間で米軍関係凶悪犯罪が五百七十四件、一九六四年から六八年の五年間、この時期はベトナム戦争の激しい時期にも重なるかと思いますが、五百四件、さらには、それ以前の終戦直後から一九五〇年代、まだまだ社会が落ちついていないこの時代に、記録には残らない数え切れないほどの犯罪存在をするからであります。  

西銘恒三郎

2015-04-16 第189回国会 衆議院 安全保障委員会 第6号

四十年の八月、佐藤総理沖縄を訪問した際に、沖縄祖国復帰が実現しない限り我が国にとって戦後は終わっていないということを述べて、この復帰に臨まれまして、そのときに佐藤総理が、安全保障上の要請を踏まえつつ現実的な解決策を生み出していく努力をする必要がある、また、沖縄にある米軍基地が現状において我が国の安全に果たしている役割と極東の安全保障に果たしている役割、これを認識して、国際情勢の推移を見守りつつ、

中谷元

2015-03-20 第189回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第4号

わが国民多年の悲願である沖縄祖国復帰がいよいよ明年に実現する運びとなったことは、国をあげての喜びであります。   沖縄は、さきの大戦において最大激戦地となり、全島ほとんど焦土と化し、沖縄県民十余万のとうとい犠牲者を出したばかりか、戦後引き続き二十六年余の長期間にわたりわが国の施政権の外に置かれ、その間沖縄百万県民はひたすらに祖国復帰を叫び続けて今日に至ってまいりました。

下地幹郎

2013-12-04 第185回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

北方領土返還要求運動の中核となっております署名運動は、昭和四十年に、国民世論の喚起とふるさとの祖国復帰を悲願する当連盟の元島民が札幌において署名活動を行ったのが最初であります。この草の根運動は、全国各地の婦人や青年などの団体、自治体などの協力、共感を得ながら全国規模運動に広がり、今日に至っているものであります。  

萬屋努

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