2019-03-20 第198回国会 衆議院 経済産業委員会 第4号
私たちは、やはり、そういう経済観とか社会観とか企業観ではありません。だからこそ、例えば、これは、ちょっときょう持ってきましたよ。例えば、今回の大阪・関西万博の誘致が決定したことで、大阪メトロの延伸も、今、大阪府市が中心になってやっていますよ。大阪メトロの中央線の延伸。
私たちは、やはり、そういう経済観とか社会観とか企業観ではありません。だからこそ、例えば、これは、ちょっときょう持ってきましたよ。例えば、今回の大阪・関西万博の誘致が決定したことで、大阪メトロの延伸も、今、大阪府市が中心になってやっていますよ。大阪メトロの中央線の延伸。
ただ、そこで私が非常に感じているのは、小学生を始めとした教育、そういうところからきちっと、国土の問題、自然の問題、環境の問題、それは倫理的な問題も含めて、ある意味、世界観、社会観のところまで、その年代によって違いますけれども、そういうことをやっているということに大変感心をしました。 特にデンマークへ行ったときに感心したのは、小学校四年生のクラスの授業を見せていただいた。
成長を前提にし、自己責任を前提にするような社会観、人間観を今こそつくり変えていくべきではないか、そういう決意が問われているように感じております。 御清聴いただき、ありがとうございました。
あるいは、場合によっては国家観、社会観、家族観も違うと思います。別の党派でありますから、それは当然のことだと思います。 そういう中でぎりぎり合意ができたのは、やはりこの世代間の不公平、あるいは世代内の不公平を正して、非常に、いわゆる今の高齢者世代を今後支えていく将来世代との不公平感等々を正していくための公平な社会保障制度を構築することは、三党も何らの異論はないというところで合意に至りました。
○中井委員 僕個人は、社会観、人生観で死刑執行をためらったり反対する人は、現行制度の中では法務大臣になるべきじゃない、また任命されるべきでもない、こう考えておりますが、現実には何人か過去おられたことも事実でございます。お一人お一人の大臣が執行を命じられる、斎戒沐浴だけじゃなしに、本当にぎりぎりの判断をなさって判を押されているんだろう、この重さも大変なものだ、こんなようにも考えています。
死刑の執行が、法務大臣の意向というのか、あるいは人生観、社会観、世界観、生命倫理観みたいなものによって大きく左右をされて、粛々と執行されないという状況があるのはかえっておかしいのではないか。
生の哲学を掲げるとともに、自分らしさ、自分と他人とのつながりを通して、個人がどのように社会を形成するのかという相互作用論的社会観を提唱したゲオルク・ジンメルは、私の生涯を通じて、私とは、空虚な場所、何も描かれていぬ輪郭であるにすぎない。しかし、それゆえに、この空虚な場所を充てんすべき義務及び課題が私に与えられている。それが私の生であると、個人と社会との関係性を明快に説いています。
うまくいかなかった事例だけが流れるのではなくして、全体的な教育プログラム、先ほども下田先生、昔のことを言われたんだけれども、そんな強圧的にやるなんてことをやっている施設は、そんなものはあるはずがないのでありまして、きちんとしたその本人の目的意識をいかに取らせるか、そして今までの犯罪、まあ犯罪ですけれども、大きく言えば、それに対する自分の気持ちというものをどのように乗り越えていくのか、又は家族観、家庭観、社会観
一番重要視されておられるわけですから、是非、これは我々与党これから考えていくわけですけれども、小中学校、義務教育だけではなく、幼児教育、そして大学等の高等教育、そしてそれだけはなく、実は最近特にやはり重要だと思われておりますのは、町の商店街などで子供たちがそこへ買物に行ったりする、そういうときに非常なその人間関係の中で、人様の子供にもいろいろ注意をしたり教えたりする、これは正に職業観を育てましたり、また社会観
しかし他方、知識や技術だけではない、教員一人一人の人間性ですとか社会観ですとか、いわゆる広い意味での教養ですとか、そういったこともあわせて教師の力と言えるんだろうと思います。
その地域によっての歴史的な、あるいは文化的、宗教的な背景というのがありますから、それぞれの国の価値観が違う、歴史観も違う、国家観、社会観も違う、それからもちろん倫理観も違う、あるいはもっと詰めて言うと人生観も全然違うということでありますから、その日本が価値の外交というのを標榜するのは私は若干いかがかという感じがいたします。
これを緩和したり改革したり変える際には、大きな思想なり背景なり、あるいは歴史観なり社会観なりを持った上でやらないといかぬのじゃないかと私は思うんですね。改正の時期が来たから改正しますというわけではいかぬと思うんです。ニーズが強いから改正しますというだけではいかぬと思うんです。
ぜひ大局観、全体観、社会観を持っていただいて、若輩者の私が言うのも恐縮ございますが、ぜひそういう考えで臨んでいただければというふうに思う次第でございます。 終わります。
それで、総合科学技術会議でございますけれども、これにつきましては、人文科学、自然科学、基礎科学、応用科学、極めて広範多岐にわたる中で全体を見渡して議員を任命していく必要があるという下で、原子力、生命科学など、いわゆる議員の倫理観、社会観等によって結論が大きく左右される、こういった問題が含まれ得るために、特にそういう観点からの中立性が求められるということから、議員の任命に当たって国会の同意が必要とされてきているものでございます
この調査を依頼したのが、大学生に対し、大学での学習に対する目的意識、意欲、関心、職業観、社会観に対する調査を行って、学習に対してどの程度のモチベーションがあるかという意図でやった中で、先生が今おっしゃった高校の履修のことを調べているわけですね。 そこで、結果が出てきて、先生がおっしゃったとおり、世界史の未履修が平均して一六%あったと。
それから、基礎年金をすべて税でもって補ってしまうということをおっしゃられるわけですけれども、ここはやや哲学的な、あるいは社会観の問題かもしれません。しかし、年金がそもそも始まったドイツにおけるビスマルクの昔から、やはり年金には、自助の努力、自分による貯蓄の要素というものがきちっと位置づけられておったというふうに思います。
アメリカの市場主義もそうですし、対外的な外交、軍事の強硬路線を見ても、ライバルを失ったアメリカの大変なおごりが出てきているんじゃないか、自由主義が非常におごった形で出てきた、それがいろいろな形の弊害を生んでいるんじゃないかなという歴史観、社会観を持っています。決してそれに日本が乗せられてはならないという気がしてなりません。
こういう社会現象、何か社会観あるいは基本的な理念みたいなものがあってしかるべきではないのか。これに対する小泉総理の答弁です。その時々の時代、新しい時代に向かってチャレンジをしていくんだ。しかし、何か規範というか、その時々ありますけれどもね、やはり、人の道、これを踏み外さないようにしっかりとやらないとね。小泉総理、語られましたよ。 竹中大臣、よく話題になっていますね。
こういう世の中になっちゃっているんですけれども、我が国社会をリードする総理、こういう社会現象、何か社会観あるいは基本的な理念みたいなものがあってしかるべきでないのか。この点について、お考えお持ちでしょうか。
今、原稿どおりの答弁をちょうだいいたしましたけれども、尾辻大臣、仕事観、また社会観でありますとか家庭観、人生観、そのようなものはどのようなものをお持ちかなというのをちょっとお聞きしたかったのでございますけれども、おいおい聞いてまいりたいというふうに思っております。 次に、労働時間設定改善指針に定める内容についてお伺いいたします。
その点で、学力だけではなくて、道徳の面あるいは体育の面、そして社会観、人生観、そういったものについて指導していくことのできる教員層の層を厚くする、その作業が今最も緊急に必要であるというふうに思っております。
そういう法制定当時の社会観というのはずっと維持されたんだと思うんですね。それが一つです。
社会の模範たるべき公務員の恩給について、遺族に給する扶助料については法律婚による配偶者に限り認めるというのが恩給法制定当時の社会観に基づくものというふうに考えております。 こうした過去の公務員制度、旧官吏制度とも言えるものの一環としての恩給制度の下での国と公務員との間の基本的約束事に基づき、長年にわたり扶助料の給付を行っております。