2003-09-29 第157回国会 衆議院 本会議 第2号
人生の出発点において就職先が見つからない、若者たちは定職もなく社会的訓練もされず放置される社会が明るい未来なのでしょうか。数百万人に及ぶと言われるフリーターたち。ウイナー・テークス・オール、勝者はすべてをとる社会がよい社会とは到底思えません。ならば、かつての社会主義とやゆされた旧日本株式会社方式に戻るのか。このやり方がだめだったからこそ、構造改革の旗が掲げられているのであります。
人生の出発点において就職先が見つからない、若者たちは定職もなく社会的訓練もされず放置される社会が明るい未来なのでしょうか。数百万人に及ぶと言われるフリーターたち。ウイナー・テークス・オール、勝者はすべてをとる社会がよい社会とは到底思えません。ならば、かつての社会主義とやゆされた旧日本株式会社方式に戻るのか。このやり方がだめだったからこそ、構造改革の旗が掲げられているのであります。
そして、私どものころは、本当にまだ兄弟のたくさんいる御家庭が大半でありましたし、自分のところは少なくても近所に必ずたくさん同じ世代の友達がおり、子供たちがいや応なしに地域社会の中で集団で暮らす社会的訓練を別に意図しなくても受ける場面がありました。今日、周りを見てみると、本当に子供の数が減少しております。
(三) 保育所、幼稚園の充実 昔は多子家族形態から家庭が子供にとって社会的訓練の場であったが、今日少子家族化に伴い、それができなくなった。そのため、子供に社会的訓練を与える場としての保育所、幼稚園などでの集団生活に期待するところが大きいので、これら施設の充実が必要である。
これが戦後のいわゆる核家族化という動向と相まちまして、家庭は社会的訓練の場という意味と愛情充足の場という意味をも持っているわけでございますが、その前者の方の意味をかなり弱めているのではないかと考えられます。
むしろ私は、家庭はやっぱり愛情充足ということに純化してもいいからそれはそれでやっておきまして、それでどうしても抜けがちになりますさまざまな社会的訓練の方は別にまた支えをつくるのがよろしいのではないかなと、家庭に求めましてもなかなかこれは現状ではうまくいかないような感じがいたしますので。
さらに社会にあっては、しつけも社会的訓練もなっていない、国のことも忘れ、物欲だけむき出しにしかねない青少年の横行があるわけであります。これらはほんの幾つかの例にしかすぎませんけれども、二十一世紀の日本を担う青少年が、はつらつと心豊かに育ってほしいと思いますときに、現在の状況はこれでよいのか、まことに心寒い思いがする次第でございます。
それよりももっともっと社会的訓練を受けていない子供たちを四十人見るというのは大変なことだというふうに思いますね。 この幼稚園の学級編制基準というものを見直していくという考えは文部省にありますか。
そして民間のことは、これはさっぱりわからぬというふうなことで、精神病患者が病気の回復期になって、社会復帰する間のさまざまな社会的訓練、あるいはまた社会復帰が難しい場合にどこでどのようにして生活をさせていくのかというふうな問題等々、ほとんどこれでは、全国にこれだけのものしかないわけで、だからこれを将来五年計画なら五年計画でどれだけふやすとか、十年計画で全国にどれだけこういうものをふやしていくとか、そのことによって
それから、社会的訓練になるので非常に主婦の視野が広がる。それから、核家族になっていますので、家族が少なくなる、夫が出、子供が出てしまった後一人になるというような孤独の主婦というのが減ってくるわけですね。先ほどありますように、お友達がたくさんできる、孤独の主婦が減る。
それがためには、私は社会的訓練と、私は私なりに言うんですが、これは財源問題も出てくるわけですから、私はせっかくこの法律の改正を出されてすぐまた抜本改正と言うと、いやなお気持ちを持たれると思いますが、どうしても私は財源問題を含めて抜本改正というものをできるだけ関係審議会の中で議論をしてもらいたい、関係審議会の中でぜひ議論を、これは財源問題を含めて議論をしないと、率直なことを申し上げて今回のこの改正で、
結論的にこれがもう医学的に治療の方法が特別にないとするならば、幾らかでも社会的訓練を受けたいと、だからこそ一番手離したくない子を、それこそ心を鬼にして手放さざるを得ないということに到達するまで大変な苦しみを親は味います。
こういう意味で社会的責任の非常に負わされた重い仕事でありますがゆえに、そういう点をある程度考えなければいかぬのじゃないかと思うのと、先ほど監査法人ということばを申し上げたのも、そういうグループの責任においてものをやっていくということが、職務上の非常な社会的訓練になるんじゃないか、こう思いますがために、そのことを申し上げたわけです。課長さん、別に数字がきっちりわからないでいいんでございます。
ましてや、政府並びに国鉄首脳陣が、再建の具体策を第一義的に留意しなければならぬと思うのでありますが、現状は、いまなお能力と実行力を持った体制の確立というものを生み出せないでおり、加えて、事大主義に基づく経営理念に対するむとんちゃくさは、企業に従事をいたす者への社会的訓練や組織的訓練をないがしろにして、ひいては職場での規律、秩序、統制等、管理体制の対応策は、全く無視をしているかのように私どもは考えるわけであります
たまたまこれは私たちが現実に見聞する中で、いろんなアジビラを国鉄構内のいろんなところに張ると、それを遠くで管理者が見て、ぞうきんを持ってそれを一生懸命はずして歩く、そうすると今度はその張った人間から、おまえ不当労働行為じゃないか、何だと、——どだい管理者の日常の職務の中で、そういったとてもぼくらでは考えられないような行為が行なわれるというようなことは、まさにこれは社会的訓練、組織的訓練ということを言
私は基本的にはそういう射幸心というものは、われわれの社会的訓練によって——私は社会的訓練ということばを使うのですが、なくせると、ただし、競争というものは人間としてなくすことはできない。私はそういう一つの大きい信念を持っている。この点はそう考える。私はなぜそう言うかといいますと、皆さん方のことばでいえば、健全なものにしてもらいたいと思う。先ほどから各委員が言われたのも意思は通じておると思う。
バスを待つときは列をつくって、どういうふうにしてこれを楽しく待つか、そういう社会的訓練が必要であると思います。変な道徳教育などよりもそれが最高の道徳である、こう思うのであります。私どもが道徳教育に反対するのは偽善者をつくりたくないからでありまして、人間は肉体を持っておりますから、肉体の訓練は心の訓練とともに必要でございます。しかし、それは世のいわゆる道徳教育とは違うのでございます。
あなたのほうは中で一生懸命やっておる、中で指導してやる、社会的訓練をしてやる。外へ出たらそんなやつが待っておる、これがいまの状態ですが、何かその辺はうまい手を考えてくれとは言いませんが、抵抗する力を身につけさすという手はないものでしょうか。批判する、はね返す、抵抗する、そういうふうなものを身につける手はないものであろうか。
また私どもの方で指導いたしております少年消防クラブ等もだんだん全国的に増加して参りまして、小学校あるいは中等学校の初級の子供たちに科学教育とあわせて防火思想を吹き込み、それを家庭にだんだんと浸透していくようにということで、少年消防クラブの指導に力を入れてやっておるわけでございますが、これらも国民の社会的訓練には非常に役立っておるのではないか、かように考えております。
まだ人としての社会的訓練を十分受けていない若い諸君が集まって、そして十人か二十人集まって団体行動をとれば暴徒と見ておれたちの任務はこれだけを取り締まればいいのだということで、ほんとうに警察官として教養を身につけていない諸君だと思う。この点が警察行政の中でやはり行き過ぎをこしらえる最大の原因だと私は考える。
はそういうふうに精神病でなおった人とかあるいは精薄にいたしましても、もう二十才以上になってどうにもならないという人をそういうところに入れることはけっこうでありますけれども、子供の精薄の施設に長くおりまして、十八才になってすぐ出た、そういう人を従来の浮浪者や何かと同じ施設に入れるということは、これはなかなか忍びないところがあるわけでありますから、そういった者を受け入れてもう少し、長い間かかってやった社会的訓練
従つて、これらの学生の特殊の立場も考慮いたしまして、社会的訓練の一つとして、また法治国家の国民の一人として、一定の法的手続をとるくらいのことは、当然学生としてなすべき義務の一つであろうと考えるのであります。
その第一点は国民の社会的訓練と道義心の高揚ということでございまして、遵法精神とか社会連帶観念といつたことが徹底しなくては、いかに制度が設けられましても実効がないと存ずるのでございます。それから第二の点は、この制度のため国民経済の生産費を高めない、コストを高めないという点でございます。