1953-03-07 第15回国会 衆議院 労働委員会公聴会 第1号
そういつた祈り、要するにお互いが良識の向上といいますか、さらに願わくは愛情のあふるる政治が国内に広く行きわたつてほしい、こういうことが、意見と申しましようか、大体まとめられました感想でございます。
そういつた祈り、要するにお互いが良識の向上といいますか、さらに願わくは愛情のあふるる政治が国内に広く行きわたつてほしい、こういうことが、意見と申しましようか、大体まとめられました感想でございます。
これは決してその前に何らすることなしに、いきなりああいうとつぴようしもないことをやり出したというのではございませんで、その前から、原因は何であれ、とにもかくにも多くの人が困る停電ストというものは早く収めてほしい、ただもう単純率直にその祈りに集中していたのでございます。
(拍手) 今や、国鉄、専売を初め全国の労働者は、祈りをこめ、まなじりを決して本国会の公正なる審議を期待しておるのでありますが、もしそれ本院が本裁定案を否認した場合、絶望者たちの憤懣はいかなる方向をたどるでありましよう。その責任を負うものは政府ではなく、しよせんはわが国会であるということを忘れては相なりません。
こういうものはいわば末梢的なこれには附随したもの、無論これは重要な要素になりますが、少くとも第一義の要素にはならん、そういう点から考えまして、どうしてもそういうふうな外的な圧力と言いますか、国際的な圧力と言いますか、こういうような点から考えまして、若林議員が今おつしやつたところのその祈りを果して行くという方向に日本の国家財政の動向というものがあるとお考えになつているか、我々はやはり国家財政との関連で
この祈りを果すために、これを作つたときに行つて努力する、こうおつしやつたのですが、それが実現できるかどうかということは、つまり今度最初に立てたところの要求が非常に通らなかつた、こういう原因と非常に深い関係がある。そういう点から伺いたいのは、今度なぜ一体あなたたちの原案さえも通らなかつた、この原因をどういうふうにおつかみになつておられるか、この点をお伺いします。
存じ居候小生も戦争中は子息四名迄兵役に服し戦災の為二回迄全焼の災にあひ家屋家財は全部焼失致し子息の復員が後れ其為終戦のインフレ景気にも立後れ目下貧困生活に消光致し居候甚だ愚痴の事を申上げる様ですが是も皆政府に従い居たる為かと思ひます時実に残念に存ずる次第です他の会社の株主は相当の利益を蒙り居候是等を他に見て如何にも残念に存じ居候幸御両名様の御尽力に依り旧権利の復帰が成立致す可様御願申上げると共に御祈り
この一票がどんなに新しい国の政治面に反映するか、私はいつも自分が投票箱に一票を投ずるとき、まつたく敬虔な祈りの境地であります。その中でも特に私どもの最も身近に関係のあるものは、区政の問題であります。区民にとつて、ことに家庭の台所を預かるわれわれ婦人が、一番関心を寄せているのは、何といつても区政でございます。
(拍手)いやしくもこの講和條約を結ばれた吉田首相は、この国民の祈りにこたえるものでなくてはなりません。場しかしながら、この問題につきましては、国民の間にも、アジア諸国の間にも非常なる不安と疑惑のあることは事実であります。
更に又日本内地は勿論、東亜の各地に布教のために派遣された諸外国のキリスト教宣教師は、毎夏必ず軽井沢に集まり、世界の平和と人類の繁栄とを願う合同大祈祷会を催したのでありまして、軽井沢は人類最高の理想をかかげ、且つこれを実現せんとする神の使徒の祈りによつて清められた町であつたのであります。
そうしてきようも私は祭壇に心からの祈りをささげていると言つて、十七の青年が死んで行きました。こういう精神こそ、宗教の正しいあり方であり、宗教精神の徹底であるわけであります。こういうものが失われる憂いがあるような条項が、この法案の中に含まれておるとすれば、私はこれは宗教にとつて死命を制することになることを憂えますので、私はこの法案に賛成するわけには行かないのであります。
仏供田につきましては同じように仏に差上げるものを栽培し、生産するところの田、それから修道耕牧地と申しますのは、キリスト教、特にカトリツク教団にありますところの修道僧が專ら瞑想に耽り、苦行或いは宗教上の行事をしながら、そこに一定の場所に生産をしつつ、且つ祈りの生活の中に自分たちの生活の糧を生産する。
思うに、過度の特権に守られた宗教には、必ず腐敗があり、真実の祈りと繊悔はあり得ないと思うのであります。従つて宗教団体の健全なる発達を希求する意味において、その主目的のいかんにかかわらず、宗教法人が公益事業以外の事業をやるどいう場合、他の法人が事業をやる場合と同様に、法の取扱いを受くべきだと思うのであります。
これは祈りのほか苦行を行つております。それからまた、世間とはまつたく隔絶して、自給自足の態勢をとつておる。たとえば日本におきましても、北海道その他にあるトラピスト修道院あるいはカルメル会修道会、これらはまつたく世間と隔絶して、そうして経済的にも自給自足の態勢をとつておる。これが御承知の通り実情でございます。
○圓谷委員 アメリカはキリスト教団家でありまして、修身書はいらないということを、新聞でも、またいろいろな本でも見ておりますが、議会においても牧師が先頭に立つて、天にまします神の名によつて正しい政治を行うということの祈りをあげてやるし、日曜には、みな国民が大体教会堂に礼拝に行く。またアメリカの軍隊を見ておつても、日本に進駐されている方が、日曜その他に礼拝されている姿を私見ております。
そして議長が入ると、続いて所薦をする人が入つて参りまして、その日その日の祈りをささげます。ちようどこの日は日本議員団も来ておるし、日本国との間にりつばな関係を確立するというような、その日その日によつてかわつた折りの言葉を使うそうであります。祈りをささげて、それから議事に入る。
○山森証人 モリツトワというのは祈りということではありませんか。自分は使つたことはありませんし、いつもクリヤトワという言葉を使つております。
○穗積眞六郎君 在外邦人の引揚ということは、そういう実際上の問題だけでなく、八千万国民の祈りが引揚の実行を促す根拠になるだろうと存じます。従つてこの数字というものは、余程正確というよりも、若し残つている人があるならば、これがもう残つていないのだというような発表をすることは非常な不親切じやないかと思います。
神に仕える祈りの宮殿である。寝小便する孤兒を真夜中に起こし、おんぶして冷い廊下を便所に通うのは、神の御前に仕えて祈りをすることと同じい。孤兒の前に講義をするのは神の前に座つて祈り文をとなえるのと同じい。町に浮浪兒を探してついに見つけたる喜びは、聖母マリアがエルザレムからの帰り途の混難に幼きイエズスを見失い、探し探して三日目に神殿で見つけたときの歓びでなければならぬ。
一昨年以来、この問題につきまして幾度かこの壇上から叫ばれたる悲痛なる国民の声、この切なる心、この願い、この祈り、天かけて世界に響け、大地を搖つて人の心を打てと私は唱えまして、賛成の言葉といたします。(拍手)
あるいは祈りのあるところに宗教ありとか、絶対を求める心の中に宗教ありというように言うのでありますが、御当局といたしましてのわかりやすい宗教に対する御定義を、ひとつ伺いたいと思うのであります。
平和の祈りを告げる鐘を打ち鳴らし、平和宣言が朗々と読まれたのであります。「この地上より戰爭の恐怖と罪悪とを抹殺して、眞実の平和を確立しよう。永遠に戰爭を放棄して、世界平和の理想を地上に建設しよう。」、かくのごとく廣島市民は平和の宣言をしたのであります。この平和宣言に続いて、マツカーサー元帥から次の感銘深いメツセージが寄せられたのであります。