1948-03-29 第2回国会 参議院 司法委員会 第8号
こういう趣旨ではないのでありまして、輕犯罪法においては、かような日常生活における卑近なな道徳律に違反するようなものを、やはり輕い犯罪として法律によつて處罰して行くということが社會生活の秩序維持上必要である。こういう觀點から出發してできたものでありまして、勿論警察犯處罰令そのものの内容そのまま引繼ぐというのではないのであります。
こういう趣旨ではないのでありまして、輕犯罪法においては、かような日常生活における卑近なな道徳律に違反するようなものを、やはり輕い犯罪として法律によつて處罰して行くということが社會生活の秩序維持上必要である。こういう觀點から出發してできたものでありまして、勿論警察犯處罰令そのものの内容そのまま引繼ぐというのではないのであります。
警察官が目に觸れた場合、どうしても、この社會生活上そういう小さな行爲でありましても、社會生活上許して置けないで、放つて置けないものにつきまして、初めて、輕犯罪法違反として處理するものと考えられるのであります。從いまして、特に輕犯罪等にのみ警察力を集中しまして、重要な犯罪の對して警察力の集中を阻害するという事態は、この法案ができましても、そういう事態は豫想し得ないというふうに私共は考えております。
第十三號でありますが、これは公衆の日常の社會生活の秩序を保護する規定ということができるかと思います。殊に公衆が自由に利用できるような公共の場所、若しくは公共の施設の利用、物資の配給のため必然的に作られるところの行例の秩序が保護さるべきことは、正常なる社會生活のためにどうしても必要でありまするし、又かような機會にとかく秩序は紊れ易いのであります。
いたします場合には生命及び財産ということをもちまして、名譽、身體、自由、權利その他、人に附隨いたします一切の、そういうものの保護に任ずるということの内容を現わすために、生命、身體及び財産というこの三つの言葉でそういうことを現わしておるのでありまして、詳細に書きますれば、ただいまお話のようにここにいろいろのことを書くのでありますけれども、簡單にこれだけのものをもちまして憲法で保護されておりまする、また社會生活上保護
第ニに、司法省保護局の復活に關する點でありますが、司法保護事業法、少年法及び矯正院法を運用いたしまして、刑餘者、釋放者及び犯罪少年等を適切に保護し、その犯罪性を取除いて、これを社會生活に融和させるのが、司法保護の使命でありまして、司法省は、刑事政策の一還として、現在この事業を實施するために、現地の機構として、全國に司法保護委員會及び連合保護會おのおの四十九を配置し、また最近少年保護の機關を増設いたしまして
先ほども申しましたように、實際の社會生活ということを始終頭におきまして、まずこの程度あれば不便がなかろう、能率的に文字生活をなし得るというようなめやすからいたしたわけであります。
○稻田政府委員 當用漢字選定の場合におきましても、もつと急進的に、もつと徹底的にという論もあつたのでありますが、やはり一般の言語生活、社會生活というような點から考えまして、「當用」とそこにかむらせました趣旨のごとく、さしあたりはまず千八百五十字ということで出發いたしたわけであります。
陳情の要旨は、東京料理飮食業組合員の一萬八千六十名は六月一日から自粛休業中であるが六月十一月政府から發表せられた經済緊急對策中の料理飮食店の措置については、食糧問題は固より國家財政問題、失業問題、社會生活等多方面に檢討せられて、國家再建の見地から愼重な檢討を願いたいという陳情でございます。
又最近青少年團體が非常な勢を以て各地に結成されつつあるのでありますが、これらの團體が自發的に社會生活道義の昂揚を圖つて行くようにし向けて行くといつたような點におきまして、社會教育部門といたしまして、この方面の解決策をとつて參りたいと、こう考えております。
新しく生れました社會科の行き方といたしましては、今までのように先生が生徒にいろいろ教えるというような行き方とは少し違いまして、いろいろな社會生活上の問題を捉えて參りまして、そうしてその問題を生徒が自分自身でお互に話合い、或いは調べたりなんかして解決して行く。こういう方向をとるのでございます。この社會科におきましては、今までの先生が生徒にいろいろ説教するというような方面は極めて、少いのであります。
「料理飲食店の閉鎖は、食糧問題、國家財政問題、失業問題及び社會生活等多角的に檢討した場合、その利害は果して何れに歸するであろうか、業者の存亡ということよりも、むしろ國家再建の見地から慎重に考慮されたい。」こういう陳情でありますから、これも政府の御意見をお伺いいたします。
宗教教育を公立なり官立の公の學校でやつてはならないということは、決して宗教教育を敵視するという意味ではなくして、特定の宗教にわたる教育はできないのでございますが、あくまで社會生活におきまして、宗教が重要なる役割をもつ限りにおきまして、學校教育におきましては、これを敵視するのではなくして、むしろその芽生えを育てていくという気持が、非常に必要であると考えるのでございます。
こういう觀點から來ておるのでありまして、天皇に對する尊敬の念については、北浦君と同様でありまするが、政治的法規的及び社會生活の面から申しまして、在來の規定を變更いたしまして、國民の中に渾然融和されておる状態を法律で現していかなければならない、こういうふうに考えておるのであります。
ところでこの制度は日本におきましては始めてでございますので、今後これがどういう工合な影響を社會生活に及ぼすかという點につきまして、識者はそれぞれ憂慮いたしておるのでありますが、それに關連しまして、この法案が立案せられたものと存ずるのであります。
○片山國務大臣 御承知のように、戰爭のためにわが國は非常な損害を受けまして、經濟の上において、産業の上において、社會生活の面におきまして非常な打撃が、今現實として現われておると思うのであります。すべての復興はまずこの荒廢せる焦土を整理して、それからその上に建てなければならないと思つておるのであります。
それから公共の福祉のために制限ができるという考え方は危險ではないか、これは憲法改正の際にやかましく論ぜられた點でありますが、結局公共の福祉に反しない限り、生命、自由及び幸福追求の權利というものが最大の尊重を受けるというふうに、十三條においても書いている次第でありまして、國民として共同生活を營んでおります以上、そして行政の目的がその公共の福祉を最大限に増進するにあります以上、社會生活の原則として、若干
今日私達は國民文化の進展をはかり、眞の文化國家を建設すべき責任を持つておるのでありますが、そのためには、教育の刷新という面からいたしましても社會生活の能率向上という面からいたしましても、國字國語の簡易化、民主化ということが基本的な條件であると考えておるのであります。
しかしながら、現實の社會生活ないし社會活動上の男女の不平等は、とりも直さず夫と妻の現實的不平等となつて現われ單なる法文上の形式的平等では、容易に是正されないということも、とりわけ現段階にあつてフェミニストであられる識者の方々にも御斟酌いただきたいことで、實質的平等をねらつた規定こそ望ましく、かくて初めて憲法のいわゆる本質的平等も完成されるのではないでしようか。
新憲法はわが國の政治形態、社會生活に重大な變革をもたらしました。民法は、われわれの社會生活、家庭生活、個人生活を規律する國民生活に最も密接な關係ある法律であり、その改正はわれわれ國民の最大の關心事であります。
○眞杉公述人 今野合という言葉を伺いましたけれども、そういう言葉は教育のない、自由人とか、独立人とかいう資格をもたない人たちが結ばれます場合には、野合という言葉を使つても仕方がないと存じますけれども、私が先ほど申しましたのは、自分の生きるということに對して全力的な責任をもつ男と女の場合の男女の結合を期待いたしまして、一生懸命に社會生活をこれから始ようとする場合に、両親の意見とか古老の意見というものなどよりも
その他のことは一般民衆において自律的に、自己の政治生活、あるいは社會生活、その他經濟生活、すべての生活を自律的に律していくということが建前でなければならぬと思う。
それはやはり氏というものを認める以上は、そうたやすく自由に氏を選擇することは非常に社會生活の混亂を生じますので、氏の變更ということは、特に愼重に取扱いたいと考えております。もつともやむを得ざる事由がある場合においてのみ氏の變更ということは、今度は戸籍法におきまして認めていこうと考えておりますが、七百五十條におきましては、夫婦いづれか一方の氏を稱するという考え方であります。
宗教的情操を重んずるということが教育上必要であるというような議案も出まして、文部省といたしましては、その線に沿うて教育上いかにして憲法の精神を侵すことなく、又教育基本法に規定されたことに矛盾しないでそういうことをするかということにつきまして、苦勞いたして來たわけでありますが、只今文部省として考えておりますのは、教員養成諸學校において社會科というものがございますからして、その社會科の中において宗教の社會生活
今後われわれが社會生活をなるにおきまして、どこまでも暴力を否定しなければならないのでありまして、いかなる場合であつても、相手方が暴行を受けるに値するような、何か惡いことをしたような場合でもむしろこちらの方で我慢して暴力を振わないようにしなければならないのではないかというふうに考えられるのであります。