2014-03-17 第186回国会 参議院 国土交通委員会 第3号
厳格な方もいらっしゃれば、そうでもない方もおりますし、こういうふうな中で、先ほど言いましたように、料理のメニューをどうするのかというふうなこともさることながら、礼拝施設の整備等々をどういうふうにするのか、これはハードの話になるわけでございますので、ここはどういったニーズ云々というふうなことよりも、迅速に対応すればできる分野だというふうに思いますから、これらの点についても是非御検討していただきたいなというふうに
厳格な方もいらっしゃれば、そうでもない方もおりますし、こういうふうな中で、先ほど言いましたように、料理のメニューをどうするのかというふうなこともさることながら、礼拝施設の整備等々をどういうふうにするのか、これはハードの話になるわけでございますので、ここはどういったニーズ云々というふうなことよりも、迅速に対応すればできる分野だというふうに思いますから、これらの点についても是非御検討していただきたいなというふうに
冒頭私が紹介をしたホテル等々は、やっぱり独自、自分の力だけで礼拝施設を整備したり、また、食事等々のメニューの改善なんかに取り組めるわけでございます。
一方で、日本においでいただくムスリムの旅行者の方々は、これも委員今御指摘のあった食の問題、あるいは礼拝場所の問題等で御不便を感じ、お困りになっていることも多いとも聞いております。ムスリムの旅行者の方々の声をしっかり把握して対応していくことが重要だというふうに考えているところであります。
一方で、日本においでいただくムスリム旅行者の方々は、食の問題や礼拝場所の問題等、大変御不便を感じていらっしゃる、またお困りになっている状況にあるというふうに思います。ムスリム旅行者の方々の声をしっかり把握して対応することが重要だと思っております。
当面、四月二日から期間中の毎週金曜日、墨塗りにされていますが、その三施設の金曜礼拝参加者に的を絞り、指定署と外事第三課の合同による集中的実態解明、これ行確というんですか、行動確認ですか、を実施するのでという目的を明らかにした要員の配置、体制を整えようという指示をしているわけでしょう。 資料の三枚目、もう一度御覧いただきますと、巡回に当たる警察官に対して、三項めで具体的着眼点という指示があります。
モスクなどに対する解明作業進捗状況という週報も流出をしたようですが、ここにはそのモスクの礼拝時間、礼拝参加者数、それぞれの日ごとの礼拝者、そして面割り率ですね、面割り、つまりその礼拝、モスクに来ているその礼拝者が一体どこの誰かということを面割りをした率というのまで進捗状況として報告をさせているわけですよ。これはまさに張り付いて監視しているということにほかならないじゃないですか。
例年より非常に人が多くて、百五十六名の現職の国会議員が参列をし、代理を含めると優に三百人近い人数が集まったわけでありまして、礼拝殿のあの広間ではおさまり切れずに、脇の部屋にも国会議員が出てお参りをしたわけであります。 安倍総理の真榊もお供えがあったわけでありますけれども、私は何か寂しい気がいたしました。
先ほど私が官房副長官にお聞きしたのは、これは発掘の対象ではないんだ、掘り起こす対象ではないんだ、礼拝の対象だと申し上げたその仁徳天皇陵内で、なすべからざることをやっておる、私はそう思う。いかが思われますか。
これからは押し問答になりますから、私の御意見を申し上げ、官房副長官も意見をおっしゃっていただきたいんですが、そもそも、先ほど来、宮内庁の陵墓管理要領にある、礼拝が行われておるところであるというこの天皇陵の尊厳、静安を期して、尊崇の対象として追慕、礼拝が行われているところであるというその礼拝域内に、便所をつけて宮内庁職員が大小便垂れ流して、垂れ流しとは言わぬ、そこでして、そんなことが許されるのか。
ただ一点、これは、南米の遺跡、王の墓のピラミッドと違い、現在も続いておる、我々の先祖の墓と同じように礼拝の対象である。観光、見物、発掘の対象ではない。この一点はいかがでしょうか。
○政府参考人(尾崎道明君) 例えばアレフ、主流派におきましては、麻原彰晃の写真を礼拝したり、現に行っておりまして、両派共に麻原彰晃の影響力は極めて強く残っているものと認識しております。
私、先日の三月十一日に、仙台で開催されました東日本大震災の追悼記念礼拝というものに出席をしてきました。実は、そこで、阪神・淡路大震災で弟さんを亡くされた歌手の森祐理さんが、「幸せ運べるように」という大変すばらしい歌を披露してくださいまして、その歌詞が大変感動的でありましたので、歌うわけじゃありませんが、ぜひ歌詞の一部分を御披露させていただいて、質問に入らせていただきたいと思います。
また、トルコの友人に聞きますと、金曜の礼拝って特別なわけですよね。そのときにトルコ全土で日本のために祈りをささげた、そういうことも伺いました。本当に親日的な、これほど親日的な国はないと私は思っております。
これはやっぱり今度の教訓、東京には大震災のときの記念礼拝堂があります。大変な被害でした。大正十二年。あのとき刻んだ言葉は、備えを常に、備えを常にでした。そういう中で、その後も度々この震災は来ているわけです。残念でしたね、あそこの、墨田区の、本当に、そのお骨を入れていらっしゃるところがあるんですけれども、子供さんたちが六千人亡くなっています、あの関東大震災で。
それと、もちろんそういう水路が遮断されたのもそうですし、井戸なども全部流されてしまった中で、飲み水はもちろんなんですが、一日五回、イスラムの国ですから一日五回の礼拝の前に体を清める。
まず宗教法人法に基づいての設立要件でありますが、宗教法人となるためには、まず第一に、宗教の教義を広め、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを主たる目的とする団体であって、礼拝の施設を備える団体、またはこれらの団体を包括する団体であること、これは法第二条でありますが、こうした定義があります。
しかしながら、この後、サドル師は、五月二十七日の声明でございましたけれども、米軍のイラク駐留継続に向けた米・イラク政府の交渉に反対の意思を示すということのために、毎週金曜日の礼拝の後に抗議デモに参加するように支持者に呼びかけたという事実がございます。 その後、五月三十日の金曜日に、イラク南部の複数の都市でデモが発生をした、このように承知しております。
これ、以前に、外国人の研修・技能実習、この制度で来日しましたイスラム教徒のインドネシア人の女性、これについて、受入れの条件として東日本の縫製工場が日に五回の礼拝や断食を禁止する誓約書に署名をさせていたことがメディアで報道されたわけであります。このうち礼拝については休憩時間であっても会社の敷地内では一切認めない、こういう人権侵害行為がございました。
ステンドグラスの美しさは、字の読めない者が自然に礼拝の気持ちを起こす教化の役割を果たしているものと説明をしてくれました。 よくよく考えますと、音楽も文学も建築も彫刻も絵画も、そして日本の書道、茶道、華道を始めとする道の文化も、すべて究極は目に見えない崇高な存在、不可思議な自然や生命に対する敬けんの念につながるものと思います。
そういう人には別な食事を用意しなければなりませんし、イスラム教を初め宗教上の礼拝活動もやってもらわなければいかぬということで、正直言って、刑務所の中の管理もなかなか大変でございます。 この四千人の中の約四五%は、実に中国から来た人たちであります。この人たちが圧倒的に多いわけですから、今、法務省といたしましては、中国との間に移送条約を結ぶことができないだろうかということを考えております。
そこで、A級戦犯を合祀していることなどがあって、公式参拝が近隣諸国に我が国の行為に責任を有するA級戦犯に対して礼拝したのではないかという批判を生んだ、このことを認めて、過般の戦争への反省と平和友好への決意に対する誤解と不信さえ生まれるおそれがある、こう言って、このことを理由に挙げて、その翌年、つまり一九八六年には公式参拝を見送ったわけです。
私は二月十九日、先月ですが、京都の同志社大学の神学部のチャペルですな、礼拝堂で公開討論会に出たんです。日本側は私です。私は神学部の出身者で、あの外務省の佐藤優主任分析官より十四年私の方が年長なんですけれども、まあ、ああいうことは私やっておりませんけれども、似たような情報にかかわる仕事をやっております。
その上で申し上げますけれども、サマワにおいてサドル派の指導者アブドルラザクが十日の金曜礼拝で、自衛隊の撤退を求める、こういう発言を行ったという報道があるということは、報告を私も聞いております。
で、第一追加議定書の第五十三条では、文化財及び礼拝所、まあモスクも含めて、敵対行為という広い範囲で禁止をしています。 小泉総理にお伺いしますが、今回のファルージャ総攻撃は明らかにこうした国際人道法に違反するものではないでしょうか。 ちょっと、総理に聞いているんです。
実際どういう活動が現地であったのかということは詳細に私ども承知をし得る立場にはありませんので、余り確定的なことを申し上げるのは難しいとは思いますが、あえて申し上げれば、確かに今、委員御指摘のようなことはそれぞれ決まっているわけでありますけれども、例えば一般論ですけれども、文民であるとか病院、文化財、礼拝所、これらについては別に無条件にそれは保護が与えられるということではなくて、敵対行為にその文民が直接参加
もちろん、日ごろの総理大臣の車で、秘書官なんかを乗せて、そして靖国神社に行って、やあやあと言って神主にあいさつぐらいをして、そしてポケットマネーを出す必要はないですから、公費を出して拝みを、礼拝をして帰ってくると、それでいいだけです。単なる一つの宗教法人ですからね。あそこだけ特別だという考えをひとつ、もうそろそろ二十一世紀に入っているわけですから、払拭してもらいたい。