1948-06-30 第2回国会 衆議院 本会議 第74号
すなわち、当時社会党政務調査会長森戸辰男氏に十万円を渡し、残余の四十万円は河合義一、佐成篤三郎、山本幸一、近藤壽、大川修三、松澤隼人、水野貿郎、水野實郎、山本富嘉、佐伯健、光吉悦心、本藤恒吾、米田富の十二君に各五千円、徳永正報、熊本虎藏、原虎一、赤松常子、三木治朗、佐竹晴記、永江一夫、細野三千男、正木清、米山久子、松本淳造、加藤鐐造、松永義堆、井堀繁雄、門司亮、土井直作、和田操、井家上專、山名義鶴、
すなわち、当時社会党政務調査会長森戸辰男氏に十万円を渡し、残余の四十万円は河合義一、佐成篤三郎、山本幸一、近藤壽、大川修三、松澤隼人、水野貿郎、水野實郎、山本富嘉、佐伯健、光吉悦心、本藤恒吾、米田富の十二君に各五千円、徳永正報、熊本虎藏、原虎一、赤松常子、三木治朗、佐竹晴記、永江一夫、細野三千男、正木清、米山久子、松本淳造、加藤鐐造、松永義堆、井堀繁雄、門司亮、土井直作、和田操、井家上專、山名義鶴、
○武藤委員長 それから、先ほど社会党というものと政務調査会というものを、わけてお話になつたようなお言葉でありましたけれども、やはり社会党政務調査会でありまして、政務調査会もまた社会党の一機関であるという御趣旨でありますか。
今後毎月二十万円くらいずつ政務調査会の費用を出してもいいと言われたと檢事調書に出ておつた、こういうことに対しまして、証人のここでの御答弁は二十万円くらいずつ出すというのでなくして、二十万円くらいずつできるような協力をしてやろう、盡力をしてやろう、こういうような意味にもおつしやつているのですが、そうすると二十万くらいずつできるような盡力をしてやるということは西村君に対する盡力なのですか、あるいは社会党政務調査会