2021-03-08 第204回国会 参議院 予算委員会 第6号
今お話ありましたとおり、一昨年九月に岩手県陸前高田市の高田松原津波復興祈念公園内に国営追悼・祈念施設がオープン、完成しました。いわてTSUNAMIメモリアルもオープンして、追悼、教訓伝承、復興発信の場が整ってきております。宮城県石巻市と一部利用開始した福島県双葉町、浪江町の同施設の早期完成も待たれるところであります。 三県に建設される追悼・祈念施設は国営であります。
今お話ありましたとおり、一昨年九月に岩手県陸前高田市の高田松原津波復興祈念公園内に国営追悼・祈念施設がオープン、完成しました。いわてTSUNAMIメモリアルもオープンして、追悼、教訓伝承、復興発信の場が整ってきております。宮城県石巻市と一部利用開始した福島県双葉町、浪江町の同施設の早期完成も待たれるところであります。 三県に建設される追悼・祈念施設は国営であります。
この施設も、やはりあの津波で被災した陸前高田市の高田松原に国営公園として整備された高田松原津波復興祈念公園の主要施設として整備されたものであります。津波で犠牲になられた方々への追悼、鎮魂を祈るとともに、様々な展示を通じて震災の記憶と記録と教訓を後世に伝えようというものでございます。震災当時、災害対応に全力で頑張った東北地方整備局の災害対策室もそこで再現されています。
昨年九月、岩手県陸前高田市の高田松原津波復興祈念公園内に国営追悼・祈念施設が完成するとともに、東日本大震災津波伝承館、いわてTSUNAMIメモリアルもオープンし、追悼、教訓伝承、復興発信の場が整ってきています。宮城県石巻市と福島県双葉町、浪江町に建設される同施設の早期完成が待たれます。 政府主催追悼式について、十年目となる二〇二一年までとする方針が示されました。
次に、陸前高田市の高田松原津波復興祈念公園を訪れました。同公園では、東日本大震災による犠牲者への追悼と鎮魂や、震災の教訓の伝承、国内外に向けた復興への意志の発信のための国営追悼・祈念施設の整備が進められており、現在は一部利用が開始されております。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) 御指摘の岩手、宮城、福島の各県の復興祈念公園に整備する国営追悼・祈念施設は、東日本大震災による犠牲者への追悼や鎮魂、そして震災の記録と教訓の後世への伝承のため、地方公共団体との連携の下で整備されているものであります。整備後はこうした目的に沿った形で国として施設を適切に運営してまいりたいと、こう考えているところでございます。
あと最後に、津波地域では陸前高田と宮城県に一か所、津波祈念公園もちょっと、鎮魂のですね、造ることになっていますけれども、宮城県には気仙沼市に既に津波体験館みたいなのが昭和の時代からあるんですけれども、岩手県は全くなかったんです、あれだけの津波体験でありながら。
初日は、まず、糸満市の沖縄県営平和祈念公園内の国立沖縄戦没者墓苑にて献花を行い、同公園内にある平和の礎を視察いたしました。次に、浦添市に移動し、てだこ浦西駅予定地において、県から、沖縄都市モノレール延長事業について説明を聴取いたしました。モノレールの乗客数は順調に推移しており、延長事業によってモノレールと高速道路との結節点が形成され、県中北部とのアクセスが改善すること等が期待されています。
その後、震災後整備された防潮堤において、戸羽市長等から高田松原津波復興祈念公園整備事業等の概要を聴取しました。先月から、松原の再生に向け植樹が開始されているとのことでした。 次に、宮城県石巻市の開成・南境仮設団地に入り、長包括ケアセンター長より石巻市の地域包括ケアについて説明を聴取しました。
平和祈念公園の管理用倉庫が臨時的に仮安置室になっているんですよ。もう本当に、とても小さな建物です。 ところが、当初の予定より多くの遺骨が安置され、スペースの不足が深刻だということであります。柱を、遺骨を棚から取り出して、一つ一つ並べて、これはこの個体というぐあいにやっていくスペースもないんですよ。作業するスペースもない。今後、DNA鑑定を待つ遺骨がさらにふえるということが予測できます。
総理は、毎年六月二十三日、沖縄慰霊の日、沖縄戦の最後の戦場となった摩文仁の平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式に参列されています。
補助金や、慰霊塔、慰霊碑等の清掃管理の受託費、それから指定管理料、それから寄附金などによって、平和祈念公園内あるいはそれ以外の場所にある、ホームページから見ますと約八十八基が登載されています。
福島県につきましては、平成二十七年四月に、県が浪江町、双葉町にまたがるエリアを県の祈念公園の候補地として選定しております。現在、県、町とともに基本構想の検討を進めており、関係省庁等と連携し、早期の事業化を目指してまいりたい、かように考えております。
国の取り組みでございますけれども、市町村のシンボルとなるような施設に対しては、例えば、復興交付金によりまして、南三陸町の旧防災対策庁舎の一時保全でございますとか、宮古市、たろう観光ホテルなど震災遺構の保存でございますとか、あるいは市町村の計画する復興祈念公園の整備等に対して支援を行ってきているところでございます。
中間貯蔵施設は本当に中間なのかとか、廃炉の問題、別に原発事故の廃炉だけじゃなくて、全国にある原発の廃炉とか、さまざまありますので、震災の跡のいい復興祈念公園ができること、福島でもできることを祈っておるわけであります。
もう御存じだと思いますけれども、平和祈念公園とか多くの戦跡があります。そして、本当に戦争の爪痕というのはまだまだ沖縄にあるわけでございまして、是非直接こういったところに触れていただくということが必要なんだというふうに理解をしております。
現在、十市町村において、復興祈念公園や復興広場、鎮魂の森などの検討や構想策定、整備が行われており、整備に当たっては、復興交付金の活用だけでなく、住民等の寄附を募るなど、さまざまな思いを受けとめつつ進められていると承知をしております。
これからどういう形でつくっていくか、いずれも、県や市町村が考えておられる追悼祈念公園といったようなものの中の一部に国立のそういう追悼施設をつくっていくということになってくると思いますので、場所は大体決まりましたけれども、どういうものにしていくかというのは、地元の皆さん方としっかり、本当にしっかり話し合って決めていかなければならない、こう思っております。
去る六月二十三日、沖縄糸満市の平和祈念公園で開催された沖縄全戦没者の追悼式に安倍総理が出席をされました。報道によりますと、一部の出席者に心ない言動があり、残念で悲しく思いますけれども、全国民とともにこの地に倒れた人々に思いをいたし、胸に迫りくる悲痛の念とともに、静かにこうべを垂れたいとの慰霊の言葉を述べられました。
そこで、この国営の追悼・祈念公園又は施設も、集中復興期間が終わってしまったから、いや、まだ基本計画も出ていないから、これはもう集中復興期間が終わったら何か尻すぼみで、又は尻切れとんぼのように事業計画も何か雲の中に消えちゃった、風に吹かれてなくなっちゃったと、そういうふうなことがないように、是非大臣から一言、これは絶対やるんだと、県と市と一緒になって国もちゃんと追悼施設、慰霊する施設を造るんだということの
宮城県は、市民の約一割が死亡又は行方不明となっている石巻市南浜地区に復興祈念公園を造成し、その公園内に広場を造成し、モニュメントなどを設置することを想定いたしております。災害の被災者に関する施設を建設するのは初めての試みでございます。それゆえに、全国的にも注目度が高い事業だと考えております。 そこで、大臣に質問でございます。
全てを国がやるんではなくて、県あるいは市が一緒になって、祈念公園というようなものがあって、その中の一部でございますが、そこは国の祈念施設として復興予算でやらせていただくというふうな仕切りになっております。
現地では、この被災を受けて、居住できない土地が発生した場合、防災集団移転促進事業の活用や祈念公園の整備を行うべきだ、行ってほしい、こういった要望が強く出されています。私、現地を歩いてそういう声を、後で電話でも聞きました。 こういった、いわゆる防災集団移転促進事業の活用や公園の整備というのはどういう段取りで可能なのかどうなのか、お伺いしたいと思います。
○望月政府参考人 今回の台風災害のような場合、一般的には、土砂災害を初め、災害による危険性を低減させる措置を講ずることが重要でございますが、居住ができない土地が発生した場合には、防災集団移転促進事業の活用や祈念公園の整備を行うことは可能でございます。
平和祈念公園で献花したり、普天間基地を見たり、県庁や各市役所でお話をいただいたわけでございますけれども、その県庁の職員の方からいただいた御説明の中で、基地返還後の開発によって基地の跡地は経済規模が大幅に拡大して、県の経済全体を牽引しているというお話をいただきました。 まず初めに、この話題を取り上げさせていただきたいわけでございます。
また、派遣団は、四月三十日及び五月一日の二日間、現地において沖縄平和祈念公園を訪れ、国立戦没者墓苑において献花を行い、キャンプ・シュワブ及び安部メガソーラーの視察を行うとともに、沖縄県知事及び北部、中部、南部の各市町村会と意見交換を行いました。
これは私、非常に大事な事業だと思うんですが、現在、復興交付金による都市公園事業の活用をして、災害復興祈念公園構想というのを各地でいろいろやっております。再び津波等での悲劇を繰り返さないためにも、避難訓練もできる震災祈念公園の整備を行いたいと思いますが、公園事業の防災機能や面積などの要件がありますので、なかなか前に進まない。