2016-11-10 第192回国会 参議院 財政金融委員会 第3号
○副大臣(大塚拓君) 委員が引用されました入るを量りて出るを制するというのは、この答弁資料によりますと、儒学の聖典である四書五経のうち、礼記の中国古代の理想とされた政治制度のあらましが記録された王制編が出典であるということで、均衡財政の重要性を説いた言葉であるということでございます。
○副大臣(大塚拓君) 委員が引用されました入るを量りて出るを制するというのは、この答弁資料によりますと、儒学の聖典である四書五経のうち、礼記の中国古代の理想とされた政治制度のあらましが記録された王制編が出典であるということで、均衡財政の重要性を説いた言葉であるということでございます。
この道徳という言葉ですね、この語源を実は調査室の鈴木さんが調べてくださいまして、語源は中国の古典「礼記」、お礼の礼に記録の記と書いて礼記といいますが、前漢や秦の時代の言葉だそうでございます。道徳仁義は礼にあらざれば成らずという言葉があるそうでございますが、大臣、ちなみにこの道徳の意味、それから日本で初めて道徳という言葉が使われたのがいつか御存じでしょうか。
綸言汗のごとしは、孔子の礼記のことわざでありまして、君主が一度口にした言葉は訂正したり取り消すことができないということ、もっと平たく言えば、出た汗が再び体内に戻り入ることがないように、君主の言は一言発せられたら取り消し難いという意味なんです。これ、御理解いただけますね。
これは四書五経、五経の礼記というところに書かれておりまして、漢の時代に書かれておるんですよ。もう何千年も前、千数百年前からそう言われておるんです。ところが、支出の方を決めて、収入の方はわからない、しかし経費を削減すれば実現できるだろうということで、そういう公約を出してしまったわけでございます。
○増子輝彦君 まさにそのとおりでありまして、これは礼記が出典でございます。汗が一度出ると再び体内に戻らないように、天子の言葉は、口から出ることを訂正したり取り消したりすることはできない、一度口に出した言葉は取り消せないという意味であること、まさに菅総理のおっしゃるとおりでございます。
よく言われるのでありますが、礼記に、小人は水におぼれ、君子は口におぼれ、大人は民におぼれる、こう書いてあるんです。どうぞ、政治家というのは絶対口におぼれちゃいけない、口におぼれて甘い言葉をささやいてどうのこうのというのは政治は絶対しちゃいけない、意味のある言葉を使っていかなきゃいけない、こう思うのであります。
友愛の精神は基本的に修身斉家治国平天下だと、これは礼記ですね。最後は個人の徳を積むことだ、こうおっしゃっておられる。 総理は内外に友愛という言葉を発したわけですから、内外に発するならば、霞が関が大ばかだ、こういうふうな発言はその友愛の精神に反していると思うんです。ですから、まずは内閣で友愛の勉強をされた方がいいと私は思う。 それと同時に、政治主導。
中国の古書の礼記では、古人は、入量出制、入るを量りて出るを制すなどと言われますけれども、財政に関してはその逆で、やはり出量入制、出るを量りて入るを制すべきだと考えております。何が国民の生活にとって必要なのか、そのサービスからまず考えて、その必要なものに対してきちんと財源を確保する、これが財政のあるべき姿だと、青臭いようですけれども考えております。
財政の要諦は、五経の一つ礼記に記載されているとおり、入るを量りて出るを制すにあります。すなわち、収入をよく見定めてから支出を行うということであります。しかし、政府が編成した平成二十一年度予算はこの原則から大きく外れているとしか言いようがありません。
中国の古典、礼記において、入る、すなわち歳入をはかり、出る、すなわち歳出を制すと述べているのは、まさにそのゆえなのであります。 国会も、この点については、これまで良識と矜持を示してまいりました。年度内に予算が成立したにもかかわらず、新年度に歳入法案の議了がずれ込んだことは一度もないのであります。
同じような表現は、漢の時代の礼記の儒行編にも書いてございます。いわく、「礼は之れを和を以って貴しとなす」。聖徳太子はこの二つを出典として十七か条の憲法に盛り込みました。 ここで言う礼とは、今日の礼儀よりももっと広い意味であります。古くは法制や秩序、規範を指しておりました。言わばルールであります。
それだけに、言葉には重みがあり、その責任が特に政治家としては伴うというふうに思うわけでありますが、綸言汗のごとし、正に一度発した言葉は汗のように、もう一度戻ることはない、これは中国の礼記に記してあるわけでありますが、菅さんとのやり取りにつきまして、大したことはないんじゃないかということにつきましては適切でなかったということで撤回をされたようでございますけれども、この政治家としての言葉の重みについて総理
先生は、礼記・大学の「十目の見る所、十指の指さす所、其れ厳なるかな」との言葉を座右の銘としておられたとのことであります。このことは、先生の一生を通じて随所にあらわれております。現在、先生の福岡法律事務所で実務を学ばれた多くの弁護士、そして裁判官、検察官が、司法界の各分野で立派に活躍しておられるのもそうであります。
私とて、政治に携わる者として、古来、礼記にありますように、入るをはかって出るを制する、憲法上からいえば単年度予算でありますから、その中で歳入と歳出がバランスをとれるということが最も望ましい状況であることは百も承知をいたしております。
古き中国の礼記にも、入るをはかって出るを制するということでありまして、そのことは常に念頭を去ってはいけない課題だろうというふうに認識をいたしております。 さりながら、現在、国、地方を合わせまして六百兆を超える財政的な赤字を抱えておる。こういうふうな状況の中で、この額はまことに大きく、一年間のGNPを超えるものでございまして、一日も早く財政が均衡する努力をしていかなきゃならぬと思っております。
○小渕内閣総理大臣 私自身、政治の責任をとる立場から言えば、そもそも財政につきましては、古今東西、それこそ中国で礼記に書いてありますように、入るをはかって出るを制するということですから、そういう意味では、常に健全的な歳入により歳出の制約を行うということは必要なことだと思います。
ただ、今回、財政再建というこれだけの大きな構造改革をしなければならない時点におきまして、これだけの、四〇プロに近い国債を発行しながら予算編成をしたということでございまして、私、年来申し上げておりますが、古き言葉で、礼記というものの中に、入るをはかって出るを制するというのは、これは基本的な問題だ。
このことは施政方針演説でも申し上げておるとおりでございますし、礼記を取り上げるまでもありませんが、財政の根本は入るをはかって出るを制するということだろうと思いますけれども、しかし、今日の経済的なこの不況の状況を考えますと、単年度でこれをレベニュー・ニュートラルするということはなかなか無理なことでございまして、私自身は、この日本経済が今後こうした政策を遂行することによりまして回復軌道に乗った段階におきまして
私が農政の勉強を始めたころびっくりした書物は、中国の漢代の礼記でありますけれども、国民の食糧は、九年分備蓄がなかったら不足だと思え、六年の備蓄がなければ窮迫していると思え、三年の備蓄がなければその国、国にあらずと、こういうことが書いてあるのを見まして驚いた経験があるんです。
たしか漢だったと思いますが、中国の礼記という書物に、九年の蓄えなきを不足という。国民の食べ物を九年は備蓄しろ、君主たる者は。そうでないと食べ物は不足だと。六年の蓄えなきを急という。六年備蓄しなければ差し辿った急であると。三年の蓄えなきはその国、国にあらずと、こう言っております。