1956-08-30 第24回国会 衆議院 外務委員会 第63号
その問題は先ほど菊池君も取り上げられましたように、ロンドンにおけるダレス発言の問題について高碕外務大臣代理として、はっきり言われたことは、そういう事実はないという公電が入っているということの御答弁があった。ところがそれから旬日を出ずして、そういう事実はあるということをダレス長官の記者団会見があり、あるいは重光外務大臣もそれを肯定しているような態度が出てきたわけであります。
その問題は先ほど菊池君も取り上げられましたように、ロンドンにおけるダレス発言の問題について高碕外務大臣代理として、はっきり言われたことは、そういう事実はないという公電が入っているということの御答弁があった。ところがそれから旬日を出ずして、そういう事実はあるということをダレス長官の記者団会見があり、あるいは重光外務大臣もそれを肯定しているような態度が出てきたわけであります。
○岡田委員 それではそういうことがきまるのはいつごろですか、たとえばあなたの今の御答弁によると、九月中はソビエトの方も休みだからというのは、これは重光外務大臣がロンドンで言った話、ところが高碕外務大臣代理は九月中でも交渉し得るという発言をしておられる。こういう点になる、その時期のおくれるというのはソビエトの責任ではない、日本の態勢がまとまらないからそういうことになっておる。
七月二十八日の外務委員会において、私の質問に答えて高碕外務大臣代理は、現在外務省にある渡航制限の内規は国際情勢の変化によって変るべきものと思いますから、私もこれを確固不動のものとしてきめることは間違いだと思います。情勢の変化によってはこれは再検討しなければならぬ、こう御答弁になっている。
○森島委員 私は高碕外務大臣代理と申しますか、高碕さんに御質問する前に、一言ただいま論議になりました事務次官を呼ぶか呼ばぬかの問題について所見を述べたいと思います。事務次官を呼ぶことが必要になったのは中共行きの旅券の問題だと私は拝察しておりますが、旅券の問題になりますと次官会議において最後の決定をします。閣僚会議で秘めるか認めぬかということを事実上は次官会議において決定を見る。
しかも高碕外務大臣代理は正式に外務大臣の仕事を現在しておられますけれども、しかしついせんだって重光外務大臣と一時的にこれはかわられたという関係から見て、外務省の行政事務の本来の運営をやはり実際の今までの前後の実情から考えてみて、やっているものとすれば当然事務次官がその責任者として出るべきものた。今日の情勢ではそういうように解釈せざるを得ない。